枯れ落ちていく

「腹減った〜!」


「同感だ! 腹ごしらえとしよう!」



 焚き火の前で、レオノールとダモクレスが腹時計を鳴らす。尋常ではない早さの回復を見せた反動か、2人の腹は背中とくっついてしまうほど空いているらしい。片や、まだ辛そうに地面に寝そべっている国綱はそんな場合ではないらしく、2人の言葉を聞いて頭を抱えた。



「……僕は動けないから、行くなら勝手に行ってくれ」


「よっしゃ、行こうぜダモクレス!」


「ウサギかキツネか……美味い肉が食いたいな!」


「ふ、2人だけじゃ危ない! 僕もついていくよ」



 そう言うと、レオノールを先頭に、ダモクレスとウミストラは薄暗い闇の奥へ消えていった。ただの魔獣程度ならば、あの3人がいれば問題はない。国綱が唯一抱いていた懸念は、あれきり姿を見せない赤褐色の怪物の存在だった。

 レオノールとウミストラは先程の戦闘で魔力を使い切っている。ほとんど万全の状態にも見えるダモクレスは、どうやら武器の影響で調子が悪いらしい。



「……お前はどう思う、旭」


「え〜、腹は減ったけど……」


「誰が飯の話をしろって言ったんだよ」



 寝込んでいるというのに的確なツッコミをする国綱を睨みつけ、旭は悪態をつく。国綱はそんな旭を無視して真剣な口調で言った。



「あの怪物のことだよ。お前は何か知ってるんじゃないか」


「なんで?」


「勘」



 スラリと国綱はそう言ってみせる。一概に『勘』と国綱は言っているが、単純な思考でそこまでたどり着いたのではない。



「あの怪物もそうだが……1番知りたいのはお前だ、旭」



 旭と国綱は極東に生まれ、極東で過ごし、孤児として獄蝶のジョカに拾われた。無論、国綱はのことも知っている。



「騎獅道の銘、秘められた力。そしてなによりお前……妖と繋がっているな」


「……ま、話すようなことはなかったけど、見えるよな。お前も」



 蒼い空を、そらの星を見る者はすぐ側にいる。ノーチェスでは普通ではないことも、海を渡れば常識は変わる。極東には、空を覆う天蓋など存在しない。目を覚ませばそこには晴れ渡った空があり、夜になれば月と星が顔を出す。

 人と妖の壁を超えるもの達。モニカは物心ついた時から妖を視認できるようになっていた。旭は‪”‬焔‪”‬によって死に近づきすぎたことによって妖が視えるようになった。

 では、国綱が妖を死人できるようになったきっかけは、一体なんだと言うのだろうか。旭のように魂を削る危険な力を使うわけではない。気になった旭は国に問いかけた。



「で? なんで妖が見えてるんだよ」


「何を今更。何度も説明しただろう?」


「……はぁ? そんな話いつした?」



 旭はとぼけているのか、首を傾げて疑問符を浮かべる。冗談だろうと、国綱は旭の様子を気にすることなく話を進めていった。



「というか、問題はあの怪物の方だ。旭なら何か心当たりはあるだろう?」


「……あ〜、ちょっと待て。今思い出すから」


「しゃんとしろ。あの怪物の手がかりはお前だけなんだから」


「…………あぁ、今……思い出す」



 旭は頭を抱えて喉元で使える記憶を掴み取ろうとする。だが、覚えているはずの、刻まれているはずの記憶は旭の手を砂のように抜け落ちていく。

 徐々に旭の呼吸は激しくなっていった。異常な事態に国綱もようやく気がついたのか、心配しているような口調で旭の名前を呼ぶ。



「なん……だ?」


「旭? 大丈夫か?」


「………………?」



 記憶が枯れ落ちていく。


 華のように咲いていた輝かしい思い出が、絶対に忘れないと心に決めた景色が、必ず守ると誓った約束が。忘れてはいけない大切な記憶たちが、ぼろぼろと崩れ落ちていく。

 旭の瞳孔は開ききって定まっていない。国綱は意識が朦朧としている旭の肩を揺らし必死に語りかけ続けた。名前を呼び、返事をする度を旭の声は小さくなっていく。



「くっ……瀉血する! 痛むから、歯食いしばれよ、旭!」


「止めよ。そんなことせずともよい」


「っ!? 誰だ!」


「まったく……今の世は奇妙なものよな。こうも理を破るものがいるとは……おや?」



 旭が首にかけていた殺生石から八重が顔を出す。辺りを見渡し、国綱と目が合うと、八重は思い出したように目を見開いた。国綱は宙に浮く八重を見てすかさず刀を抜こうとした。



「その気配……妖だな。何故旭に取り憑いてる! これもお前の仕業か!」


「まぁ落ち着け。今はこの調子だが時が経てば元通りに……」


「黙れ! 妖の言うことに耳は貸さない!」



 国綱が刀を抜こうと力を込めた。腕だけではない。全身に、刀を握る指先から足、つま先にまで。一歩踏み込み、国綱は刀を振るう。だが―――



「……なっ」


「血気盛んはよいことだ。だが……時と場合、そして相手を見定めよ、愚か者が。妾を誰と心得る」



 刀が鞘から抜けることはなかった。何か細工がされているはずはない。八重の押しつぶされそうな威圧感。それだけで、国綱は刃を振るうことすら許されなかった。



「それと、これは妾のせいではない。妾の依代を傷つけるような真似はせん」



 そんなことを話しているうちに、だんだんと旭の容態は良い兆候を見せていく。荒々しかった呼吸は穏やかになり、調子を取り戻していった。

 八重は旭の頬に手を当て、悪霊とは思えない微笑みを浮かべて優しく言った。



「旭、気分はどうじゃ?」


「……八重。俺は、?」

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