お見合いと秘密の恋について <前>
カーマ王国を揺るがす大事件が起きてから、半年が過ぎていた。何もかも元通りにはならないが、少なくともこの国で暮らす大勢のカーマ人にとっては、変わらない日常が続いている。
大衆が耳にすることもなかった正統王家の王族が残した傷跡と、それを塗り替えるように発表された神祖『
初夏の日差しのなか、元処刑場を国立公園に作り変える工事は、ようやく始まろうとしていた。現場で働く者たちを集めるため、国営新聞には大々的な求人広告が載った。給金は破格だ。カーマの国民であれば、一時間からでも手伝うことができる。
その資金は、王位を捨てて魔神となったレグナヴィーダ元王子の資産から出されていた。莫大な財産の一部は慰謝料として支払われているけれど、残りはあらゆる事業や制度で国民へ還元されることになっている。それを決めた評議会は国民からなかなかの支持を得ていた。
だが、カーシュラードの所属している
魔神の魔力解放がいくら強大な威力だったとしても、身を守ることもできなくて何が国防軍か。
さらに『
だが、地方の基地や駐屯地の成果が思わしくない。某戦魔導師が地方末端に顔を売ってこいと唆した、その思惑どおりなるのは心底癪ではあるが、視察ついでに鍛え直す方針に否はなかった。白羽の矢が立ったのは、当然のごとくカーシュラードの特殊部隊だ。
大半が剣位持ちである第十五連隊特殊剣撃部隊は、今回の事件ですっかり名前だけになっていた。師団の大編成が進むに従って、有能な者は隊長職へ引き抜かれていく。いつのまにか部下のほとんどいない連隊長にされていた。最有事には特別部隊として召集することは可能だが、そんな事態ははたしてくるのだろうか。
だが、腐ってなどいられない。どうせ強すぎて他の部隊と訓練ができないのなら、いっそ地方の鈍った兵を鍛えた方が有益だろう。己を含めて部下を地方駐屯基地へ送り出す計画書を作っていたのが、昨晩ようやく終わったのだ。
カーシュラードは久しぶりに最愛の人――ヴァリアンテとランチの約束を取りつけ、
業務は午前中で終えた。午後から二日ほど休暇を取っているので、久しぶりにクセルクス邸に戻ることができる。鍛錬が足りないから、できればヴァリアンテをそのまま連れ帰って打ち合いをしたい。あわよくば、夜まで一緒に過ごせないだろうか。ふれあっていない日数を数えると、思い出したように下半身が重く感じる。
このカフェは一般人の立ち入りこそ規制されているが、軍人だけではなく王城で勤める者も利用できる場所だ。師団内の食堂とは別なので料金がかかるが、屋内も野外も席数が多く、中二階にはテラス席もある。階級別にテーブル分けもされていないので、訪れる者は様々だ。
しっかり食べるのはヴァリアンテがきてからにするつもりだが、小腹が減っていた。中庭の緑を眺めながら注文を頼む。スモークサーモンとクリームチーズのバゲットサンドを中サイズで。ケッパーが効いていて好きな味だった。数口で食べきってしまう物足りなさを、エスプレッソで流し込んだ。
あとは煙草を片手に、待ち人がくるまでゆったりとした時間を楽しむことにする。
ラッシュアワーは過ぎているので、客の出入りはそれほど多くはない。一時期注目の的になってしまった後遺症なのか、今も時折チラチラと視線を向けられることがある。直接声をかけてくることもなく、声を落として噂に興じるのだ。その手の煩わしい者たちがいないというだけで、精神的にも安らげる。埋没するには目立っている気もするけれど、それでも誰も邪魔をしてこなかった。
ちょうど一本目を吸い終わった頃、王城側の入り口から騒がしい声が聞こえてきた。事件性があるだとか悪ふざけという雰囲気ではないが、なんとなく気になって、カーシュラードは漆黒の瞳を向けた。
そして、姿形を確認した瞬間、思わず席を立ち去りたくなった。残念ながら、ヴァリアンテではない。もっと厄介な相手だ。
「やっと見つけたぞ! うちの放蕩息子!」
第一声は、それだった。
人差し指を突きつけたまま速歩で近づいてくる中年男性は、どこをどう見ても実父その人だ。その一歩後ろに、腹違いの兄までいた。そろって王都にいるのは珍しい。
「放蕩親父のあなたが言っても説得力はないんじゃないか? 罵倒するならもっと別な単語を選んだほうがいい」
「……ええ、きついなぁ、カレンツ」
「領主館から抜け出しては、いつも俺に仕事を押しつけているだろう。今回だってあなたが王都までこなくとも、なんとかなったのに」
「そんな冷たいことを言わないでよ。私だって王都がどうなったのか見ておきたかったし。それと、末子の顔も見たかったし」
「あの、クセルクス公、閣下、すみません、ここは一応関係者以外の立ち入り制限が……、あ、あの、待って、待ってください」
王城の近衛兵が泣きそうな顔で追いかけているが、父も兄もどこ吹く風だった。これでも王族なのだから、あまり悪目立ちはやめてほしい。
カーシュラードは彼らから視線をそらして、頭痛をほぐすためにこめかみを揉んだ。どうやら、最愛のひとと過ごす穏やかなランチタイムは夢物語に終わったようだ。
◇◇◇
「へぇ……。師団のカフェってメニューが多いねぇ。すごく安いし」
近衛兵に謝罪を伝えて仕事へ戻るよう促したカーシュラードは、我が物顔で真向かいに座った父の自由さに溜め息をついた。
「王城で昼食をとるより、ここで済ませよう。あそこは疲れる」
学食を思い出すな、なんて言いながら、カレンツィードも父を制するどころかこの場に居座る気らしい。黒髪に暗い赤眼のカレンツィードは、父であるカラケルサスによく似た容姿をしている。父の赤毛はカーシュラードが継いで、瞳の色はカレンツィードが継いでいた。だが、配色が違うというだけで、親子関係は歴然だ。兄がカラケルサスの若い頃に瓜二つだとは、長く仕える執事の言だった。
「……何しに来たんですか」
新しい煙草に火をつけたカーシュラードは、傍若無人なふたりを迷惑そうに見つめながら重い口を開いた。
「んん? ちょっと待ってくれないか。何を食べるか決めてしまうから」
「父さん」
低く、脅すような口調で告げると、カラケルサスはそんな息子の苛立ちを見抜いているような、楽しげな視線を返してくる。
「焦るものではないよ。そもそもお前が再三の手紙に返事を寄越さないから悪いのだ」
「あの事件以降忙しかったのはわかっているが、ジョーゼフに言付けか何か残すくらい手間じゃないだろ?」
「お前が出しゃばった分の後始末は、誰がやったと思っているんだい?」
そう来たか。
カーシュラードは父と兄にそろって反論を塞がれて、とりあえず黙るしかなかった。
確かに幾通かの手紙は受け取っていた。最初の一通を開いたときに、その内容が気に入らなかったので返事も返さず、それ以降届いたものは開封してさえいない。
実父と兄には、先の事件で色々と世話になっていた。現国王との拝謁など家名を使わなければ叶わなかっただろうし、最悪の事態への対処のため方々へ手回しを行っていたことも知っている。けれど、恩を秤にかけても、手紙の内容は承伏しかねるものだった。
「まあ、どうやらお前の仕事も一段落したようじゃないか。話す時間は充分ある」
片方の眉を引き上げて茶目っ気たっぷりに微笑んだカラケルサスは、通りかかった給仕をつかまえて平然と昼食をオーダーし始めた。便乗したカレンツィードが弟へメニューを向けてくるが、首を横に振る。待ち人が訪れてから頼もうと決めている初志を貫徹するつもりだ。
そもそも何故カレンツィードまで王都にいるのだ。あの忌々しい手紙の内容を知らないはずはないだろうし、カーシュラードが断る理由も感づいているだろう。
父のカラケルサスがいる手前、面と向かって問い詰めることはできないカーシュラードは、当たり障りのない会話を続ける兄の様子を探った。けれど彼は含むところなど何ひとつないという態度で、そこから一片でも何かを悟らせることはしない。
深く吸って紫煙を吐きだしたカーシュラードは、できればヴァリアンテがくる前にふたりが帰ってくれないだろうかと、薄い望みを抱いた。
「お待たせいたしました」
給仕が置いていくのはワンプレートとスープのセットだ。基本的にカフェテリアでコース料理は出されない。給仕は慣れたもので、相手が王族だろうが気にせず普段通りの接客で皿を置いていった。
「すごいね。こんなにたくさん盛りつけられているんだな」
カラケルサスは珍しい物でも見るように、目の前のプレートを眺めて感嘆した。肉をメインにしたプレートは、分厚いローストビーフとソーセージ、グレープフルーツのサラダ、キッシュ、パテとチーズだ。頼もうと思っていたメニューが同じだったのがなんだか悔しいが、食欲には勝てない。対する兄は魚がメインだった。そちらはそちらで旨そうだが、スモークサーモンと被るのでやはり選ぶなら肉だろう。
「どれから食べようか迷ってしまうねぇ」
父は学生時代こそ散々出奔していたらしいが、やはり王族の育ちは隠せない。士官学校を卒業してすぐに家督を継いだこともあるだろう。基本的に常識は王族のそれだ。料理がすべてひとつの皿に盛られているのは、彼にとって珍しい提供の仕方になる。
「カーシュ、食事中の喫煙は控えてもらおう」
手持ち無沙汰で無意識にシガレットケースに指が伸びていたのだが、咎めたのはカレンツィードだった。兄は父以上にマナーにうるさい。ここで反抗しても子供の駄々と同じだ。大人しく従っておく。
カレンツィードは家系図でいえば実の兄ではあるが、出自は異なっていた。いわゆる腹違いというやつだ。そして彼は家督を継ぐに正統な血筋を受け継いでいた。クセルクス家を継承するのはカレンツィードにしか担えない。
この兄は、決められたレールを走ることが嫌ではないのだろうか。ふいに、そんなことを思う。
実際市井の兄弟らしい育ち方をしていないので比較の仕様がないところだが、カレンツィードとは兄弟らしいことをした覚えもなかった。それほど歳は離れていないものの、五歳差というものは大きい。学業の好みも正反対だし、考え方や思想も近くはない。お互いにお互いを尊重しているといえば聞こえはいいが、無関心と表現する方が近いだろう。
だが、決して仲が悪いというわけではない。利害が一致すれば結託することもある。相容れないところに関しては、どうこう口を出す気がないというだけだ。
カレンツィードが家を継ぐ気でいてくれてよかったと、今は心から感謝している。血統を守らなければならないという密約は重く、繋げ続けることは尊い。王族が二千余年に至るまで血を繋げてきたおかげで、カーマは『
カーシュラードに半分流れているダークエルフの血統は、驚異的な能力と献身があったとしても、継承には足りない。だから、その点に関してカレンツィードに感謝しているのだ。彼を生んでくれた今は亡きカラケルサスの正妻の存在にも。カレンツィードを真っ当な後継者に育てた、後妻のダークエルフにも。
つくづく、我が家は変な家だ。
「ところで、カーシュ、ちゃんとした恋人はいるのかい?」
やっと皿を半分空にしたカラケルサスが、何気なさを装って尋ねてきた。カーシュラードは半眼を返すだけで返答はせず、唇を横に引き結んだ。
「お前が学生だった頃はどうしたものかと思ったけれど、最近はジョージからも情報が届かないし。相手がいるならいるで、教えておきなさい。答えいかんによっては、私だって無理強いはしない。お前の場合は相手が男だって構いやしないんだから」
王都のクセルクス邸を管理しているのは執事のジョーゼフだ。学生時代、彼が定期的に父宛の手紙を出していたことは知っているが、まさか素行調査を報告していたとは思わなかった。だが彼は、王都の屋敷の執事とはいえ、当主に仕えている。カラケルサスに報告するのは当然だ。
それはいい。いまさらだ。
問題は、父の問いにどう答えるべきか、だ。正直なところ、卓上戦術を練るほうがいくらも困らない内容だ。
相手は、いる。多分、恋人と言ってしまっていい関係の相手が。多分。その相手がどこまで応えてくれているのか、正確に把握できないところが痛手だが、愛を囁いて定期的にセックスをしている。もちろん、割り切った身体だけの関係ではない。情もあるし、恋もしている。
だがしかし、父にだけは告げることのできない相手であることは確かだ。
実母であるギラーメイアには早々にバレてしまっているし、それを否定されたこともないけれど、この父にだけはどうしても言いたくない。反対されることは目に見えている。いくら文化的に性差別が少なく年齢差にも寛容なカーマでも、第四王家クセルクス家の現当主にその辺の奔放な融通はない。
こちらとしては恋に落ちたときに彼の素性を知らなかったし、それこそ子作りするわけでもないから、どこに迷惑がかかることもないと思っている。カーマ人の倫理観は理解しているが、ダークエルフの倫理観のほうが身に馴染む。ダークエルフは魔族なので、彼らの倫理観は人間の価値観の枠に収まらない。
だが、それを父に求めることはできなかった。いくら亡き正妻を今でも愛していると語ってはばからず、そのくせ後妻とのあいだに子供を作っていても、理解はしてもらえないだろう。
せめて助け船でも出したらどうだとカレンツィードに視線を向けてみるが、兄は小舟ひとつ出してくれそうになかった。彼は彼で学生時代は男女満遍なく遊んでいたことを知っている。しかも、同時に複数の相手と付き合うような猛者だ。今でこそ大人しいが、この手の話題を避けたいことはお互いに同じだろう。だったら助けてくれてもいいじゃないか。
けれど、兄はすまし顔で上品に魚を切り分け、視線をガン無視していた。
「カーシュラード、黙っていないで――」
父が眉間に皺をよせて硬い声を響かせた瞬間、カーシュラードは立ち上がった。席を離れるわけではない。
窮地を救ってくれたのは、元々の待ち人の姿だった。彼が相手なら父は誤魔化されてくれるだろう。
恋人と言いたくて、けれど言えない相手。父母を同じくする、実の兄である愛しいひと。
「ヴァリアンテ!」
普段ここまで大げさに誰かを呼ぶことはしないが、今だけは助けてほしい。軽く手を振って居場所を伝えると、ヴァリアンテは小首を傾げていた。だが、振り返ったふたりの姿を確認して、納得したような笑みを浮かべる。
指南役の制服は目立つけれど、不躾な視線を向けてくる者はいない。速歩でテーブルにやってきたヴァリアンテが、カラケルサスの前で優雅な礼をした。親衛隊の研修を終えたおかげで、所作が洗練されている。
「お久しぶりです。まさかこんなところで会えるとは思ってもいませんでした。クセルクス公、それからカレンツィード」
浮かべる微笑は親衛隊に相応しい美しさだった。ミルクティー色の髪が昼の日差しに透かされてキラキラ輝いている。
「そうかしこまられると悲しくなるな。知らぬ仲ではないだろう? ……けれど、私もお前に会えて嬉しいよ、ヴァリアンテ。元気そうで何よりだ」
「久しぶり、ヴァル。親衛隊の入隊祝いも送らずに悪かったな。おめでとう」
「ありがとう。とはいっても、私の主は留学中なので開店休業状態だよ。おかげで今も剣聖の雑用係」
ごく親しい間柄を表すように、カラケルサスはヴァリアンテを抱きしめて頬に親愛のくちづけをを与えた。熱烈さに困惑しながらも、彼は嫌がるそぶりもみせず挨拶に応えている。カレンツィードも抱擁を交わしたけれど、さすがに頬にくちづけることはなかった。
「まさかヴァマカーラ殿下に仕えることができるとは、これほど栄誉なことはない。私からも、おめでとうを言わせてくれ! そうだ、今晩か明日の晩にでもお前を晩餐に招待しようと思っていたのだが、受けてくれるだろうか」
「ありがとうございま――、ちょ、苦しいですって」
カレンツィードの腕の中からヴァリアンテを引っ張り出して再度抱きしめたカラケルサスは、口調と内容はどうあれ、親が子に対するような親しさで接していた。
実際、本当に、ヴァリアンテはカラケルサスの息子だった。いわゆる、落とし胤というやつだ。
カラケルサスが結婚する前に生まれた息子で、母親はダークエルフだ。彼女は息子を王都の孤児院に置き去りにしていたが、いろいろな出来事が重なってカラケルサスの後妻になり、カーシュラードが生まれた時に、ヴァリアンテの存在を明かした。他の誰でもないカラケルサスが一番驚いたが、その頃にはもう、クセルクスの籍へ入れるには問題が多すぎた。さらに、ヴァリアンテ自身が王族となることを拒否したので、表向きは他人ということになっている。
生まれた順でいえば、ヴァリアンテが長男で、カレンツィードが次男、カーシュラードが三男だ。けれどそれは、ごく親しい者しか知らない秘密だった。カフェテリアのような公衆の面前では、あくまでも他人として振る舞うことにしている。今のようにスキンシップが過剰になることもあるが。
「どうぞ、ヴァリアンテ。座ってください。まさかせっかくのランチがこんなに騒がしくなるとは思ってもみませんでしたけど」
父の腕の中からヴァリアンテを解放したカーシュラードが、それ以上際どい接触が始まる前に彼をさっさと席に座らせた。
「……なんだか、物凄いメンバーだよね? クセルクス家が全員集合じゃないか。王城の近衛がひとりぐったりしていたけど、……もしかして」
「そのもしかして、です。まさかこんなことに職権を使いたくなかったんですけど、僕の客ということで無理矢理関係者にしました。一介の軍人が王族を追い返すわけにもいきませんしね……」
カーシュラードは堂々と悪態をついて、ヴァリアンテにメニューを渡した。その様子を眺めていたカラケルサスは、少年のように唇を尖らせて末息子に絡む。
「お前もお前だ。ヴァリアンテがくると言ってくれれば、私だって待っていたのに!」
「先に食事を始めてしまった分、支払いはこのクセルクス公が受け持つから、遠慮なく好きな物を選ぶといい」
父の財布の紐を握っているのはカレンツィードだ。師団付属のカフェテラスの支払いなんて痛くもないはずだが、ヴァリアンテはおかしそうに声を上げて笑っていた。
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