悪夢 ―3―
化け物らしく甲高く、声とも呼べない奇声を上げて、赤褐色の怪物が襲いかかる。迫り来るのは、旭の身長ほど大きな手。果実を絞るように、人間を簡単にぎゅっと握りつぶすことができる大きさだ。
「いいのかよ。俺に触れると火傷じゃ済まねぇぞ」
「ッ! バカ旭! 油断するな!」
同じく赤褐色の怪物と対峙している国綱が勢いよく振り返り旭を怒鳴る。その時国綱が見た旭は、全身に焔をまとい、余裕にも見えたが、眉間に皺を寄せる旭の表情はどこか辛そうにも見えた。旭は無意識に、焦げ付いた右手に力を込める。
「っはは! 理性ってもんはねぇのかよ、こいつら」
旭の額から流れる汗は滲み出た瞬間に蒸発していく。それほどの温度の熱を、焔を旭はまとっているはずだった。
「なんで怯まないんだよ……!」
だが、怪物は止まらない。もうすぐそこにまで迫っているどす黒く赤い手を見て、旭は身を震わせる。尋常ではない威圧感。旭はそれに気圧されていた。
「旭! ”焔”を使え! 何を躊躇っている!」
(分かってる! けどダメなんだよ、今は!)
旭はまた、右肩から胸にかけて焼き付くようなじわりとした痛みを感じる。焦げ付く痛み。八重の言う通り、旭に刻まれた死の印は”焔”を使う度に広がっていった。痛みで動けなくなるほどではない。だが、僅かとはいえ、その痛みで旭の動きは鈍った。
「くそっ……何をしているんだ、旭!」
咄嗟に国綱は旭の援護に入ろうと駆け出す。だが、その動きを静止させたのは、他でもない旭だった。
「来るじゃねぇ! 自分の心配しやがれバカが!」
その直後だった。痛みで動きを鈍らせた旭は怪物に握りつぶされそうか勢いで捕まえられ、怪物から目を逸らした国綱は、背後からの攻撃をモロに喰らい殴り飛ばされた。
「旭!」
「国綱君!」
2人を呼ぶ声に返事はなかった。怪物に殴り飛ばされ、大木に衝突した国綱はガクンと俯き、全身に力が入っていなかった。背中を強打し、気を失っているのか、ピクリとも動かす様子はない。
だが、それよりも状況が深刻だったのは旭だ。ギリギリと拳を握る力を強める怪物は、まるでその行為を楽しんでいるかのように口角を釣り上げる。旭が抵抗できないまま数秒経つと、身体中からバキッと何かが折れる音がした。
「”
レオノールの渾身の一撃も虚しく、怪物は怯みもせず旭が痛みに悶える姿を楽しんでいる。ゲラゲラと不快な笑い声を上げ、不気味なほどつり上がった口角と感情を捨てたような瞳はまるでピエロのようだ。
「おい、どうすんだよウミストラ! なんかできねぇのか!」
「何かって……あんなの相手に何すればいいって言うんだよ!」
レオノールは何度も攻撃を試みるが、怪物には傷すらつかない。それどころか、レオノールは2体目の怪物に手一杯で旭を助けることさえできなくなってしまった。ウミストラはその光景を、子鹿のようにぷるぷると震え、ただ見ていることしかできなかった。
修羅場慣れし、多くの死線をくぐってきた旭たちとは違う。ウミストラの反応こそ正しいものだ。だが、ただ見ているだけで倒せる敵など存在しない。旭は最後の力を振り絞って、立ち尽くすウミストラに伝えた。
「…………み、ず」
「えっ? み、水がなんだって!?」
言葉の続きを求めるも、旭はそれきり何も言わなくなってしまった。
(水? 僕がやれって?! どうやって!)
旭の焔も効かない。レオノールの雷も効かない。そんな相手にできることなどない。ウミストラはそう思っていた。何の意味もない。無意味だと、ウミストラは何もできないと悟る。
「ウミストラ! やれ!」
「何を!? 僕にできることなんて――」
「うるさい……」
ヌっと気配もなく、ウミストラの背後からボロボロになった国綱が顔を出す。低い声で、動くのも辛いであろう身体を引きずって歩いてきた。
「君たちのデカい声で目が覚めたよ。たまには役に立つね」
「国……綱君」
「いいかい、ウミストラ。無意味なことでも、無価値なことは絶対にないんだ。大切なのは、目の前の目を背けたくなる現実に挑むことさ」
諭すように国綱は優しくウミストラに語りかける。ウミストラはその言葉を聞くと、覚悟を決め、魔力を一点に集中させる。ただ、一つにのみ、鋭く、研ぎ澄まされたような魔力が練られていく。
優しく、うねるように水は一点に集い、形を成していく。波打つように広がっていくウミストラの強大な魔力の波紋を、赤褐色の怪物も感じ取った。旭を手に握りしめたまま、怪物は逃げようと走り出す。
「逃がさないよ」
背を向けたその瞬間を、ウミストラは狙い撃つ。
「”
水は渦を巻き、鋭く、穿つ槍のなって並んだ2体の怪物に風穴を開けた。とてつもない質量の水は一点に集中し、万物を撃ち貫く槍となる。怪物を貫通すると、そのまま”海王の槍”は止まることなく、直線上の木や岩などの障害物をことごとく貫いていった。だが――
「……なんで、あれで倒れねぇんだよ」
赤褐色の怪物は未だ倒れず、動きすら鈍らず走り続けていた。力は緩まず、依然として旭は握りしめられたままだった。
「君の欲しかったもの、確かに届けたよ」
けれど、火に水は注がれたようだ。
「……おう。ちょうど、喉乾いてたんだよ」
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