第29話

 回収袋を機構に提出した清巳は、逃げる間もなく高垣に背後に立たれて顔をしかめた。

 後ろから感じる威圧に気づかなかったことにして横に動こうとした直前、高垣が口を開く。


「協会が調査に応じる代わりにお前たちを指名した」

「お断り致します」


 即答した清巳に空気が僅かにざわつく。

 清巳は受付から振り返って東都支部の副部長を睨めつけた。


「弟妹を愛でに行くのに忙しいので他を当たってください」

「それができたら苦労はせん」


 無言でにらみ合う二人を見比べ、静は清巳の服をつんつんと引っ張った。


「協会の人、潰しても良い行事?」


 嬉々として尋ねられた内容に高垣の頬が引きつる。

 しばし思案した清巳はわずかに首を傾げて答えた。


「喧嘩売ってくるならいいんじゃないか?」

「ダメに決まっているだろう馬鹿どもめ。更にこじらせてどうする」


 連盟への調査協力が得られず、浅木地区内のダンジョンは研究機構の管轄であることを盾に協会に協力を仰いだ。七年前の四国事変は協会管轄の都市で生じた異変でもあり、協力姿勢も見られていた。

 ところが、協会幹部の秘書が重症、そして復帰困難な状況になってしまったことで協会は手のひらを返した。引退したとは言え、高名な元探索者を再起不能にした代償である。なんとか頭を下げて根回しして、ようやく当事者二人は同席させることを条件に協力を得られることになった。

 ゆえに、当事者二人には拒否権はない。ということを懇切丁寧に説明するが、静はなにひとつ堪えぬ顔で断言した。


「じゃあいいや」


 静が清巳の腕を引っ張る。


「これは支部長命令だ。拒否するなら剥奪も辞さない」

「…………………………………………………………………………………………ちっ」


 忌々しげに清巳が舌打ちした。

 悲しいかな、いつの時代も現場の人間は上からの無茶振りに振り回されるのである。どれだけ嫌がっても、どれだけ面倒だと思っていても、どれだけ早く帰りたくても、組織上許されないものは許されない。

 なお、静は黒鉄であるため、その範疇ではない。協会が無理を敷いているだけで、静だけは規則上強制参加させることだけはできないと理解している高垣は、他人事の顔をしている静の返答は求めなかった。元金青ランクパーティーの一員を一撃で沈めた化け物相手に実力行使は探索者の無駄遣いである。


「調査日程は追って連絡する」


 素直に従うのも癪で清巳は足を留めて良い笑顔で嫌みを吐いた。


「空気がおかしいので近隣住民に避難指示でも出しておくことですね。首が薄皮一枚でも残るかも知れませんよ」

「……頭の片隅に留めておこう」


 すぐすぐに応じる気はない一言に、清巳は感情のない目を剥け、逸らした。手を引く静のあとを追うように支部を後にする。

 鬱々としながら帰路を進み、家の前に立った。ポーチから取り出した鍵で解錠し、家の中に入る。玄関前の床に腰を下ろした清巳は、狂いに狂った予定を嘆いてうな垂れた。


「会えない……克巳と明美に会えない……」


 調査隊への同行命令が下り、探索資格を盾にされた以上、浅木地区から離れることはできない。捕まる前に逃げたかった。弟妹の元に帰りたかった。

 泣きたいほど苦しいのに涙は全く出てこなくて、それが一層心を重くする。


「ごめんなさい」


 静が小さく謝り、清巳の頭を撫でる。

 発端は彼女の呼び出しであったのは事実だ。清巳は大丈夫とも赦すとも言えず、両手で顔を覆う。

 もうやだ。何も考えたくない。でもご飯は食べないと二人が心配するからそれだけはしないといけない。


「…………ごはん。なんか食いたいのあるか」

「苦くないの」


 頭を撫でる手を止めることなく静が答えた。虫やら蛇やら草やらに比べたら、一般的な食事のほとんどは苦いとはいえない。当然、と言う顔をしていたことから察するに、あれは静の日常であることは容易に想像がつく。ダンジョンの魔物を食べないことには疑問は残るが、どちらにしても食に対する知識や興味は人並み以下である以上、献立を求めるのは酷というものだ。


「……適当に素麺でも茹でるか……」


 倦怠感の激しい体を引きずるようにして台所に立ち、乾麺をひっぱりだす。鍋に水をいれて火にかけ、ふらふらと椅子に座った。

 机に突っ伏してぼんやりしていると、ぐつぐつと煮え立つ音が耳朶をつく。自らを叱咤して麺を茹で、つけつゆを作る。

 横でじっと眺めている静に清巳はおろし金と生姜を差し出した。


「なにこれ」

「つゆを入れた容器の上にそのおろし金を置いて、そうそう。それで十回する。生姜を前に軽く押し出せばすれるから」


 恐る恐る生姜を滑らせた静は、嬉しそうに目を瞬かせて清巳を見上げる。


「手前に戻して、もう一回押す。そう。あと八回頼んだ」

「ん!」


 数えるように頭を縦に揺らしながら静が生姜をすりおろす。長期で不在にする予定だったため、食材らしい食材は何も残っていない。薬味だけの素麺ではあるが、清巳も静も量は食べないので大丈夫だろう。

 ざるで水を切り、器に盛り付ける。つけつゆを二等分してテーブルに並べた。

 向かい合うようにして着席し、手を合わせる。


「いただきます」


 手を合わせた清巳を真似して静も慌てて手を合わせる。


「ぃただきます」


 三本の麺を箸でとり、軽くつけてからすする。もそもそと力なく咀嚼する。いつにも増して味気ない。胡瓜や大葉がないのも一つの要因だろう。

 一口しか食べていないのに、どうしようもない満腹感が体を襲う。もうすでに箸を置きたくて仕方がないが、ばれたら二人が怒る。せめて、弟妹のためにもう少し食べた方が良いだろう。

 緩慢に箸を伸ばした清巳は、視界の隅で左右に揺れるものを認めて視線を上げた。頬を膨らませるほどいっぱいに詰め込んだ静が、満面の笑みで体を左右に揺らしている。しばらくもごもごと口を動かしていた静は嚥下すると、フォークで麺をすくい上げてつゆの中に入れる。

 うまく素麺をすすることができないのか、器用に口のなかに素麺を収める。上機嫌に咀嚼していた静が視線に気が付いて不思議そうに首を傾ける。


「なんでもない」


 清巳は微笑を浮かべながら首を横に振った。

 体を揺らすのは行儀としてはよろしくはないが、目を輝かせて笑顔で食べる姿はまるで明美のようだ。妹ではないけれど、まるで妹と食事をしているかのような錯覚に笑みがこぼれる。

 口に運んだ素麺は、先程よりも美味しく感じた。





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