第6話 天国に似せた星 後編

 メルキアにたどり着いてからわずか一日で、いろいろな体験をしたが、まさかこのままブリックス王国に向かうことになるとは思いもよらなかった。


 ビーチの片隅にあるテラスで、呆れるほどに美しい青い空と海を眺め、アイリスは自分は今とんでもないことに巻き込まれているのではないかと思い始めた。


「ご機嫌が優れませんか?」


 薄い色のサングラスをかけ、生真面目な表情でアッシュブロンドの長髪を一本結びにした妙齢の美女に尋ねられると、アイリスは首を振る。


「いえ、そんなことはありませ……」」


「いけませんね」


 女性はサングラスをかけ直すと、冷静にそう言った。


「アイリス様は、平民の交易商人のご息女としてこの星を訪れております。そのことをお忘れなく。私とセリアさんは、アイリス様に仕えるメイドと秘書という立場ですので、堂々となさってください」


 豊かな胸を揺らしながら、真面目に語る迫力に、流石のアイリスも黙って頷いてしまう。


「わ、分かりましたエリーゼ殿」


「エリーゼです、アイリス様」


 水着姿で一礼すると、ウイリス・ケルトー大将の妻にして、ヴァルナス・エル・カミッロ大臣の妹であるウイリス・エリーゼ行政官は颯爽とその場を離れる。


「ロルバンディアは変わっておられますね」


 ワンピース姿の侍女のセリアが怪訝な顔をする。


 ミスリル王国では女性であれば、みだりに肌を露出させるようなことはしない。


「仕方ないわ、ここはディマプールだもの」


 セリアの感覚こそ常識であるのだが、このディマプールはブリックス王国の中でも有名な観光名所であり、連合からの商売人たちも往来する保養地でもあった。


 連合には帝国や枢軸国のような貴族階級が基本的に存在しない。


 その為、大衆だけではなく上流階級でも海辺やプールでは水着を着て泳いだり、肌を焼くことを楽しむ。


「それに、私たちは公爵令嬢でも大公殿下でもないわ。あくまで、平民の交易商人ということでここを訪れていることを受け入れないと」


 アウルスやアイリスは、あくまで秘密裡にこの惑星を訪れていた。

 

 アイリスはともかく、ロルバンディア大公であるアウルスが公式にブリックス王国へと訪れれば、それだけで近隣諸国に情報を与えてしまう。


 そうなれば、当然ながら何かしらの対策を取られてしまうだろう。


 それを避けるために、秘密裡にアウルスは懇意にしている交易商人から宇宙船を貸し切り、単独でディマプールまでやってきたのであった。


「でも、殿下がお会いされるのは一体何方かしら?」


 あのアウルスが直々に会いに行くことを決意させたとすると、果たしてブリックス王国の誰と会うつもりなのだろうか。


「気になられますか?」


 ディマプール名物の果実を手にしながら、エリーゼが尋ねると、アイリスは照れながら果実を受け取る。


「エリーゼど……エリーゼ、旦那様アウルスがお会いなさる方は一体何方なの?」


 エリーゼは秘書という立場でアイリスの面倒を見ている。


 彼女は厳しいが、王立大学を卒業した数少ない女性官僚であり、同時に博識で礼法に通じている才女でもあった。


「旦那様は本日、かつての御学友とお会いする予定です」


「御学友?」


 マクベス王国の第四王子であったアウルスに、果たしてブリックス王国で話せる学友などいるのであろうか?


「奥様はまだご存じではないかもしれませんが、そのお方は枢軸国の中でも頂点に立つ大商人でございます。旦那様も枢軸国随一の商人でございますが」


 エリーゼが答えると、アイリスは首を傾げる。


 これは言葉通りの大商人という意味ではないだろう。


 アウルスを枢軸国随一の商人、これをロルバンディア大公国の君主の比喩と仮定する。


 すると、今回会う人物もまた君主であると仮定し、枢軸国の頂点に立つ大商人を読み解けば。


 答えをはじき出した瞬間に、エリーゼはジュースを拭きだしてしまった。


「お嬢様!」


「大丈夫ですか?」


 セリアとエリーゼが心配するが、アイリスは「大丈夫」と二人を安心させる。


 あまりにもすさまじい答えをはじき出してしまったことに、アイリスの心臓は全力疾走したかのように鼓動を早める。


 しかし、彼女は深く深呼吸し、この美しい海と空を眺めながら美しい世界に身をゆだねることにした。


「エリーゼ」


「どうされました奥様?」


「旦那様は、途方もなく大きい方ですね」


 動揺を押さえるように果実を食べ、アイリスはジュースを口にする。


 改めて、自分が途方もない器を持った人物と出会ってしまったことを、アイリスは自覚させられてしまったのであった。


******


「いやあ、私までまさかディマプールまで来られるとは思いませんでした」


 そう言うと、ウイリス・ケルトー大将はフルーツと氷菓のデザートを口にしていた。 


「適当な護衛役が見つからなかったからな。まあ、お前は今回召使い役だ」


 アウルスがジュースを片手にそう言った。


「殿下、じゃない、旦那様、そういう言い方をされますと私も傷つきますよ」


「傷つく心があったのか?」


「ひどいなあ、私だって人間ですよ」


「知っている。成功することもあれば、失敗することの方が多いお前は間違いなく人間だ」


 冷静にジュースを飲みながら、落ち込む大将に一瞥もせずにアウルスは海を眺めていた。


「お言葉ですけどねえ、今回の提案ですが私の進言あってのことですよ!」


 自慢するかのように、この偉丈夫が言うと、アウルスはため息をついた。


「あの後、ヴァルナス候に首を絞められていたのを助けたのは誰だ?」


「旦那様です」


「お前の奥方が激怒しそうになったのを、宥めたのは誰だ?」


 御前会議の話を兄であるカミッロから聞いたエリーゼは、アウルスも恐れるほどに激しく怒り出し、ケルトーの顔面に強烈な平手打ちをしていた。


「それも旦那様……いや、それはちょっと違うような気が」


「なんでだ?」


「最終的には、妻も許してくれましたので。むしろ、旦那様とアイリ……奥様との縁を結びつけることに関心しておりましたよ」


 エリーゼは数少ない女性官僚であるが、彼女が大公府にて活躍しているのは誰もが認めるほど有能な行政官であるからに他ならない。


 彼女の働きぶりは、宰相であるケッセル侯爵や尚書令であるジョルダン男爵すらも賞賛している。


 外務大臣であるジュベールですら、エリーゼが女性ということで非難する者に対して、エリーゼの有能さを伝えて擁護しているほどだ。


 一を言えば十で答え、迅速で適切な対応で動くエリーゼに対し、能力を咎める者は大公府には存在しない。


 だが、そんな才女である彼女にとって、意外なのは、ウイリス・ケルトーと結婚したことにある。


「エリーゼはまともな才女だと思ったが、案外趣味が悪いのだな」


 幼い頃に行儀見習いということで、侍女としてつけられて以来、アウルスはエリーゼとは懇意にしている。


 その頃から利発な令嬢であったが、まさか利発さとは対極にある男と結婚するとは夢にも思わなかった。


 口が悪い者は、ケルトーがエリーゼを無理やり自分の物にしたというほどだ。


「ちょっと! 流石に旦那様と言えどもそれは言い過ぎではありませんか?」


「エリーゼもお前のことになると、途端に甘くなるからな」


 エリーゼは自分に厳しいが、他人にも厳しい。だが、さり気なくサポートしたり、他人のミスを埋め直すなど気づかいを忘れない為、彼女を慕う者は多い。


 だが、これがケルトーの事になるとエリーゼは別人になったかのように甘くなるのだ。


「我々は、真実の愛に目覚めたので」


「何が真実の愛だ。私の侍女だったエリーゼにお前が勝手に惚れただけだろう」


 上官をぶん殴って栄転という形の左遷で、アウルスの武術指南役となったケルトーだが、彼はエリーゼに一目惚れしていた。


「あの時ほど、旦那様にお仕えしてよかったと思ったことはありません」


「で、手籠めにしたんだな」


「ひどいですね、そんなことするわけがありませんよ。私は妻を、エリーゼを愛しているのです。彼女と出会ったことはまさに天恵ですね」


「そこから、エリーゼにふさわしい男になろうと努力したことは認めるが」


 普段はふざけたことを口にしているケルトーだが、軍才に関しては参謀総長のラートルや宇宙艦隊司令長官のマルケルスにも劣らない。


 武術指南役を務めあげ、その後に花形である宇宙艦隊へと復帰した後は三十代で提督と呼ばれる地位にまで出世し、今ではロルバンディア軍の三大将の一人として尊敬を集める名将となった。


「お前が今の地位にあるのは、いろんな意味で奥方であるエリーゼのおかげだな」


「愛の力は偉大なのです」


 真顔でそういうケルトーにややアウルスはウンザリする。


「それに、アイリス様を奥様と呼ぶのは私の案ですからね」


「ただの役割だろう。召使いの癖に」


「殿下は恋愛に疎すぎるのです。こういうのはですな、既成事実を作って外堀を埋め、本人に気づかれないようにするのが重要なのです。これには心理学の裏付けもあるのですぞ」


「お前に心理学の心得があるとは思えなかった」


 とはいえ、ケルトーは確かに馬鹿馬鹿しい話をするが、同時に本質をついた鋭い指摘や提案をするなど、決してバカではない。


 案外、本当にそういう知識があるのではないかと思える節すらあるのだ。


「こうして、アイリス様を奥様とお呼びすれば本人も自然にそう思うようになるのです。大体、あの暗君に比べたら殿下に惚れない女性などおりますまい」


「それは、そうかもしれんが」


「殿下、恋愛というのはですな、戦と同じでやるかやらぬかなのですぞ。何故戦場で勇敢に、政治では果断に決断できる殿下がそんな生ぬるいのです。私は臣下として悲しいですよ」


 主人と召使という役割を忘れ、殿下と口にしているケルトーではあるが、アウルスはなぜかそれを咎めることができなかった。


「それとも、殿下はアイリス様のことがお嫌いですか?」


「いや、むしろ好感を持ったというか」


「女性としてどうなのですか? 可憐でおしとやかでありながら、殿下相手に堂々と協力を申し出る。そんな女性が果たしてこの世界に何人いると思われるのですか? それに、尚書令閣下が婚約の話をばら撒いても、殿下がこれでは意味がないではありませんか」


 頭が冴えているケルトーは、ケッセルすら頷かせるほどの迫力と説得力がある。


 その勢いに百戦錬磨のアウルスも反論できずにいた。


「分かっている。その時は、協力してくれるのだろうな?」


「お任せください! 私は、殿……旦那様の忠実な召使ですので」


 ケルトーの勢いに飲まれそうになり、アウルスはデッキチェアに体を預けると、モバイル端末に通信が入ったので確認する。


 そこには、本日会う予定である人物自身から、ディマプールに到着したことが記載されていた。


「やっと到着したか。国王という地位になると、そう簡単に時間も作れないということだな」


 枢軸国最大の国家にして、マウリア帝国の藩屏でもあり、誰もが認める序列一位の王国。


 ブリックス王国の国王、ブリックス・ディル・クラックスにようやく会える事に、アウルスは苦笑したのであった。







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