第83話 現実自身の撞着#1
「人類や、何らかの共同体を苦悩から救済する事業があるとすれば、それは
しかし、あなたは神をお信じにならないのでしょう?」
「はい。」
2度めにして、アマリリスはまたも即答した。
そしてやはり、あ、まずったかな、と思った。
案の定。
「何故でしょう。
ご覧になったことがないからですか。」
ん~~~、、
大地が円盤ではなくて球体だと信じている、というように、
何かの実在を、実物を見ずに信じること、感じることはできる。
でも見たことないから信じない、と言うのは、、悪魔の証明というやつだ。
・・・逆に、見たことがあったら何でも信じる??
あたしが実際に見ていたのだとして、スネグルシュカにジェド・マロース、
いいや。
去年の冬の間は怪しいところがあったけど、今は、あれは手の込んだ夢だったのだと思っている。
ぼっちで寂しくて仕方なかったあたしには、きっと彼女たちの幻想が必要だったのだ。
けれど
「必要じゃないからです。
この世界を作ったとか、天上からいつも地上を見守っているとか、
そういう誰かがいなくたって、獣も魔族も、あたしだって十分うまくやってるわ。
”見たことがない”を”必要がない”に言い換えただけとも言えるが、アマリリスは口に出た自分の言葉に確証を得ていた。
果たしてブルカニロは、満足そうに頷いた。
「意地の悪い、いささか卑怯とも言える問いかけを失礼しました。
あなたの確証に、私は反駁の言葉を持ちません。
古来よりの素朴概念としての神は、大きく2つの役割を期待されていました。
1つは、創造主に代表される、世界の
もう1つは、人間の使命を教示し、その生に意義や目的を与える導き手としてです。
1点目については、神は既にその役割を終えたことが明らかです。
かつては神秘そのものと信じられていた世界の理が、クリプトメリア君に代表される、人間自身が築いた知の体系によって、超越の存在を持ち出さなくとも説明できるようになりました。
この点では議論の余地なく、人間は神に勝利し、彼を排斥し終えたと言えるでしょう。
2点目についてはどうでしょうか。
人間の精神は、そこに”神”の文字を含むことが示唆するように、崇高で侵すべからざる概念を必要としている、という主張があります。
人間にそのような必要があり、必然的に信奉する限りにおいて、信ずる人の概念としての神は実在する。
今日、近代性を標榜する宗教家の議論は概ねこのようなものです。
しかしこの議論には、果たしてその概念が”神”である必要があるのか、という反駁が可能です。
世界の究明が人間の知によって進められていったように、
人間自身が自らの精神や、自分たちの社会をより良く導き、苦悩からの救済を探究する、そういう方法論もあり得るはずです。
神を否定しつつ、人類普遍の幸福を模索する、あなたの概念はこのようなものでしょうか。」
「そうそう!
まさにそんな感じ、です。」
いつもながら、ああ、あたしはそういうことが言いたかったのか、と分かってスッキリする。
「”概念としての実在”などという、それ自体難解な概念を持ち込むよりも、
あなたの考えの方がずっと簡潔で開明的であり、現実主義的であると私も思います。
しかしながら、――これは思想自体の欠陥ではなく、現実的であることの宿命ですが、
天に
地上の問題すなわち、人間の苦悩を構成する、現実自身の撞着です。」
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