第42話 #弟妹チャンネルの配信①
浅木地下ダンジョンの入り口から程なくしたところで足を留め、生存報告を始めた。視聴者が瞬く間に増え、コメントが視界の隅を流れていく。
そうしてからふと思い至った。
弟と妹が見ないわけがない。配信するよりも、動画撮影――いや、変動後のダンジョン内の情報が一切ないことを踏まえれば、録画して提出するという面倒な手順を踏まなくて済む。
結論としてデータ収集のためには配信しないという手はない。
右手から突っ込んでくるボアの気配にぴたりと立ち止まり、二歩後退する。それが姿を現すと同時に剣を上下に振った。
「手応え的には、中層――Dランクレベルの魔物」
魔素濃度測定器を取り出し、カメラと連動させる。そうすることによって、画面上で魔素濃度の数値が表示されているはずだ。
腰の鞄の金具に濃度計をひっかけて歩みを再開した。
端末に着信通知が上がった。『克巳』と表示される名に、切れたときの克巳の怒り顔が、涙を浮かべる明美の顔が脳裏をよぎる。
分かってる。すごく馬鹿なことをしていると頭では分かっているのに、戻ろうとはどうしても思えない。
一度、着信が切れた。直後に再び着信通知が浮かぶ。
[出ろ]
数多のコメント混ざって浮かぶ弟の一言。指を緩慢に動かし、応答を押した。
『なにしてやがんだこのクソ兄貴‼』
キーン、と耳の奥で金属音が響く。左耳を押さえながら、清巳はふらふらと足を進める。
「うん、ごめん」
清巳は左手でピアスに触れた。
そういえば、これも残してやれば良かった。剣も一緒に置いてくれば良かっただろうか。
『うじうじぐだぐだしてねえで、言いたいことがあるならきりきり吐けやクソ兄貴!』
威力十二分なはずの罵倒は心を素通りしていく。
通話の向こう側で勢いよく扉が開いた。
『かっつん! きよ兄がうじうじしてるのはいつものことだから、そこは言わないであげてもいいじゃん!』
フォローのつもりなのだろうが、全くフォローになっていない。時々的確に抉ってくるのが明美の可愛いところ。そう思っていた。
清巳は小さな笑みを湛えたまま洞窟の奥を見つめた。
本当に、なんて酷い兄なのだろう。こうして二人の声を聞いても、置いていくことに罪悪感を持たない自分がいる。
「お兄ちゃんは、そこまでうじうじしてるつもりはないんだけどな」
だからだろうか。ぽろりと零れ落ちた反論は、その声は思っていたよりも普段と変わらない穏やかなものだった。
『あ? 寝言?』
『自覚がないだけだよ』
容赦のない指摘が飛ぶ。
前方、オーグルが放った魔法に正面から突っ込んで叩き切る。オーグルに近づきながら再び剣を振り上げて、張られた結界ごと分断した。
オーグルを避けて進みながら口を開いた。
「そうか?」
『そういうところがうじうじしてんだよ。で? なにしてんの? どこのダンジョン? まさか浅木とか馬鹿げたこと抜かすんじゃねえぞおい』
ドスの利いた詰問。だが、小さな笑みはぴくりとも変わらない。あんなにも大事だと惚気を垂れ流していたはずなのに、大事だと思っていたはずなのに、全く心が動かない。
怒った声を聞いても何も響かない。
――壊れたらだめだよ。
ふと静の言葉を思い出し、清巳はストンと納得した。
壊れてしまったのだ。大切だったはずの弟と妹にさえ何も感じなくなってしまうほどに。
「うん、ごめんな」
通話の向こう側に静寂が降りた。
『なんで……? 約束、したのに……っ、一緒にいろんな所に行こうね、食べに行こうねって約束したのに、きよ兄の嘘つき!』
妹が泣いた。通話口から号泣が聞こえる。弟は悪態をつかずに黙っている。そういう時こそ本気で怒っているのだ。
本当に申し訳ない。こんなろくでもない兄だったがために、二人にはいらぬ苦労をかけた。――ほかの何よりも誰よりも二人を選べなかった時点で兄である資格は失ったのだ。
慰めることも、言い訳を言うこともなく、黙々と足を進めていく。
『やだよ、いかないで……』
「うん、ごめん」
悲痛な願いに出てくるのは謝罪の言葉だけだ。置いていくことに、兄で在り続けられなかったことに、二人の望みに応えられないことに、謝罪の言葉を重ねる。
『――このクソ野郎』
弟から、ついに兄という言葉が消えた。心の底から安堵する。
「うん、ごめん」
『それ以外に言うことはねえのかよ』
「うーん……思い浮かばないな。ごめん」
いつもと変わらぬ口調で応対し、いつもと変わらぬ態度でダンジョンを歩く。違うのは、あれだけ惚気るほど大切だったのに、その言葉が出てこないほど、その感情さえも失ってしまったことだけ。
『なら今すぐ回れ右をしやがれ。とっとと帰れ、さっさとこっちに来い』
「うん、ごめん」
『俺らを置いて行くって、なにがあんたをそうさせた』
「ごめん」
『謝ってるだけじゃなにもわからねえよ! なんか言えよ……言い訳のひとつでもしろよ!』
頼むから、と懇願する弟の声が震える。
泣かせてしまった。通話口から聞こえるのは弟のものだけではない嗚咽。けれどもやはり心は動かなくて、清巳は無言でダンジョンの奥へと足を進めた。
二階層も終わりというころに、重々しい沈黙は破られた。
『帰ってこなかったら、毎日トマトと椎茸料理尽くしの刑にしてやる』
ぶちっ、と克巳の苛立ちを表すかのように通話が切れた。
三階へ降りると同時に、横で振るわれた爪を垂直に跳んで回避する。振り上げた剣をベアの頭に突き立てた。
視界の隅で流れていく喧々囂々としたコメントを一瞥して周囲を見渡した。
正面と左右に道が続いている。引き抜いた剣を振って血糊を払い、絶命する魔物を見下ろした。
耳の奥で音が蘇る。
ばきっ。ぼきっ。ぐちゃっ。
「……………………トマト、かあ……」
骨の砕ける音とともに、胸を抉るような友人の断末魔が消える。
噛み砕かれた頭。飛び出した内容物。赤く染まる魔物の口。
片腕には妹を抱えていた。転んだ弟を抱き起こした自分にはもう、伸ばせる手がなくて。命綱になりそうな剣を置いていく訳にはいかず、弟に剣を押しつけて抱き上げ、友人だったものを貪る魔物に背中を向けた。
「トマトはまるで頭を食べてるみたいで気持ち悪いよな。弾けるのも、どろっとした液体も……あんな悍ましい食材は他にはないだろうな」
食べる度に、自分たちが生物を食べるように捕食される友人を思い出す。
[トマトは頭って]
[わぁぁぁ想像してしまった!]
[グロ注意! グロ注意!]
[食べられなくなるからやめて]
[兄、戻ろう? 戻ってメンタルケア受けよう? 発言がやばいって]
きっと、あの硬い歯と強い顎で食べたらそんな風に弾けるんだろうなあ、と想像が頭をよぎるのだ。
「ケチャップにしても血みたいで赤くてな」
昔は二人に隠れてよく吐いていた。胃に詰め込むが、自分もあの化け物と同じものになってしまったような感覚が恐ろしくて、耐え切れずに嘔吐を繰り返していた。
今は吐かずにすむが、食べるたびに見るたびに胃のむかつきを覚えるのは健在だ。
「たんに食感が嫌いな椎茸だけがいいなあ」
祈るように呟いたのを最後に、清巳は口を閉ざした。
交差路の右手から飛んできた風の球を縦二つに叩き切る。刀身の軌跡を描いて放たれた残像は風の球をいとも簡単に切り裂いた後もその勢いを衰えさせることなく、その先にいるオグレスも縦に二分割する。
交差路の右手から飛んできた風の球を縦二つに叩き切る。刀身の軌跡を描いて放たれた残像は風の球をいとも簡単に切り裂いた後もその勢いを衰えさせることなく、その先にいるオグレスも縦に二分割する。
変動前とは格段に強くなっている魔物をものともせずに足を進める。五時間かかってようやく上層十回に辿り着いた。数分でボスの猫又を片づけて中層へ下る。
休むことなく階層を進み続ける。視界のすみで流れていくコメントには一切反応せず、ただ下へ下へ降りていく。
探索開始からおよそ十九時間。四日目の午前十時を回ったころ、下層のボスである三つ首の犬――ケルベロスを前に深くため息をついた。
右の首から腹に掛けて切り裂かれ、残りの首の二つが転がっている。支援魔法に分類される強化魔法を使う右の首さえどうにかなれば、あとは逃げ回りつつタイミングを計って首を落とすだけの簡単な相手だ。
とはいえ、都市ひとつを落とせると推定されるAランクの魔物であることに変わりはない。魔素濃度だけでいうなら下層まででもすでにSランクレベルだ。並の探索者では簡単に命を落とす。
[対ケロベロス戦の所要時間約二十分]
[この人ほんとになんで無名だったの?]
[開幕ブレスに突っ込んで腹下に滑り込みながら厄介な右の首を再起不能にしてるのかなり意味がわからない。よく生きてるな]
[俺たちはなにを見せられてるんだ……]
[このメッセージは削除されました]
[状況が状況でなければなあ]
[兄の大好き弟妹さんでも止められなかった以上、できることがない]
深層一階に続く階段を降りていると腹の底に響くような重い笛の根が響いた。階段を降りきって道なりに進み、交差路に出たときにはすでに笛の音は止まっていた。かわりに魔物の咆哮が僅かに空気を震わせている。
交差路の中央に立った清巳は音を頼りに右の道を進んだ。そのうちに魔物の声さえ聞こえなくなり、再び十字路で足を留める。
魔物寄せの笛を吹くような物好きは一人だけだ。向こうからまた居場所を知らせてくれるはず。
予想に違わず、左手から悲鳴にも似た奇声が反響した。
「相変わらずだな」
中層下部くらいからボス部屋以外で魔物に一切遭遇しなかったため予測はしていたが、あまりにも予想通りすぎて苦笑が零れる。
音源まで近づくと、不気味な笑い声が明瞭に聞こえた。
「にゅほほほほほほ、ふほっ」
じゅるっとよだれを啜る音が響く。
「んひ、んひひっ」
清巳は足音を立てずに姿を見せた。
「ほーさく、ほーさく、魔石ざくざくほーさくー♪」
奇妙な歌を歌いながら魔物の死骸の山から的確に魔石だけを抉り取って、死骸をぽいっと遠くへ投げる。それが楽しいようで清巳に気づく様子は一切ない。
「とーり放題とり放題、魔石たくさんとりほーだい♪ ひぇへっへっへっへっ」
魔石を取り出した魔物の死骸が道の先に積まれていく。
静はまだ気づかない。
特段気配を消しているつもりはないが、目の前の魔石狩りがそれほど楽しいのだろう。
「トルマリン。エメラルド。アクアマリン。
ぴょん、と静が跳ねた。
白く丸い魔石を高々と掲げて跳びはねながら、腕を引っ込めたり突き出したりしてその場で何度も飛び跳ねる。
「しゃこ! 硨磲! 陸地なのに硨磲! 陸地なのに硨磲! ひゃっほー!」
叫びながら放り投げた魔石が宙に消えた。
次の魔物に飛びついた静は、大きな獅子の体躯――恐らくスフィンクスから魔石をえぐり出した。
「にょほほほほほっ、ほー! パパラチアサファイア――――! きゃ――――!」
ぴょんと飛び上がって静がぴょこぴょこ小躍りする。それだけでは興奮が収まらないのかくるくるっと回った。
んふふふふふ、と笑いながら次の魔物に静が飛びつく。
ふと、奇妙な笑いが止まった。勢いよく振り返った静と目が合う。
見つめ合うこと数秒。
唖然としていた静から、すん、と表情がかき消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます