第8話 王者と覇者

 ブリックス・ディル・レティシアは、マウリア帝国の皇女であった。


 ただの皇女ではなく、皇帝の弟の娘という血筋正しい皇族である。


 慎みと慈悲深く、慈愛に満ちた人柄から誰からも愛されており、それはブリックス国王であるクラックスに嫁いでからも変わっていない。


 その慈悲深い国母であるはずの彼女は珍しく、怒髪冠を衝くが如く激怒していた。


「何をやっているのですか!」


 夫であるクラックスは委縮してその場で土下座し、同じく友人であるロルバンディア大公、アウルスも土下座をさせられていた。


「婚約破棄をされ、心癒えぬままにあちこちに連れまわされ、あなた方には慈悲の心はないのですか!」


 水着姿で激怒する王妃という、ややシュールな絵面ではあるが、ぐうの音も出ない言葉に王の中の王クラックス覇者アウルスも反論できなかった。


「婦女子であれば、婚約破棄されて平然としていられる者は一人もおりません。一人の婦女子に慈悲の心を持てぬ者が、果たして大勢の臣民を守りぬくことなどできるわけがありませぬ」


 レティシアが激怒しているのは、先ほどアイリスが倒れた経緯を聞いたことが理由である。


 国王との婚約を破棄され、怒りのあまりに一門ごと反乱を企て、アウルスに後ろ盾になってもらい、アウルスに連れられてわざわざディマプールまで来てしまったのである。


「レティシア殿、彼女には一応、大丈夫か聞いたのだが」


「アイリス嬢が大公殿下の誘いを断れると思っていらっしゃるのですか?」


「それは……」

 

 普通に考えれば断れるわけがない。


 大公と公爵令嬢という身分差、そして何よりアウルスの協力なければ反乱を起こすことすらできない時点でアイリスには断るという選択肢は存在しない。


「これが暗君であれば話をすることすら嫌ですが、お二人が名君だからこそ私は悲しく、お二人のことを思っているからこそこうして直言をしているのです。それを忘れないでください」


 一通り言うだけのことを言うと、レティシアは頭を下げ、その場を後にする。


 しばらくしてから国王と大公の二人は椅子に腰かけた。


「お前のせいで妃に怒られたじゃないか」


 不貞腐れながら、クラックスは従者に持ってこさせたワインを口にする。


「気づいたらああなったのだから仕方あるまい」


 クラックスの注いだワインの瓶をひったくると、乱暴に注ぎながらアウルスもワインを口にした。


「お前は昔から女性の扱いがひど過ぎる。幼年学校や士官学校の頃もそうだった。令嬢たちに粗末な料理を食べさせたり、立ったまま一時間も応対させたり、お前は本当に扱いが雑だ」


 クラックスとアウルスは帝国の幼年学校から士官学校までの同窓であり、学友でもある。


 各国の王族たちも入る幼年学校では特に、二人の実力は飛びぬけていたが、不思議と気が合ったことから今日まで二人は友人として関係を続けていた。


「それを言うな、この前もケルトーの奴から説教を食らったばかりだ」


「ケルトー大将は忠臣だな。歯に衣着せず、耳障りのいい甘言を口にしないのだからな」


 クラックスがそう言うと、アウルスは途端に不機嫌な顔をする。


 新進気鋭の覇者と言えども、枢軸国最大にして別格の序列を持つブリックス王国の国王相手にこんな態度ができるのは、銀河系広しと言えども皇帝かアウルスぐらいなものだろう。


「王妃に粗相をして説教される国王にだけは言われたくない」


「やかましい! レティシアは私の事を愛していればこそ、諫言してくれる。お前とは違う」


「閨では甘言を口にさせてる暴君に、そんなことを言われたくはないな」


 平然として、暴言を吐いたアウルスに周囲の従者たちが明らかに顔色が悪くなっていく。

 

 クラックスがその気になれば、綾をつけて宣戦布告してもおかしくないことをアウルスは口にしているからだ。


 ブリックス国王として、能力面は無論のこと、実績面においても帝国圏の防壁にして守護者として活躍してきたクラックスにはよほどの暗君でない限り正面切って喧嘩を売るような愚行はしない。


 そんなクラックスだが、愛妻家としても有名であり、レティシアを幼少期からイジメていた異母妹と、彼女から寝取った婚約者を事実上傀儡として、奴隷にも等しくこき使い、辛酸と屈辱を味合わせるなど容赦ない仇討をしているほどだ。


 クラックスが一番怒ることは、王妃であるレティシアへと喧嘩を売ることを、特にブリックスの臣民たちは半強制的に理解させられていた。


 そうした内部事情を知っているからこそ、従者たちは顔色を悪くしているのであった。


 そんな空気をあえて理解せずに、アウルスは二杯目のワインを注いでそれを飲み干す。 


「ただ、宇宙艦隊の百個艦隊が攻めてくるよりも、レティシア殿の一喝は本当に堪えるものだな」


 ロルバンディアを征服した覇者であっても、ブリックスの国母であるレティシアに説教されることは心に来るらしい。


 それを聞くと、クラックスは思わず鼻で笑う。


「当たり前だ。誰の妃だと思っている?」


「それはもう、ブリックス国王、クラックス陛下の王妃ですな」


 わざとらしい恭しい口調に、クラックスはさらに笑った。


「嫁いだ頃は後ろ向きで誰かに説教することも、諫言することも想像つかないほどに気弱であったのだがな。気づけばいつの間にか強くなっていた」


 クラックスとの婚姻が成立した時のレティシアは、幼い頃からの異母妹からの嫌がらせからか、消極的で後ろ向きで弱きだった。


 初めて会った時、アウルスは彼女が王妃として活躍できるのか、不思議に思ったほどである。


「蛇もドラゴンと一緒に住めば、ドラゴンとなるとはよく言ったものだ」


「元々レティシアはああいう性格だった。それを、あの愚妹が調子に乗って好き放題やっていただけに過ぎない。蛇にも劣るミミズの癖にな」


 不機嫌そうなのは、愛する王妃を傷つけた存在を思い出したからでもある。


 レティシアが嫁いできた時、クラックスは彼女に危害を加えようとする輩に大して一切手加減をすることなく、時には奴隷に、時には拷問、そして時には処刑するなど無慈悲な制裁を与えてきた。


 真面目に愛しているからこそ、レティシアを傷つけようとする外道には容赦をしないである。


「あの愚妹は事実上の傀儡か?」


 レティシアの異母妹はハザール大公国の大公に嫁いでいたのだが、クラックスに嫁いだレティシアに嫉妬し、よりにもよってブリックス相手に周辺諸国と手を組んで戦争をしかけようとした。


 だが、戦争になる前に全てが露見しており、ハザールはブリックスに屈服、領土の一部割譲と膨大な賠償金を支払うことになった。


二年経過した今でも、提示された金額の三分の一にも至らぬ上に、財政難に陥っているほどだ。


「正直、殺してしまってもよかったのであるが、レティシアが止めるから止めた。まあ、一生飼い殺しだろうな」


 本来ならこの結果でハザール大公は廃位されてもおかしくなかったが、国の怨嗟を一つに集めるための象徴として針の筵に座らせるための傀儡に成り下がっていた。


 事実上ハザールはブリックスが選んだ宰相を中心に運営されており、完全なる傀儡国家となったのである。


「全ては愛ゆえにか」


「ハザールがどうなろうと知ったことではないが、我が妃に害を及ぼす輩にはそれ相応の報いを与えてやっただけだ」


「参考にはさせてもらおう」


「それなら、アイリス嬢との仲を取り持ってやろうか?」


 クラックスの目が面白いオモチャを見つけた子供のように、ワクワクとしていることに気づいたアウルスは深くため息をつく。


 アイリスは確かに魅力的な女性ではある。


 だが、果たして自分が彼女にふさわしい男であるか、アウルスは少々その自信がぐらついていたのであった。

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