第四章『心と体、繋ぐもの』―前編―

記憶を失った者

 太陽のない朝が訪れる。旭が目を開けるとそこは、見慣れない部屋だった。目を覚ました旭は不思議そうに周りを見回す。窓の外を見ると、相変わらず空は暗い夜の天蓋で覆われていた。



「お、起きてんじゃん。元気か?」


「……レオ」



 ゆっくりと物音を立てないように扉を開かれると、白粥を持ったレオノールが顔を出した。



「俺は病人じゃねぇぞ」


「水の量間違えたんだよ。普通に米炊くつもりだったの」


「二度とキッチンに立つんじゃねぇ。国綱にやらせろ」



 どうやら白粥を作るつもりはまったくなかったらしく、レオノールは不機嫌そうに器を机の上に置いてもう1つのベッドに腰を下ろした。器の中をよく見てみるとそれは白粥ですらなく、ただのべちゃべちゃになった白米だった。



「……お前ほんとに酷いぞ」


「悪かったな! 文句言うなら食うんじゃねぇよ!」



 レオノールは大声で旭に怒鳴ると、机に置かれたべちゃべちゃの白米を手を取って黙々と食べ始めた。旭は何も言わずその姿を見守っていたが、レオノールは2、3回米を口に運んだ時点で手を止めた。頬いっぱいに米を詰め込んでいるのか、何かの小動物みたいに膨れ上がっている。

 旭は予想通りすぎる結果にため息をついてベッドから起き上がった。レオノールはそれを見て必死を米を飲み込み、半分以上米を残して旭に器を渡そうとする。



「……いらねぇよ」


「はぁ?! 俺が丹精込めて作った米が食えねぇってのかよ!」


「さっき吐きそうになってたじゃねぇか! 食えるかそんなもん!」



 ギャーギャーと旭とレオノールは子供じみた言い合いを続けると、いつの間にか眠気はどこかへ吹き飛んでいた。

 ひとしきり暴れ回って疲れ果てた2人はベッドに倒れ込んでようやく落ち着いた。びちゃびちゃの米はすっかり冷えきってしまい、およそ食べ物には見えない姿に変わり果てている。



「で、ここはどこだよ」



 冷静になった旭は起き上がってレオノールに問いかけた。いつも過ごしているギルドの宿ではなかった。身に覚えのない部屋を見渡して旭はレオノールを見た。



「ここは……なんだっけ。あげぽよ寮?」


「んなバカみたいな名前なわけねぇだろ」


「いや、ほんとにそんな名前なんだって!」


「もういい……どっかの寮だってことは分かる」



 レオノールまで記憶障害を受けているのか一瞬心配になった旭だったが、レオノールは元からそんなやつだったと納得することにした。特に物覚えに関して言えばニワトリの方がまだマシだと思えるくらいだ。人の名前なんて覚えるつもりすらないらしく、レオノールは未だにクラス・アステシアの生徒の名前を覚えきっていない。



「まずは、を理解する必要がある」


「ま、そりゃそうだな。最近のことから振り返ってくか」



 レオノールはベッド横の本棚から魔導書グリモワールを取り出して寝たまま読み始める。やる気があるのかないのか分からない態度ではあるが、それなりに協力はしてくれる。



「神精樹の古書館のことは?」


「覚えてる。なんかの襲撃と、クソ強え魔法使いと戦った」


「あぁ、あいつ。何者だったんだろうな」


「興味ねぇ」



 もう読み飽きたのか、レオノールはパタンと魔導書グリモワールを閉じて旭に次の質問をする。



「そういや、お前の得意魔法は? 性質とか調べただろ」



 どうせ『火』だろうけど、とレオノールは付け足し、今度は本棚から別の魔導書グリモワールを手に取る。だが、次の旭の言葉を聞いて、その手はピタリと止まってしまった。



「いや、『火』じゃなかった」


「……はぁ?」


「俺も間違いだと思って何回も試したんだがな。何をどうやっても結果は変わらなかったんだよ」


「で? なんだったわけ?」



 レオノールはさっさと教えろと言わんばかりに顔を近づけて旭に問い詰める。隠すようなことでもないと旭は一息ついてからなんの躊躇いもなく言った。



「『光』だった」


「…………嘘だろ」


「俺もそう思ったんだけどな」



 話が逸れていることに気づいたレオノールは白紙に会話の内容をメモすることにした。もちろん、旭の得意魔法が『火』ではなく『光』だったこともバッチリ書き記し、レオノールは次の質問に移る。



「その前は〜……あれだ、師匠せんせいが天災についての授業中したんだっけ」


「それは覚えてる。いきなりだったし、絶対に天災の話なんてしないと思ってたんだけどな」



 紙にはレオノールの雑で癖のある字で『師匠せんせい、天災の授業。記憶○』と記された。次の質問をする前に、レオノールは旭と同じくらい必死に過去の出来事を思い出そうとする。ここまで来ると、本当にレオノールも記憶を失っているのではないかと心配になってしまう。



「あ〜、あれだ。お前、大広間で派手に暴れたって話があったろ」


「それは忘れねぇな。ちゃんと覚えてる。何があったのかも明確にな」



 旭は首にかけた殺生石のネックレスに目をやって次の質問に移るようにレオノールに言った。メモ紙には『旭、大広間で大暴れ。記憶○』と記される。



「おい、意味もなく暴れたわけじゃねぇぞ」


「え? でもそうなんだろ?」


「いやあれは……」



 否定しようとして声に出してみて、旭は違和感に気づいた。大暴れしたというのにも、八重と戦ったという理由がある。妖が見えない人たちからすれば、もちろん何の意味もなく旭が暴れただけのようにも見えるが、実際はそうじゃない。


 問題はそこではなかった。



「八重と、戦って……?」



 。どうして八重と戦うことになったのか。なぜ殺生石を持っているのか。あの日の出来事は思い出せるのに、そこにあったはずの重要な何かが抜け落ちている。旭はそんな感覚がしていた。



「……レオ、続けろ」


「その前のことなんて俺も覚えてねぇよ。ん〜……多分、入学式の前後だろ? なんかあったか?」



 旭は思い出す。思い出す。何かがあったということだけが、旭の記憶に刻まれていた。入学式の後、誰かと会った。誰かと、何かを話した。



「……俺は……何を忘れてる?」


「あぁ! そうだ!」



 レオノールは何かを思い出したのか大声を出して言った。



「お前、入学式の後にエストレイラと会ったって言ってたろ。帰ってきてそうそう『あいつは嫌いだ』とか言って」


「……それだ。それは覚えてない。多分記憶障害の影響だ」


「ってことは、それより前の出来事を忘れてんのか? でも、俺らのことは覚えてるよな」


「違う」



 旭は鋭く低い声で否定する。旭はようやく理解した。自分が何を忘れているのか。何を忘れ。最悪の事実を、旭は淡々と何の感情もなく言葉にした。



「俺は、



 旭は、モニカとの記憶を失くしていた。

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