第10話 軍人の矜持 後編

 ザーブル・ウル・ローウェン元帥はエフタル公が尤も信頼する軍人であり、ミスリル王国の名将として知られる。


 艦隊運用の専門家であり、効率的な運用と編成、そして輸送なども得意としていた。


 特に機動戦術の手腕はずば抜けていた。連合の戦いにおいても、包囲された味方を救出し、奇襲をかける際の一番槍を務めるなど多くの武勲を得ていた。


 その為、現在ではエフタル公に次ぐミスリル軍のナンバー2として知られている。


 その彼が、首都星トールキンからやってきたことに、エフタル家の者たちは困惑していた。


****


「久しいな、ザーブル」


 応接室にてエフタル公とザーブル元帥は久しぶりに話し合うことになった。


「お久しぶりですが、閣下、昔懐かしさで今日ここに訪れたわけではありません」


 生真面目なザーブルがそう言うと、エフタル公は口元の髭をなでる。


「単刀直入に申し上げます。閣下、今すぐにでも現役復帰をお願い致します」


 頭を下げてザーブルはエフタル公に懇願する。


 ある程度予想が付いていた話ではあるが、事態はそれだけ深刻であることを物語っていた。


「現在、軍も宰相であるディッセル候により、好き放題に介入されております」


「その話ならばレスタルからも聞いている。ムダートやトラストと言った連中が元帥になったそうだな」


 ムダート元帥とトラスト元帥はそれぞれ軍務大臣と参謀総長を務めているが、実戦経験が少ない上に、正式な軍事教練を受けていない諸侯派の軍人である。


 かつてのミスリル王国では、諸侯枠という形で有力諸侯から将校を編入させることが多かった。


 だが、エフタル公が最高司令官に就任して軍事改革を行った結果、諸侯枠は完全なる名誉職となり、きちんとした軍事教練を受けた者のみが正規の軍人になった。


 ディッセル候はそれをわざわざ懐古させたようだ。


「閣下ならお分かりのはずです。あの二人ではマクベスやアヴァールはおろか、ハザールにすらこの国を守り通すことすらできません」


 ハザール大公国は先年、ブリックスへと対抗しようとし、各国と同盟軍を結成しようとした。


 だがその寸前で事が発覚し、以後はブリックスの属国にまで落ちぶれている。


 そんな状況で公爵家と侯爵家の当主というだけで大臣と参謀総長になった者がいれば、不安を感じるのも当然だろう。


「また、よりにもよってディッセル候はロルバンディアのエルネストを我が国に招いております」


 ザーブルが真剣な表情でそう言うと、エフタル公は大げさに片腕で額に手を当てる。


「あの亡国の世子か」


「はい。四年前にロルバンディアを実質的に滅ぼしたの世子を、ディッセル候は匿っていたのです。それも艦隊ごと」


 その情報はレスタルからエフタル公も聞いて知っており、娘であるアイリスに伝えて現ロルバンディア大公であるアウルスの交渉材料に使わせていた。


 しかし、ザーブルがそれに気づいてしまったということは、おそらくこの情報が広まるのは時間の問題だろう。


「ディッセルの奴、そんなことまでやっていたのか」


「閣下、これは軍部の問題だけではございません。愛娘であるアイリス嬢が婚約破棄されたことは大変遺憾に思います。ですが、ディッセル候のやっていることはミスリル王国を亡国の道へと走らせてるだけです。周辺諸国は牙と爪を研ぎ澄ませて獲物を狙いすましている中で、我が国だけが平穏でいられるわけがありません」


「そうであろうな」


 愛弟子と言ってもいいザーブルの言うことに、エフタル公もできることならば現役復帰したいと思っていた。


 元々、ファルスト公が亡くなった後にザーブルと息子たちに後事を託し、娘には国母となり幸せになってもらいたいという願いから引退を決意した。


 ところが、ディッセル候が後任となってからは全てがファルスト公の時が巻き戻ってしまった。


「ディッセル候は古き良き時代へと戻そうとしていますが、それはあまりにも現実を理解していません。我が国が古き良き時代に戻ったところで、周囲が新時代を作ろうとしているのであれば、嫌でも戦いが始まるでしょう。そんなことすら、ディッセル候は分かってはいないのです」


 ザーブルは実直な男だ。


 普段は冷静沈着で、味方がヘマをしても決して愚痴をこぼすこともなく、黙って救援に向かい、救い出す男でもある。


 その男にここまでのことを言わせている現政権に、エフタル公は愕然とすると共に怒りを覚えていた。


「確かにその通りではある。だが、ワシはもう引退した身だ」


 心苦しい気持ちを抱えながらも、エフタル公はそう言い切った。


「閣下らしくないことはやめてください。軍人は国家への奉仕こそが最優先事項であるとおっしゃっていたではありませんか」


「ザーブル、ワシを困らせないでくれ。ワシはもう引退した身だ。それが今更アレコレと軍事や国政に口出しできる身分ではない」


「何をおっしゃる!」


 勢いよくテーブルを叩き、大声でザーブルが叫ぶ。


 隣室に控えていたレスタル達がわざわざやってくるほどであった。


「なんでもない、下がっておれ」


 レスタルら三兄弟を下がらせて、エフタル公は椅子に鎮座したままザーブルを見据えた。


 引退したとはいえ、かつては連合軍相手にも一歩も退かずに戦った名将である。


 その貫禄と風格は、今もなお健在であることにザーブルも大人しく椅子に腰かけた。


「ザーブル、いやローウェン。お前の気持ちは分かる。国を憂う人間であれば、この状況を座視することなどできん」


「であれば……」


「それでもだ、ワシの忠誠心にも限度というものがある。君主が君主たらずば、臣下は臣下たり得ぬ。ここまでの無礼非礼を重ねられ、尚も忠誠を誓うほど、ワシは耄碌していない」


 ザーブルは自分の耳を疑いたくなった。


 エフタル公は自ら叛意あることを口にしているのだから。


「閣下、ご自身が何をおっしゃっているのか、分かっておっしゃるのですか?」


「そこまで耄碌しておらん。そもそも、アイリスとアレックス王との婚約は軍部と王家を結び付け、王権を強化するためでもあった。それをなどと訳の分からん妄言を口にし、浮気をするような暗君に忠誠を誓うことなどできない」


 それはザーブルも理解はしていたことではある。


 この婚約のおかげで、王権が強化されることで軍部だけではなく、王国中枢の力そのものが増すことにもなるからであった。


「アレックス王のことは目を瞑っていただくとして……」


「王が王としての道を外しているにも関わらず、それを諫めぬ者達も同罪だ。また、自分で物事を考えることもできぬ、考えたとして道理を弁えず、倫理に外れた王に付き従うつもりはない。何より、ワシの愛娘の青春まで奪っておいて、謝罪の一つもできないような国王に忠誠心を持つほど、ワシは人間ができていないのだ」


「閣下、私情に走るのは閣下らしくありません」


「ローウェン、お前はワシを分かっていないようだな。ワシは、誰よりも私情に走る男だぞ。最高司令官についたのも、ファルストと気があったから、それがワシにとってメリットがあったからだ。そんなワシがここまでのことをされて、私情を優先して何が問題でもあるのか?」


 誰よりも冷静に、時には話が合わない者であっても採りたてるなど私情に走ることがないだけに、ザーブルはエフタル公の言っていることが理解できなくなっていた。


「端的に言えば、王家はワシと我が家に解消することのできない恥と傷をつけた。ワシとアイリスに土下座するぐらいはしてくれなければ、ワシは王家に忠誠を誓うことは無い」


「王家はともかく、国家のことを考えてはいただけませんか?」


「無理だ。今更ワシが戻ったところで後ろから撃たれてはたまったものではない。戦場で死ぬならいざ知らず、味方に撃ち殺されるつもりはない。そして、そのようなことを考える奴は味方などではないぞ」


 ハッキリと王家への忠誠心を無くしたことをエフタル公は口にした。


 それにザーブルは深くため息をつき、肩を落とす。


「お前の味方になってやりたい気持ちはある。だが、それ以上にワシは娘のため、そして息子たちのために何とかしてやりたいという気持ちがある。お前には悪いが、ワシは現役復帰などせん。反乱を起こさないだけ、マシだと思ってくれ」


 その言葉に、ザーブルは冷え切った茶を一気に飲み干す。


「分かりました、今日は帰らせていただきます。ですが閣下、これだけはハッキリと言っておきます」


「何だ?」


「閣下はこの国に必要なお方です。レスタルやサラム、そしてイラムも同じく。どうか、国家への忠節をお願い致します」


 王家ではなく国家への忠節を口にし、ザーブルは去っていった。


 代わりにレスタル達が応接室にやってくる。


「相変わらずでしたね、元帥閣下は」


「あいつには悪いことをした」


 冷えきって苦みだけしかない茶をすすりながら、エフタル公はそう言った。


「尤も、これからもっと悪いことをしてしまうのだがな」


「元帥閣下だけは、巻き込みたくはないですね」


 悲し気な父の気持ちを察したのか、イラムがそう言うと、エフタル公はうなだれてしまった。


「そうだな、あいつこそこの国に一番必要な軍人であり人材だ。ワシらの意地につき合わせるわけにはいかん」


 すでに、エフタル公を筆頭に彼らは決断していた。


 家門に傷をつけ、大切な家族である娘、妹を傷つけた王家に弓退くことを。


 同時に、亡国の道を進んでいるこのミスリル王国を救うためにも、彼らは反乱を起こす決意をとうに固めていたのであった。

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