メイプル・エストレージャ ―2―

 スイーツの出来上がりを待っている時間、団欒とした女子会が始まった。残念なことに、主催者であるモニカは厨房でスイーツ作りを手伝わされているが、パーシーたちは我慢できずに話し始める。



「それにしても、モニカのお母様がこんなところで店を開いているなんて……知りませんでした」


「寮に住んでるし、モニカの家族のことあんまり知らないよね」


「ま、家族のことなんて話すようなことでもないでしょ」



 淡白な返事をするソフィアをパーシーがじっと見つめる。何を考えているのか、もしくは、何も考えていないかもしれない、微妙な表情をしている。先程の会話でソフィアのことを意識しているのか、モニカの話題になっているというのに口を開こうともしなかった。

 ソフィアは視線に気づきつつも、目を合わせることができず、目を逸らすように目の前に座るフィスティシアを見ていた。



「パ、パーシーは……モニカの家族について何か知ってるんじゃない?」



 どうにかパーシーの気を逸らそうとして、ソフィアはパーシーに話を振る。すると、我に返ったパーシーはハッとして口を開いた。



「モニカはひとりっ子だよ。お母さんのことはよく知ってるけど、お父さんの話は聞かないかな〜」


「アンヘルさん、ですよね。私は1度会ったことがありますけど、少し怖い印象です」


「あの時はね。どんだけ優しくても怒る時は怒るよ」



 ヨナは初めてアンヘルと会った時のことを思い出して肩をすくませる。人の印象は初対面で決まるとよく言われるが、ヨナにとってのアンヘルはその典型だろう。ヨナはどうしてもあの時のイメージを払拭することができないのだ。

 ヨナは緊張で身体を硬くしている。ぎこちない動きで水を一口飲んでは、また飲んでを繰り返して、どうにか緊張から逃れようとしていた。そんな中、カタカタ身体を震わせて、とヨナよりも更に緊張している人物が、1人だけいた。



「……フィスティシア先輩?」


「アンヘル……と言ったか?」


「え?」


「あの方の名前は……アンヘル・コンティーゴか?」



 その言葉に、パーシーは首を傾げた。名前は同じだが、名字が違う。今、パーシーたちの前にいるのは、モニカ・エストレイラの母、アンヘル・エストレイラだ。『コンティーゴ』という名字ではない。パーシーは慌てて首を振った。



「ち、違いますよ。モニカのお母さんなんだから、エストレイラです」


「でも、旧姓は分からないんでしょ?」



 エモールの一言でパーシーは自身の見落としに気づいた。当然ながら、家族関係によって氏は変動する。アンヘルも夫と婚姻関係にあるのだから、名字が変わっているという可能性は大いにある。



「聞いてみますか?」


「え〜、聞きづらいでしょ。そういうの」


「じゃあ、モニカに聞く?」


「それもちょっと……」



 パーシーたちが頭を悩ませている中、ソフィアは未だ肩を震わせているフィスティシアに当然の疑問を投げかけた。



「というか、なんでそんなことが気になるんですか?」


「……そうか、お前たちは知らないのか」



 そう言って、フィスティシアは神妙な面持ちで語り始めた。



「『アンヘル・コンティーゴ』は、かつて大魔法使いとして活躍していた、バウディアムスの初代生徒会長だ」


「……?」


「色々な事情があったらしくてな、事実上の引退というやつだ。それから、彼女がどうしているのかは、誰も知らない」


「それがアンヘルさんかもしれないってこと?」


「可能性は……なくはない」



 フィスティシアが口を噤む。その場がしんと静まり返ったその時、丸いトレイにスイーツを乗せ、器用にバランスを取りながら歩くモニカが現れた。フラフラとして、まだ配膳がぎこちないようにも見える。



「お、お待たせしました!」


「モニカ、危ないよ〜」


「ば、バランスが……難しい」



 何とか落とすことなく全員にスイーツを渡すことができたモニカはカウンター席に腰を下ろした。その瞬間、パーシーたちの視線はスイーツではなくモニカに集められる。



「え? な、何? なんですか?」


「モニカのお母さんについて、色々聞きたいんだけど」


「お母さん? なんで?」


「実はすごい人かもしれないって、ちょっと話してて」


「あら、私の話?」



 カウンターの向こうからアンヘルが顔を出す。後片付けも終えたらしく、手持ち無沙汰になってパーシーたちの会話に耳を傾けていたらしい。アンヘルはニヤニヤとした表情でフィスティシアを見ている。



「な、なんでしょうか?」


「ふふ、なんでも。懐かしいなって思っただけ」



 仕事を終わらせて直接店にやってきたフィスティシアは、身なりもそのままだった。腕には生徒会の腕章。首元には生徒会長を象徴する金の飾緒しょくしょを身につけている。そんな姿を見て、アンヘルは楽しそうに笑った。



「私の友達も、昔それと同じものを身につけていたわ。『気に食わん』って言って、仕事は全部私に押し付けてたのよ?」


「で、では……あなたは、本当に『アンヘル・コンティーゴ』なんですか?!」



 しかし、アンヘルが首を縦に振ることはなかった。



「いいえ。今の私はアンヘル・よ。それは昔のこと。それに、わたしはあなたが思っているほどすごい人じゃないわ」



 ほとんどカミングアウトに近い反応に1番驚いていたのは、フィスティシアではなくモニカだった。興奮したように目を大きく開くフィスティシアとは対照的に、モニカは開いた口が塞がらないようで、声も出せずただひたすら驚いていた。



「あ、アンヘルさんって……元大魔法使いだったんですか!?」


「ふふ、パーシーちゃんにも言ったことなかったわね。でも、本当に大したことじゃないのよ。あの頃は、大魔法使いなんて肩書きだけだったんだから」



 パーシーたちがこれほど驚いているのには理由がある。本来、大魔法使いは魔法の頂点として、各国に1人だけ存在する統治者のような役割を持っている。

 それ故に、大魔法使いは1人で危険な任務をこなすことが多く、生死を分ける戦いも少なくない。大魔法使いレベルにしか解決できないこともある。そのため、大魔法使いになるための条件や試験といったものはかなり厳しく設定されている。


 問題なのは、その先の話だ。

 大魔法使いの受ける危険な任務には、想像も絶するほど恐ろしい任務もある。一国を相手にすることもあれば、世界の禁忌に触れることもある。そのため、大魔法使いが天寿をまっとうした例は今までにない。そのほとんどの死因が殉職となっており、大魔法使いとして生涯を生きた者は存在しないのだ。



「しかし、あなたは違うはずだ」



 その中で、アンヘルは大魔法使いの任を降り、一般人に戻った稀有な例だ。大魔法使いについて、それを1番知っているのは、目の前にいるスイーツ屋の店長なのだ。

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