凄腕陸自パイロットさんの妄想彼女 ~なぜか溺愛され、脳内恋人にされていました~
市來 茉莉
1.それはDQNネーム
山登りが好きな祖父が、山神の娘、美しい女神である『コノハナサクヤヒメ』から名付けてくれた。
それが大人になっても付きまとう日が戻ってくるなんて、思いもしなかった。
北国・札幌市の遅い春。五月になっても外気は寒く、遠い山にはまだ雪が残っている。タマネギ畑ばかりがあるこの町は、平地を這う風が強い。
今夜も実家が営む『居酒屋・ひの』の暖簾がはげしく煽られている。
「おーい、サクヤー。からっぽになったんだわ。ついでくれよ~」
まだ暖房が効いている居酒屋店内。奥の小上がり席から、ほろ酔い加減な男の声が聞こえてきた。
からっぽになった冷や酒のコップ片手にふりふりして、こちらに訴えてくる。
いくらお客様でも、ここ居酒屋ではお酒を注ぐサービスなんてしていないから応えるつもりはない。カウンター席と対面している厨房で、ホッケの干物を焼いている咲耶は無視をした。
「ああん? からっぽになったからオーダー追加って言ってんだぞ。女なら気を利かせられるはずだから、注ぎに来ないってことは『やっぱり男』ってことになるんですけどぉー」
その客は『おまえは男だ、男、やっぱり男!』と喚き始めた。
「おなじ男ならわかるだろ~。『サクヤ君』! 酒、持ってこい!」
小上がりで一緒に食事をしている仲間たちも、にやにやして咲耶を見ている。うつむいている仲間もいるが、彼に逆らえないのか止めようともしない。くすくすと笑っている女性たちもいる。
彼らが咲耶を狙って楽しんでいるのは何故かもわかっている。
あの男は『元いじめっ子』だ。もっと言えば、この地元で顔が利く親を持っている『悪ガキ』だ。彼の周りにいるのは、子供のころからつるんでいる地元の仲間。
「やめなよ~、
「カスハラになって訴えられちゃうよ」
子供のころから『鷹君』とつるんでは、一緒に意地悪を楽しんでいた女性たちまで調子に乗って笑っている。
地元上級生の『鷹君』、
狙いを定めたように毎日毎日、彼は面白おかしく囃し立てた。遠巻きに見ていた関係のない男子に女子も、止めようとしていた女子も、そのうちに笑い出す。悪ノリが好きな女子上級生まで、一緒にクスクスと笑う毎日。ほんの数ヶ月のことだったけれど、咲耶にとっては思い出すと、いまでも心が沈んでいく苦い記憶だった。
子供のころから変わらない。
この地元に帰ってきて父のお店を手伝いはじめると、客の中に大人になった『先輩たち』がいた。
大人になっても子供のころそのまんまの底意地で、しかも一緒につるんでいるのも変わっていないなんて――。地元を出て働いていた咲耶にとっては驚愕の光景だった。
彼らは咲耶が父経営の居酒屋の手伝いをしていると知ると、週に何回も通ってくるようになった。
最初はどの先輩が来ていたかわからない。大人になった先輩の誰かが咲耶が厨房で手伝いをしている姿を知って、リーダー格である『タカ君』こと『
咲耶の帰郷を知った鷹来先輩が、ほんとうに実家経営の居酒屋で働いているのかを確かめるように来店。大人になった彼をひと目見ても、それが意地悪な永谷先輩だと、咲耶は気がつくことができなかった。
永谷先輩が初来店した夜。男性二人組が、カウンター厨房で調理をしている咲耶の目の前に席を取った。
帰郷してから咲耶が店で出すようになった『前菜ワンプレート 北海アミューズ』をオーダーしてくれた。
最初からじろじろ見られていることはわかっていたが、咲耶も『また、地元の人が帰ってきた私を見に来たのかな』ぐらいに思い、素知らぬふりで調理をした。
ただ『うまい……!』と驚いてくれた顔を覚えているだけ。その人があの先輩だと知らなかったから、咲耶も嬉しくなって『ありがとうございます』と微笑み返していた。
なのに。その次に彼が見せたのは、見覚えあるあの意地悪い笑みだった。
そこで久しぶりに呼ばれた。『男みたいなDQNネームのサクヤ君、男みたいなのに料理上手いじゃんか』と――。
その夜から意地悪な鷹来先輩が度々来店してくるようになった。
咲耶が担当しているフレンチ風の新メニューをオーダーしてくれるのだが、『お高くとまったおふらんす帰りですかね~。うまいよ、すっごくうまいよ。美味くなければ、おふらんす行った意味ないもんな』と野次をとばしてくる。しかし『うまい、美味しい』という言葉を混ぜ込んでくるので、結局は苦笑いをしつつも『ありがとうございます』と返すしかない。
たまに他のお客様が『うるさい!』とか『気分が悪い』と声を上げることもあり、そうすると先輩一行は不機嫌な顔になりつつも大人しくはなる。
正直、咲耶がこの店の手伝いを始めたことで、店の雰囲気を悪化させているのではと思い始めている。意地悪い先輩一行がからかいを楽しむために来店してしまうので、店主である父に『私、お店に立たない方がいいと思う』と告げたこともある。
だが父の返答は『いいから。黙って一心に調理しろ』だった。
『一日でも休んだら腕がなまる。味覚が遠のく』。それが父の返答であって、またはおなじく料理人であった祖父の教えでもあった。
祖父、父、咲耶。親子三代で料理人。和食料理人として鍛えてきた父だから、修行半ばで帰ってきた娘がこれ以上挫折しないよう『堪えろ』と叱咤していることもわかっていた。
つまり父はまだ、地元青年たちの『やんちゃ』として静観するスタンスを取るつもりでいるのだと、咲耶は悟ってしまう。
だから耐え忍んでいる。
厨房カウンターでの父は、ホッキ貝を片手に刺身にしようと黙々と調理をしているだけ。
「たいしたことない。言わせたまま、黙って持っていけ。注がなくていい。そんな義務はこの店にはない。注がせようとさせたら、父さんを呼んだらいい」
「うん、わかった」
居酒屋経営をしていれば、悪酔いする客がいるのも当たり前なのだろう。
フレンチレストランの閉じられた厨房で修行をしてきた咲耶には、接客の経験は少ない。父はそれに関しても『調理人には必要な経験でスキルだから、やりこなせ』と言いたいのだともわかっている。
わかっているけれど、不安がつきまとう日々。
さらには、子供のころからあまりかわっていない顔つき『童顔』というところも、見下されがちな要因であって咲耶を悩ませている。
「いつまで待たせてるんだよ! 持って来いよ」
奥の小上がり席から『タカ先輩』の怒声が響いた。続いて、一緒につるんでいる女性たちと男子後輩のどっと沸いた笑い声で盛り上がる。
咲耶は父に言われたとおりに黙って、冷えた吟醸酒小瓶をトレイに乗せ、小上がり席へと向かう。
テーブル席の合間を縫って、小上がり席へ。『次はどんな意地悪いことを言って楽しもうか』と目を輝かせている面々へと、自分から近づいて行かねばならない苦行――。しかしこれが仕事だと父は言っている。
「きたきたきたー! さあ、ちゃんと注げよ。二杯目も来いよ~。女ならできるよな、咲耶チャン」
もう限界だ。そんな義務はない! そうはっきり言おうと決した咲耶は、胸を膨らますほどに息を吸い込んだのだが――。
「うるせえな。男の俺様に酒を注ぎに来いとか、古くさいオヤジがいるな。いびりが趣味の姑たちも一緒なのかよ。アップデート失敗組かー。あー、ヤダヤダ。カビ臭い」
どこからともなくそんな声が聞こえてきた。
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