7.リタイア帰郷

 十数年ぶりの再会だから、それは違和感はあるだろう。

 慧お兄さんに奇妙な違和感を抱いたことは、それで収めることにした。


 咲耶のアミューズワンプレートを沢山撮影して顔を紅潮させ、ほくほくなご様子でスマートフォンを眺めている慧兄さん。

 そんな彼を見ていて、咲耶にはひとつ心配事が浮上する。


「あの、慧さん。その画像、七海に送信したりしますか?」

「え? ……いや。さくちゃんが札幌にいることがわかってしまうよね。咲耶ちゃんが親友の七海に告げていないことを、兄の俺からわかるようには言わないよ」


 そこは大人のお兄さんらしく、言わなくても弁えてくれているので咲耶も胸をなで下ろした。

 アミューズワンプレートも嬉しそうにはしゃぎながら食べてくれる。次は、和食料理人の父がちょっとした刺身をひと皿、慧へと差し出す。一口サイズの手まり寿司付き。それにも慧が瞳を輝かせる。


「ありがとうございます。まるでコース料理ですね」

「自衛官だから、たくさん食べるんだろう。これくらいいけるでしょ。鉄板ステーキはメインというとで、これをつまんで待っていてくれ」


 穏やかな笑顔の彼が箸を取って、父の料理を食べ始めた。

 そこで父娘は揃って気がついたのだ。『あれ? お父さんの料理は撮影しないの?』と――。せっかく収めた違和感が再浮上。

 でも『うまい、うまい』と、極上の笑顔で頬張っている様子を見てしまうと、どうでもよくなってしまうのが料理人のさが。ここでも流してしまった。


 料理人親子もそれどころではない。焼きの作業にそれぞれはいる。父がステーキ肉を焼き始めるタイミングを見計らい、咲耶はつけあわせ野菜の準備に入る。

 料理人は調理をしながらも、客の動向もきちんと見計らっている。そこで咲耶はまた気がついたのだ。自分の動向も『見つめられいてる』ことに。

 父の刺身盛りをゆっくりと食べながらも、彼は咲耶が調理する姿をじっと見つめている。

 でも……。今度は奇妙な気持ちはわかない。遠く、優しく、見守るような眼差し。でも少しだけうっとりしているように見えるのは、気のせい?


「聞いていいかな。どうして七海にまだ言えずにいるのか」


 輪切りにしたタマネギに焼き色を付けながら、咲耶は気後れする心持ちで伝える。


「言えば……。七海は仕事を休んで札幌に飛んできてしまいそうで。逆に私も、七海になにかあれば淡路島にすっ飛んでいきますよ」

「なるほど。確かに。突っ走りやすいもんな、七海」


 そこから咲耶は、札幌の帰郷するまでになった事情を明かす。


「部門シェフのリーダー候補に選ばれて、気を張りすぎました。先輩シェフに『腕とセンスがあっても、将来的に体力が足りないと思う』と突きつけられました」


 自分で語ると情けなさが込みあがるばかり。

 プレッシャー負けしたんだと自分でも思っている。

 帰る決意をした決定打は、吐血をしたこと。


 胃潰瘍だった。入院を余儀なくされ、忙しい職場に穴をあけたことで自己嫌悪に陥った。重要な職務に抜擢される前の不手際も、咲耶の自信を喪失させた。とどめは先輩シェフの『将来的に無理』という言葉――。

 東京まで見舞いに来てくれた母の『帰りましょう』という言葉に、咲耶は頷いていた。


 そこまで伝えると、慧兄さんの表情が硬直した。


「血を吐いて……? そうだったのか。つまり、七海はそれも知らないと」

「はい。絶対に札幌に来ちゃいそうと思って。淡路島にいたまま安心してもらえる状態になるまで――と思っていたら、春になっても伝えられませんでした」

「つまり。咲耶ちゃんはまだ、七海に向き合えるほどの『自信』が取り戻せていないんだね」


 ズキリとした鋭い痛みが胸に生じた。

 お兄さんの包み込むような静かな声だったが、言っていることが的確すぎたからだ。そう、持っていた自信のなにもかもが壊れたと咲耶も思っていたからだ。

 そんな彼は、とても落ち着いた静謐せいひつさを漂わす目で咲耶を見据えている。それは大人の男の視線だった。


「まあ、そうだね。聞いたら七海も発狂しそうだと、兄の俺でも思うな。咲ちゃん、妹を気遣ってくれてありがとう」

「いえ……。打ち明けられていないこと、心苦しいままなんです。こんなふうに黙っていること、初めてで……。七海が知ったら怒るとも思っています」


 子供世代のふたりの会話を、父は黙って聞いている。

 その父がついに、フライパンにステーキ肉を置いて焼き始める。

 咲耶も仕上げを急いだ。


「水くさいとは思うけれど、それを全部話したら、妹はすっかり受け入れてくれると思うよ。だって、咲耶ちゃんと七海の長い付き合いは、そんなことで壊れないだろう。一瞬だけ七海が怒りまくりそうだけれど、それだって咲耶ちゃんを大好きだからだよ」


 親友の兄がそう言ってくれると、咲耶もその通りだと思えてくる。

 ちょっと涙が滲みそうになったが、ぐっと堪えて調理に集中する。


「わかったよ。咲耶ちゃんが自分から七海に告げるまで、俺は知らない振りをしておくよ」

「ありがとうございます」

「でも。ここに転属になったことは妹はもう知っていて、『私も咲耶の地元に遊びに行きたいよ。兄ちゃんズルい』とか言われてんの。俺のところに遊びに来そうになったら、即、伝達するね」


 そうか。七海は兄が懐かしい町に転属になったことを知っているが、そこには東京で働いているはずの咲耶いないと思っていることになる。

 慧兄さんが札幌にいるからと、休暇に駆けつけてくる可能性のあるのかと咲耶は焦った。


「咲耶、焼き上がるぞ。ソースの仕上げを頼む」

「わかった」


 仕上げに父と咲耶の位置が入れ替わる。

 父が使っていたフライパンに咲耶が向かい、咲耶がつけあわせの野菜を焼いていたフライパンに父が向かう。


「すごい! 父子の協演ですね。また撮影させてください。そのうちに広島の両親にも、お元気でお店をされていること伝えたいので」


 父が『いいよ』と微笑み許可すると、彼は席を立ってスマートフォンを構えた。


 咲耶は既に調理に集中。父が焼いたステーキを、前もって熱していた鉄板プレートに載せ替える。ステーキの肉汁が残っているフライパンに、みじん切りのタマネギ、すりおろした大蒜にんにく、祖父から伝授された和風合わせ調味料(醤油、砂糖、酢)を投入。タマネギが透き通るまで煮詰める。

 父はつけあわせ野菜を、鉄板プレートへと盛り付ける。

 北海道の春の野菜を選んだ。白蕪、アスパラガス、寝かせたじゃがいも。そしてこの町特産のタマネギ『札幌黄さっぽろき』。炒めると甘みが強くなるのが特徴。栽培が難しいため、幻のタマネギと言われている。『日野家』がこの地域で飲食店を営んできたから使えている素材でもある。


 その幻のタマネギで作るソースが『ステーキハウス・日野』の味。


 最後に、出来上がったソースをフライパンから、ソース用の器ココットへ。鉄板プレートの端に沿えて完成。


「さあ、慧君。できたよ。熱いうちにどうぞ」

「はい!」


 父がカウンターテーブルへと、彼の椅子の前に鉄板プレートをサーブした。彼もスマホ動画撮影を終えて、席へと戻ってくる。

 じゅうじゅうと音を立てている鉄板プレートを見て、またきらきらと目を輝かせている。

 そう、目が綺麗なんだと咲耶は気がついた。

 なんでも嬉しそうにきらきらの瞳で見つめて、元気いっぱいの笑顔を見せてくれる親友、七海にそっくりだった。やっぱり兄妹なんだという親近感が湧いてくる。


「いただきます!」


 ナイフとフォークを元気いっぱいの声で構えた彼を見て、やはり料理人の父娘は顔を見合わせて微笑んでしまう。

 カットしたステーキを一切れフォークで取り、咲耶が作ったソース入りココットへと入れてたっぷりタマネギソースを盛り付け、彼は大きな口を開けて頬張ってくれる。

 はむはむと噛みしめたその瞬間に驚き顔、そして感激して崩れる笑顔。大人の男の顔を見せてくれるのに、愛嬌たっぷり表情も豊かでこちらも微笑ましくなる。そしてやっぱり妹の七海とそっくりだったから、咲耶はさらに頬が緩んでしまった。


「んっまいです! ああ……、あの味のまま、記憶のままです。お祖父ちゃんの味……そのままです」


 今度は目頭を押さえて、ちょっとしんみりとうつむく彼――。

 祖父を思い出して涙目になってくれるものだから、ついこちらももらい泣きしそうになった。


「さすがフレンチで野菜担当だった咲ちゃん。つけあわせの野菜、旨み甘みをかんじて火入れの加減が最高!」


 手がけたものを絶賛してくれ、咲耶の心も温かくなったその時――。

 定休日のプレートを掲げていたはずの店の扉が、勢いよく開けられた。


「営業日じゃなければ、入ってもいいもんな! 肉の匂い、俺にも食わせろ!」


 鷹来先輩だった。出禁にしたはずなのに、おかまいなしに堂々と入ってきた。

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