#2

 彼女と初めて出会ったのは六年前の春。


 社内恋愛に決まりが一切ないウチの会社にやって来た彼女は容姿端麗で将来有望。その上お家柄が立派となれば、初出勤の日から注目の的になるのは当然だった。


 印象的でありながらも大き過ぎず、少し憂いの色を織り交ぜた柔らかな双眸、スラリと通った嫌味のない鼻筋、桜の花弁を纏うように上品で繊細な唇──。


 その何もが精巧な人形細工のように完璧でありながら、全く鼻にかけた様子もない凛とした雰囲気には好感が持てる。


 幸い、彼女の顔を横目でそっと盗み見た僕は職場で目立つ事のない地味でありふれた一般人のヘタレだったので、彼女を狙っているエリートでキザな連中に目を付けられる心配もなく空気となって仕事を続けた。


「あの……すみません」


 結局居心地が悪くなってトイレへ逃げ出した僕は、後ろから掛けられた声に耳を疑う。その声はさっき初めて聞いた透明感のある女性の声で、振り返らずとも僕はそれが誰であるかを悟った。


「何?」


 緊張と彼女に対するある種の恐怖感でかなり突慳貪に答えた僕は、真っ直ぐに僕を見つめる彼女の眼差しが擽ったく感じて、すぐに目を逸らす。


 彼女は僕の心情を知ってか知らずか、特に気にした様子もなく言葉を続けた。


「私、今日からここで働かせて頂くことになったのですが……」

「知ってるよ……それで?」

「お手洗いに行きたいんですけど、場所が分からなくて……」


 あからさまに話を切り上げたいオーラを出す僕を無視し続ける彼女は、少しだけ恥ずかしそうに「教えて頂けませんか……?」語尾を弱める。


 その様子がいじらしくて少しだけ返答に時間が掛かった僕は、「あぁ」とだけ吐き出してさっき来た道を戻った。


 就職活動で幾つか出した希望のなか、たまたま受かったこの職場は小さいながらも一応は三階建で、確かに少し構造が分かりづらい。方向音痴の僕は入社して数ヶ月ぐらいはかなり苦労して覚えた記憶がある。


 だから彼女が社内を彷徨ってしまった気持ちもよく分かった。しかしながら、よりによって関わりたくないと思っていたこのタイミングで出会でくわすなんて、僕もなかなかついてない。


「着いたよ」


 自分でもなんて感じの悪い野郎だと自嘲しつつ彼女をトイレまで案内した僕は、関わりを断ちたくてすぐに身を飜す。


「ありがとうございます……助かりました!」


 しかし、陽気にふふふっと微笑んで丁寧に頭を下げた彼女は、彼女の性格を表すような繊細で真っ直ぐな髪を揺らして丁寧に御礼を述べる。


 僕は彼女が一瞬時を止めたんじゃないかと思うほど脳裏に焼き付いた笑顔に不本意ながら目を惹かれるような気がした。

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