第53話「青空」

【鎌倉高校前駅 15:55 p.m.】


カンカンカンカン


遠くの方からでも踏み切りの特徴的な音が聞こえてくる。私は今日出会ったばかりの女の子と二人で学校を早退することになった。担任の教師に早退することを伝え、教室に置いていたバッグを取りに行った。授業中だったためか5時間目の授業の教師と同じクラスの生徒の視線が辛かったのでそそくさと教室に後にした。早退するなら普通、真っ直ぐ家に帰るべきなのだろうが私達はなぜか鎌倉にいる。


「なんで鎌倉?」


スマートフォンのマップアプリを確認しながら道を進む日代唯愛という女の子に話しかけた。わざわざ江ノ電に乗って鎌倉高校前駅まで来る必要なんてあったのだろうか。女の子は私の方へ立ち止まり、振り返ってこう答えた。


「この駅の近くの踏み切りがアニメや漫画の聖地として有名なんだって!神奈川に住んでるんだから一度は行っておこうと思って。」


「えー」


そんなことのために私も連れてきたのか。彼女は自分勝手な人間だ。神奈川に住んでるならいつでも来れるはずだろう。そんな私の気も知らずに女の子は再び歩き始めた。


「江ノ電の中から見た海、綺麗だったね!」


「.......うん。」


それは否定できなかった。たしかに江ノ電の窓から見た青い海と青空はとても綺麗だと思った。どのタイミングで写真を撮っても最高の一枚になってしまいそうなノスタルジックな風景。乗っている間の時間はまるで古き良きアニメ映画の世界の住民になったような感覚だった。


「あ、着いたよ!」


ユイアという女の子の特徴的なハツラツとした声に驚き、顔を上げる。そこには江ノ電の踏み切りとその先に視界いっぱいに広がる水平線があった。ここからでもさざ波の音が聞こえてくる。どこかの木から蝉の声と風鈴の音、照りつける太陽の光、私の見ている世界は夏を感じさせるもので満ちていた。


「いいね。ノスタルジックな青春って感じがして!私達のセーラー服もいい味だしてる!」


「うん!ソーダの棒つきアイスとかラムネ瓶を持ってたりして!」


「いいじゃん!夏って感じがして素敵だよ!今からコンビニまで行っちゃう?」


「いこいこ!あ、でも......調べたらこの近くコンビニがないみたい。ここまで戻ってくるまでに溶けちゃいそう。」


「そんなーーー!!」


二人で踏み切りの近くで残念がっていると日傘をさしたおばあちゃんが奥のほうからやってきた。片方の手にレジ袋を持っている。どうやら買い物帰りのようだ。ユイアはそのおばあちゃんに気づいた瞬間に元気な声で「こんにちは!」と挨拶をした。私も少し遅れて挨拶をするがユイアのように元気な声はすぐに出なかった。


「こんにちは〜見ない制服だね。」


「学校が早く終わったんで観光に来たんです!」


「そうかい。たしかにここの踏み切りはよく観光客が写真を撮っているよ。良かったら私が写真とってあげようか?」


「いいんですか!」


ユイアはスマートフォンをおばあちゃんに手渡すと私の手を引いて踏み切りの近くまでいくとおばあちゃんが向けるスマートフォンに向かってピースした。私も続けてピースをとる。そもそもあのおばあちゃんにスマートフォンを使えるのだろうか。


「それじゃあいくよ。はいチーズ。」


「チーズ!」


「チーズ......」


カシャ


おばあちゃんは少ししわくちゃになった手でスマートフォンの画面を押す。


「ありがとうございます!」


「ありがとうございます。」


「おや、一枚でいいのかい?」


「「え?」」


次の瞬間、おばあちゃんの目つきが変わった。あれは間違いない、プロの目だ。


「ここからが本番だよ!鎌倉に住んで50年!撮った観光客の写真は5000を越えるこのワタシのカメラマン魂が最高の写真を撮れとって言っているんじゃ!お嬢ちゃん!ちょっとカメラの設定をイジらせてもらうよ!!」


「はっはい!」


こうして10分ほどかけて写真撮影が終わった。そしてユイアのスマートフォンの画像フォルダの中のおばあちゃんが撮った写真はもはや芸術の域に達していた。彩度や明るさが全て完璧なバランスで調整され、個展を開けるレベルだ。


「うわー!すごーい!ありがとうございます!」


「すっごい綺麗!」


「モデルが良かったんだよ。それじゃあワタシは帰ろうかね。」


おばあちゃんはそう言って優しく微笑むと日傘をさして立ち去ろうとした。私達は再びお礼を言って手を振り、おばあちゃんが曲がり角を曲がって姿が見えなくなるまで見送った。


「ねぇ、日代...さん。その写真送ってもらっても...いい?」


「うん!いいよ。それと名字じゃなくって下の名前!ユイアって呼んで!」


「ユイ...ア。ちょっと恥ずかしいね。」


「じゃあアサヒ!このまま海に行っちゃおうか!」


ユイアはニカッと笑うと再び私の手をとった。あの踏み切りを渡って視界いっぱいに広がる青い海と青い空に向かって走り始める。走るに連れて波の音が大きくなっていく。そして数分で私達は砂浜までやってきた。


「砂がサラサラだよ!」


周りを見渡すと平日の昼だからだろうか、奇跡的に人は私達以外誰もいないようだ。きっと夏休みに入るとこの砂浜には他県からやってきた大勢の観光客で溢れるのだろう。だが、今だけはこの海と砂浜は私達の物だ。


「ねぇ、アサヒ!もっと海まで近づいてみようよ!」


「あまり近づいたら靴が濡れちゃうよ!」


私がそう言うとユイアは学校指定の革の靴と白い靴下を脱ぐと海に向かって楽しそうに走り始めた。私も慌ててユイアの後を追う。海からやってきた波がユイアの白くて綺麗な足に被さっていく。


「アサヒもおいでよ!涼しいよ!」


普段の私なら濡れたくないという理由で遠くの方から見るだけで終わってしまうだろう。だが、今日の私は変なんだ。今日会ったばかりの知らない女の子と一緒に早退して電車に乗って海までやって来てしまうなんてことはしない。ユイアは先ほどと同じような無邪気な笑みをこちらに向けている。あの笑顔のせいだ。私が変になったのはこの子の笑顔と夏のせいだ。


「うん!」


私は後先も考えないまま靴と靴下を脱いでユイアがいる海に向かって走り出した。砂浜を素足で走るなんて今まであっただろうか。海からやってきた冷たい波が足に当たって気持ちがいい。


「ほんとだ!すごく気持ちいい!」


私がそばまでやってくるとユイアは両手をお椀の形にして海水を集めると私の足に打ち水をするように水をかけた。私の制服を濡らさないために足に水をかけたのはユイアなりの優しさなのだろう。


「やったなー!」


私も同じように両手でお椀の形にしてユイアの足元に水をかけた。すごく楽しかった。私とユイア以外は誰もいない世界。この時間が永遠に続けばいいと思ってしまった。数分後、私達は石の階段に座って青い空と海を眺めていた。海から運ばれてくる風が心地がいい。


「ねぇ、なんでユイアは私と一緒にここに来たの?」


私がそう尋ねるとユイアは少し考えると空と海を眺めながらこう答えた。


「ここに来れば、嫌なこと忘れられるかなって思って。どう?嫌なこと忘れられた?」


「......」


ユイアに言われるまで学校であった嫌なことなんて頭の片隅にもなかった。それだけ二人でいる時間は楽しかったのだ。だが、明日になれば学校が始まる。また嫌なことが増えてしまう。


「ねぇ、ユイア。」


「うん?」


「ユイアは誰かを殴ってやりたい...って思ったことはある?」


私の言葉にユイアは少し考えたあとに口を開いた。


「分かんないや。......でも、暴力で解決するのって悲しいことだと思う。暴力を振るった時点で言葉で解決することが難しくなるから。」


「暴力でも言葉でも解決できないなら......心が痛い人は「逃げる」しかないのかな。」


「......逃げるってどこへ?」


「......」


「じゃあ、一緒に逃げちゃおうか。」


「え?」


ユイアが何を言っているのか一瞬理解できなかった。一緒に逃げるというのはどういう意味だ。そういう意味なのか。


「私ね。夏休みが終わったら引っ越しちゃうの。」


「引っ越すって......どこへ?」


「東京だよ。だから神奈川で思い残したことを夏休み中に全部やっちゃおうと思って。......ねぇ、アサヒ。一緒に来ない?」


「え......あ、その......」


「無茶なこと言ってごめん。でも、後悔したくないから。あなたをあの学校に一人残して東京に行くなんて私にはできない。」


嫌だ。夏が終わったらユイアはいなくなってしまう。またあの学校で一人ぼっちになってしまう。あぁ、どうして私は今日会ったばかりのこの子がいなくなることがこんなにも、こんなにも恐ろしいのだろう。ユイアは私にとって何なのだろう。


「なんでそこまで私を気にかけるの?」


「......アサヒは私の大切な友達だから。」


本当にずるい人だ。ユイアは私が欲しい言葉をかけてくれる。


「私ね。ずっと友達が欲しかったんだ。昼休憩になったら一緒にご飯を食べて、放課後はオシャレなカフェに行ったり、ゲームセンターでプリクラとかカラオケとか。浴衣着て花火大会の縁日でかき氷食べたりとか。」


「うん。」


ユイアは私の話を笑わずに聞いてくれる。


「ユイアとがいい......ユイアと一緒がいい。」


話すうちに涙腺が緩くなって涙が溢れてきた。別に映画を観て感動しているわけでも転んで痛いわけでもない。ただ、自分が思っている本音を言葉にしているだけなのに。どうして涙が止まらないのだろう。


「うん、私もアサヒと一緒がいい。アサヒがやりたいこと全部一緒にやろう。」


そう言ってユイアは私の背中を優しくさすってくれた。汗が滴る暑い夏なのにユイアの温かい手は心地が良かった。


「いいの?......私が一緒に行っても。」


「うん。二人一緒ならこの先なにがあっても大丈夫な気がする。」



ユイアには「ヒーローになる」っていう夢がある。他の人に言うと笑われたりしたことがあるらしい。でも、私は決して他の人のように笑ったりなんてしない。だってユイアは私の話を笑わずに聞いてくれたから。それに、ユイアは私にとって最高にかっこいい「ヒーロー」だから。私にはそんな大きな夢なんてないけど、だからこそ大切な友達の夢を応援するんだ。ユイアのそばにいるだけで私は幸せだから。








青空はまるであなたのよう、













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