白と赤

 


 塾帰り。

 人通りの少ない踏切に立っていた。


 遮断機が下り、赤い光が点滅する。

 その光と近くの外灯に踏切の向こう側が照らし出されたが。


 そこに居る猫に影は見当たらなかった。


 髪を巻き上げ、通過する電車。

 すべてが静まっても、その白い猫はそこに居た。


「やあ、お前。

 死んだんだね」


 自分は小さな声で、そう嗤いかける。


 少し不自然な距離を置いて、隣に居た同じ塾の女の子がこちらを見上げ、訊いてきた。


「どうかしたの? 服部くん」


 いや―― と笑って、歩き出す。


 彼女は同じ方向に用事があると言っていたが、本当はないこと、知っていた。


 


「なに、時計を気にしてるんだ?」


 藤森に言われ、明路は顔を上げる。

 捜査本部の後ろでお茶を飲んでいたときだった。


 無意識のうちに、時計を確認していたらしい。


「いや、別に」

「待ち合わせか」


「あ~、それもあるけど」


 それもあるけど、なんだ、という顔を藤森はする。


 そのとき、携帯が鳴った。


 名前を確認し、すぐに出ると、

『終わったよ、明路』

と言う。


「……そうか。


 わかった。

 ありがとう」


 そう言い、携帯を切った。


 藤森が疑わしげな目でこちらを見ている――。

 



 夢を見る。


 視界一面がただ、赤くて。


 でも、それがなんの色なのか、わからない。


 訳もなく恐ろしいけど。


 何度も見ざるを得ないのなら。


 せめてそれが、いつか道端で見た花の色とか。


 そういうのだったらいいな。


 そう思ってる――。


 


「テレビを見てるのか。

 本を見てるのか。


 どっちなんだ?」


 テレビの前のソファに座り、本を広げていた明路はそう訊かれた。


「どっちでもいいじゃないですか」

と湊を振り返る。


 スーツの上着を脱いだ湊はソファの背に両手をつき、

「どちらも見てないように見えるからだ」

と言ってきた。


「そうですねえ」

とあまり実のない返事をすると、湊は溜息をつき、何処かに行ってしまった。


 ここは湊がよく使うホテルの一室なのだが、無駄に部屋数が多い。


 このお坊っちゃまめ。


 私の家に、一部屋持って帰れないものだろうか。

 書庫にするのに、と本気で思う。


 明路はワインは好きだが、詳しくはない。


 だが、まあ、湊が選んだものに、ハズレはないので、今日もこれだけは美味しくいただいていた。


 メールを確認すると、眉村は短く報告したあと、細かい肝試しの様子をメールで送ってくれていた。


 不審な点がないか確認しながら、読み返す。


「肝試し――」


 背後でいきなりした声に、はっと明路は振り返る。

 いつの間にか戻って来ていた湊が後ろから一緒にメールを読んでいたようだ。


「気配もなく、立たないでください」

「ずっと生きてるか死んでるかわからない状態だから、気配もなくなるさ」


 そのわりに元気なようですが、と思いながら、テーブルに置いていたグラスを取り、一口呑んだ。


 湊が何処までメールを読んだのか知らないが、彼はこちらの手にあった本を勝手に取り、ベッドに寝転んで、読み始めた。


 そうしてると、厭味も言わずに静かなので、放っておく。


 見るでもなく、見ていた歴史検証番組をいつの間にか真剣に見ていたが。

 ワインがなくなりかけた頃、ふと気づいたように振り返って言った。


「あの~、つまみが欲しいんですけど。

 ……あれっ?」


 やはり仕事で疲れていたのか、湊は肘を枕に、本を開いたまま寝ていた。


 そうっと傍に行く。

 長い睫毛が頬に下りている。


 黙っていれば、可愛い顔してるのになあ。

 いや、まあ、どうでもいいんだけど。


 起こさないように、布団をかけてやると、本当に起きなかったので、しめしめと思い、湊の手にある本をそうっと外して持ち出した。

 



 正直なところを言うと、明路が傍に寄ってきた時点で、目は覚めていた。


 だが、彼女がどうするのか気になったので、悪戯心もあり、寝たふりをしていた。


 明路は、自分が起きないように、そうっと布団をかけ、挙げ句の果てには、本をも引っ張り出す。


 起きるだろうが、普通。


 明路の気配が遠ざかったので、薄目を開けてみると、彼女はくつろぎ切った様子で、ソファにうつ伏せになり、ワインを注ぎ足して呑みながら、本を読んでいる。


 優雅だな……。


 完全に、しめしめ、と思っている様子だった。


 ご機嫌なようで、見もしないテレビのチャンネルまで変えている。


 まだルームサービスをやっている。


 何か取ればいいのにと思ったが、言うと、起きていることがバレるので、黙っていた。


 ちょっとした親心ではないが。


 珍しく明路が楽しそうなので、放っておこうという気になったのだ。


 子どものように、寝転がり、足でリズムをとりながら本を読んでいる明路を見ていると、微笑ましくさえある。


 長く馴れ合いすぎたかもしれないな、と湊は思う。


 だが、今更、距離を置く気にもなれなかった。


 人間の感情がどちらに向かっているかなんて、自分でもよくわからない。


 あの男と同じだ、と思う。


 明路や自分を憎みながらも、まだどちらも手にかけてはいない。


 これから――。


 すべてを知った服部怜はどうするんだろうな、と思う。


 しかし、明路は自分が寝て、解放されたことで、ご機嫌なようだが。


 どちらかと言うと、自分が明路に早く寝て欲しいと思っていた。


 どうも気になる。

 最近、何か隠し事をしているような……。


 明路は事件に関しては鋭いが。


 自分のことに関しては杜撰というか、投げやりなところがあるので。


 まずいメールも消去してはいない気がしていた。


 カップルや家族や友人でメールの盗み見はまずいだろうが、そもそも敵だしな、と思いながら、彼女が眠りに落ちるのを待つことにした。


 ……それにしても、呑みすぎだろ、と思いながら。





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