第36話 #帰りたい⑤
目覚めて一通りの処置を終えた者は、すっかり牙をもがれた顔で茫然としている。
噛みついたものの、余計なことを言ったがために清山院麗華が黒鉄ランクの現役探索者に負けたという、協会が隠したかった事実を暴露してしまったかなえは顔面蒼白で唇を震わせている。
音もなく足下に忍び寄るものを足で押さえつけるのと同時に、視界の隅で緋色が閃く。
江川。意味としては溝や枝川であり、単に傍流という意味なのだろう。
協会の御三家のうち、どこの分家かまでは推測はできないが、どこであろうと協会という巨大組織の中において血筋は良いお嬢様ではある。
そんな宗家には及ばない末端のお嬢様が藪を突いたために、協会の威信に関わる舞台をひっくり返したとなると、お先が不安になるのも当然だ。だからといって庇い立てする気はまったくないが。
そしてそれは『狩人』の面々も同じだろう。配信という舞台を通じて、清巳を貶めようとしていたのは上からの圧力もあったに違いない。かなえのように噂を信じたがためなのか、圧力に負けただけなのか、はたまた別の要因があるのか。
なんにしても、落ちる名声がない清巳と違って、彼らには相応の痛手となるだろう。知ったことではないが。
静を横目にみる。
「ほぼ同時だから、角は俺、魔石は静でどうだ?」
「ん」
緋色の一閃が一角兎の首を切り落とした。頭から角をむしり取ってポーチに収める。静も魔石だけ抉って他の部位は隅によける。
「そろそろ行かないと、魔物が一気に沸くよ」
「道中の魔物が少なかったのは、静が倒してたからか」
「うん。魔物討伐つあーしてた。魔石がぽがぽ」
「なんで……」
かなえがぽつりと呟いた言葉は、やけに大きく隧道に響く。
顔を向けると同時に、かなえが怒りの形相で叫んだ。
「なんであんたがそれを持ってるのよ!」
ゆらりと立ち上がり、やや覚束ない足取りで近づいてくる。
「それは、その刀は、伯父さんのものよ!」
彼女がそう叫んだ直後、清巳の隣で殺気が膨れ上がった。
清巳は咄嗟にかなえの腕を掴んで強引に引っ張り後方へ投げた。目の前でぴたりと刀が止まる。
「なんで邪魔するの」
「ダンジョン内でも殺人は殺人だ」
「おっちゃん嵌めて殺した人間の仲間だよ。消さないと」
それは純粋な害意だった。奪う者への悪意なき制裁。
緋緋色金の刀を使っていた探索者は一人だけだ。数十年ぶりの最高ランク。しかもソロで上り詰めた、今の探索者の中では知らない人はいないであろう伝説の人物。協会と袂を分かって以降、その存在は表には出てきていない。
唯一、三、四年前に死んだという噂がまことしやかに流れたくらいで、それすらも真偽の程は不明。静の使う刀がその人が使っていたものか確証はなかったが、二つ三つとある代物でもない。
「……………………なんで、あの人を伯父と呼んだことが仲間になるんだ?」
「おっちゃんはなにかあると分かってて行った。行く前にたくさん預かった。おっちゃんが残したものも言うとおり受け取った。そのあとから、私がおっちゃんの娘とわかってて奪いにくる人がいる。おっちゃんの知り合いとか、おっちゃんの元妻だとか、おっちゃんの従兄弟とか、おっちゃんから受け取るように言われてきたとか、嘘ばっかり。誘拐してくる人もたくさんもいた。あれだって、伯父とかいって刀を奪うつもりだったでしょ。仲間じゃないならなに」
想像以上に、厄介な目に遭っているらしく、不信感が強く見て取れる。
清巳は腕を組んで記憶を掘り返した。
元緋緋色金ランクの男――御坂敦は、御三家の一つ、
「御坂家自体はたしか、弟か妹が継いで、どっちかは婚姻で家を出てたはず。年の差は知らないけど、年齢を考えれば子どもがいてもおかしくはないから、姪っていうの自体は嘘ではないかもしれないな」
「詳しいの?」
「いや。昔の知識だ。江川って、苗字を隠したいときに傍系が使う苗字の一つのはずだから、ざっくり血筋を考えても嘘と断言できるものがない」
静が殺気を収めてかなえを見下ろす。
「むー……おっちゃんからそんな話は聞いたことない」
「裏切りには厳しい風潮だからな、あそこ。協会をやめた時点で生家とは絶縁だ。親族すべてもそれにならう。口にするようなことはまずしない」
ふと目を瞬いた。
そう、口にするはずがないのだ。それでも口にしたのは彼女自身が家と関わりを絶っているか、あるいはそれを忘れて零れたか。
ちらりとかなえを横目で見ると、真っ青な顔が更に白くなっていた。
どうやら後者らしい。憐れなことである。
視線を戻すと、静は頬を膨らませ、不服そうな顔で黙りこくっていた。
「だから、社会的には何の関係もないが、血が繋がっていること自体は否定はできない。実際、どうなのかは知らないが、許してやれとは言わない」
「……、…………大きいのはいいよ。大きいのは。違うってわかったから」
拗ねて八つ当たりするように、足を振った。蹴られないように避けつつ、ふと出逢った頃の真実に思い至った
「もしかして、あのとき首落とされかけたのと、つきまとってたきたの、その確認のためか」
「うん」
知りたくなかったような、知らないままがよかったような。あのとき反応できた自分えらい。つきまとってるのは今も同じだけど、害はなかったから通報しなくて正解だった。
一人納得していると横で気配が動いた。
おもむろに新しい縄を取り出した直後、調子を取り戻せないでいる面々を縄で巻いた。
「きゃっ」
「うわあ⁉」
「え⁉ な、なに⁉ なにこれ⁉」
縄の束が片手に収まらず、両手で引っ張り、静はその端を差し出した。
「あげる」
その顔はまだどこか不満そうだが、ひとまずは矛先を収めることにしたらしい。ぐるぐる巻きにされている彼らの回復を待つより、連行した方が早いのは確かなのだ。
「……………………貰いたくないが一応受け取っておこう」
本音を言うならいらないが。
縄を手渡した静は空間収納に剣を収めて隧道の隅に転がっている縄の端を持って片手で引きずった。
「あげる」
差し出された縄の先を追いかけて、見たことがある顔に渋面を作る。先日の中学生グループだ。立ち入りについては制限されているはずなのだが、目を盗んで入っていたらしい。
「それは?」
「死にかけ。あげる」
「いらない。拾った物はちゃんと静が上に引きずっていくこと」
「……わかった。ちゃんとゴミ……じゃなくて、えっと……産業廃棄物捨ててくる」
「結局ゴミ扱いだからな、それ」
「特別指定産業廃棄物」
「扱いは変わらないからな」
「特定有害産業廃棄物」
「それただ『産業廃棄物』って言いたいだけじゃないのか」
「最近覚えた」
「どこの小学生だよ」
文字通り縄で締め上げて溜飲が下がったのか、産業廃棄物、と歌い出しそうな声音で軽やかに踵を返す。
その小さな背中を見つめ、清巳は苦笑した。
少し前まで抱いていた苛立ちが嘘のようである。怒りも憎しみもあったはずなのに、話しているうちにすっかり毒気を抜かれてしまった。
「行かないの?」
足を留めたまま動かない清巳を訝しがって静が振り返った。
「行く」
後を追うように地上への道を戻る清巳の後ろで上がる扱いに対する抗議は一切無視して二階層へと上がった。
時刻はすでに十一時半を回っている。いつ奈落が開くのかはわからないが、はやいところ浅木地区からは離れたい。
『――みつけた』
二階層へと足を踏み入れた直後、老婆のしゃがれたような声が背後から耳に忍び込み、全身が怖気だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます