第81話 絶望の種

「きゃああっ」

 巨大な龍の骨は、突如動き出した。その下にいたカテナか悲鳴を上げる。

 ヘルートは砂を蹴り上げて走った。

 骨はカテナの存在などまるで気に留める様子もなく、ゆっくりと身体を起こした。

 その拍子に数本の細い骨が落ち、地面に大きな砂の波紋を作った。

「核だ」

 風にきしむ建付けの悪いドアのような声で、炎王龍の骨は言った。

「核の存在を感じるぞ。核を持ってきたのか」

「持ってきたが、渡せん」

 ヘルートは骨の前に立ちはだかる。

「儂の方で必要なのでな」

「そんなものはくれてやる」

 炎王龍は骨をきしませて笑った。その振動でまた、骨が数本ばらばらとこぼれる。

 ようやくヘルートのもとに辿り着いたカテナは、息を切らしながらその背中に隠れた。

「余も、こんな身体に用はない」

 炎王龍は言った。

「次に余がこの世界に現れるまで、短い平和を謳歌するがいい」

「ねえ、ヘルート」

 カテナが老魔法使いに囁く。

「どうしてこの骨、動き出したの。まだ生きてるの」

「いえ、生きてはおりますまい」

 ヘルートは答えた。

「おそらくは太陽の石に反応して動いているだけです。これは炎王龍の残像のようなものでしょう」

「残像……?」

 カテナは目を見開いて目の前の巨龍の骨を見た。

「じゃあ、本物が喋ってるわけじゃないのね」

「ええ。さしずめ抜け殻が本物の真似をしているといったところですかな。ですから、そう心配することもないですよ」

「じゃあ聞こうよ、ヘルート」

「は?」

 ヘルートは思わずカテナを振り返る。

「何をです」

「太陽の石の使い方だよ! それで永久氷壁を溶かせるのかどうか! 本人に聞くのが一番手っ取り早いじゃん」

「……ああ」

 ヘルートは微笑んだ。

「本当にカテナさんは賢い」

「誰でも思いつくよ、それくらい」

「儂は思いつきもしませんでした」

 ヘルートは王龍の骨に向き直る。

「魔物に助言を求めるなど」

 それから、老魔法使いは一歩前に進み出た。

「炎王龍。あんた、これを溶かすことができるかい」

「何?」

 炎王龍の骨は、空っぽの眼窩をヘルートに向けた。ヘルートがかざした永久氷壁の欠片が太陽の光を受けてきらめく。

「氷王龍の真氷ではないか」

 炎王龍は言った。

「面白いものを持っているな」

「さすがにあんたでも、これを溶かすことはできまい」

 ヘルートは挑発するように言った。炎王龍は、首をぎしぎしと揺らす。

「王龍は、それぞれが対になる存在。真氷といえど、我が真炎であれば溶かすことはできる」

「ほう」

「だが、人間にはどうあがいても無理な話だ」

 その声に、嗜虐的な響きが混じっていた。おそらく肉と皮が残っていれば、にやりと口を歪めて笑っていたことだろう。

「汝らでは、決してその氷を溶かすことはできぬぞ」

「これがあってもか」

 ヘルートは、太陽の石を掲げた。本来の肉体を前に、今や太陽の石は心臓のように大きく脈打っていた。

「核」

 炎王龍は言った。

「そうか。人であっても、それを用いれば一度や二度は真炎を作れる」

「どうやって」

「知らぬのか。ならば、教えぬ」

 楽しそうに、炎王龍はヘルートの問いを遮った。

「悩め。悩んで悩み抜いて、答えを得られぬまま絶望して死ね」

「なんだ、やっぱり溶かせねえんじゃねえか」

 ヘルートは舌打ちした。

「王のくせにたいしたことねえな。器の小せえ野郎だ」

「余を挑発して、望みのものを引き出そうとするか」

 炎王龍はあくまで楽しそうに言った。

「よかろう。それならば、助言をやろう」

「助言だと?」

「よいか。核だけでは足りぬ」

 声を潜めて、秘密を告白するように炎王龍は言った。

「核を動かす鍵を探せ。この世界のどこかにある」

「鍵か。それはどんな形をしてるんだ」

「そこまでは教えられぬ。だが、核と適合するものだ。手にすれば、それが鍵であると自ずと分かるだろう」

「……そうか」

 ヘルートは頷いた。

「ありがとよ」

「定命の人間には、残された時間も余りあるまい。急ぐがいい」

 炎王龍はそう言った後で、ふと思い出したように尋ねた。

「そうだ。余を討ったあの人間どもはどうしている」

“光の剣”のことを聞いているのは、カテナにも分かった。

「みんな立派にやってるよ」

 ヘルートが答える。

「あんたを倒したおかげで、大英雄だ」

「そうであろう。だが、長くは持つまい」

 炎王龍は、空っぽの喉を鳴らすようにして笑った。

「人間の時間でどれくらいかかるのかは分からぬが。そう遠くはないはずだ。種を蒔いたからな」

「何?」

 ヘルートは眉をひそめた。

「種? 何の」

「絶望の種だ」

 炎王龍は言った。

「あの日、余は選んで殺した」

 それだけ言うと、骨は突然、糸の切れた操り人形のように地面に崩れ落ちた。

「きゃあ」

 カテナが悲鳴を上げる。骨はもう動かなくなっていた。そこに宿っていた何かがすでに去ったことは、カテナにも何となく感じ取れた。

 ヘルートは無言で歩み寄ると、骨の一部にごくわずかにぼろきれの様にこびりついていた皮を剥ぎ取って、太陽の石をくるむ。

 あるべきところに収まったかのように、太陽の石は拍動を弱めた。

「さあ、行きましょう」

 ヘルートは言った。

「ここにはもう用はない」

「次はどこに行くの」

 カテナが尋ねる。

「炎王龍の言ってた、核を動かす鍵を探しに行くの?」

「そんなものはありませんよ」

 ヘルートは答える。

「これを動かす鍵は、儂自身の手の内にある。おそらくは、儂が気付いていないだけで」

「え? でも……」

 カテナは困惑した顔でヘルートを見た。

「さっき、炎王龍が世界のどこかにある鍵を探せって教えてくれたじゃない」

「王龍は真実を語りません」

 ヘルートは静かに言った。

「魔物とは、そういうものです。儂がありもしない鍵を探して世界中を歩き回った挙句に、絶望して野垂れ死ぬようにと、あんなことを言ったのでしょうが」

 ヘルートは微笑んでいた。

「逆に、それで確信しました。ほかに鍵などない。この太陽の石で、永久氷壁を溶かすことができる。その手がかりは、もう儂が持っている」

「……うん」

 カテナは頷いた。魔物は、嘘をつく。

「そうだね。私もそう思う」

「行きましょう」

 ヘルートは、カテナの頭を優しく撫でた。

「北の果て、永久氷壁に」

「永久氷壁……」

 カテナは呟いた後で、頷いた。

「そこにあの女の人が待っているんでしょう。私が夢で見た人」

「分かりますか」

「うん。ヘルート、そういう顔をしているもの」

「道中、昔話をしましょう」

 ヘルートはもう歩き出していた。

「少し、長い話になりますぞ」

「いいよ」

 そう答えて、カテナはヘルートの後を追った。

「北まではだいぶかかるもの。ヘルートとその人のことを、私にも教えて」

「何から話せばいいですかな」

 ヘルートはこの老人にしては珍しく、迷ったように顎髭をしごいた。

「まずは、護民兵団にいた頃のことからですかな」



(第八章 完)



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