第77話 どうしていいかわからない仕事

せっかくのデザートのシャーベットが、皿の上で溶けてグズグズになってしまっていた。


「ルピナスさん、かわいそう、、」


アマリリスは打ちひしがれた様子で、呻くように言った。

どこか泣き出しそうな雰囲気にも思えて、ルピナスはうろたえた。

しまった、俺は一体何をしている。


「すみません、こんな席で💦

なんだか、辛気臭い話ばかり聞かせてしまって。」


アマリリスは目を伏せて首を振り、


「前から思ってたんです。

今のあたしの仕事は、こうすればいいんだ、って答えがあるけど、

どうしたらいいかわからない、みたいな仕事を引き受けちゃったら辛いだろうな、って。」


「――、、」


ルピナスは言葉をかけようとして、言うことが見当たらずに口ごもった。


ルピナスが彼の肉声で語ったことは、前項までの、期間としては2年弱でありながらこの通り浩瀚こうかんな年代記の、ごくかいつまんだ要約であり、

話し言葉特有の要領を得ないところ、彼自身の忸怩から曖昧に言葉を濁したようなところも少なくなかった。

何より、現場監督や管理者といった仕事の経験のないアマリリスには想像が難しく、実感としての理解を持ちづらい部分も多かった。


それでもアマリリスは理解していた、ルピナスが本心から、彼の職場の良かれを願い、そのために懸命の努力をし、悩み苦しんだのだということを。


それはルピナスの側にも少なからぬ心の揺らぎ、

――もういい大人なのだから感涙に走ったりはしないが、彼女と同じぐらいの年齢であればそうしていたかもしれない感覚を掻き立てた。


要領を得ない説明にして、理解の困難な業務領域でありながら、

そしてこんな年若い少女が、自分のことを理解してくれている、当時は誰とも分かち合えなかった苦しみに、共感してくれているのだ。

それは静かな感慨であり、同時に呆然とするような驚きでもあった。


「まあ、設計部もイヤな思い出ばかりではないんですよ。」


気まずく気恥ずかしいのと、この流れにとらわれていたら実際に涙が絡んできそうで、

ルピナスはやや強引に別の方向へ話を持っていった。


「1年目の作業場で、喧嘩別れみたいに会社を辞めてしまった職工がいましてね、

腕の良いベテランの女工さんなんですが、結構人当たりのキツところがあって。」


「女工さん!

女の人もいるんですね、全員ガチムチ系のコワいお兄さんかと思って聞いてました。」


「男に比べれば人数は少ないですけど、普通にいますよ。

鍛造なんかとは違って、力仕事はそれほどないし、細やかなところと合う仕事なんでしょうね。

職人さんって、技術が全てみたいなところがあるから、女性だからといって見下したりはしないんです。

でも彼女の場合、何て言うか、そこなの?ってとこで一歩も引かない、女性特有の面子メンツみたいなものが・・・」


ルピナス自身、彼女を非難するつもりも、性別による言動の傾向を議論する気も毛頭なかったが、

当の女性を前にして、会話の主旨ではないところの表現にあたふたと苦慮した。


「あたしに気なんか使わなくていいですよw

わかります、女ってそういうトコありますよね。」


「どうもw

言い方がキツいのと、間違ったことを言ってるわけじゃないだけに議論も平行線になりがちで、

意地の張り合いみたいになってしまうことがよくありましてね。。

しまいには、ご本人のほうから、もうこんなとこヤメてやるっ!って感じで出ていっちゃったんです。」


ルピナスとしては、厄介事のたびにため息をつきつつも、彼女の技倆を高く買っていたので、

ずいぶん慰留もしたし、結局それも叶わず離職となった事は、実に残念に思っていた。


ところが、これまた”女ってそういうトコ”な事案なのだが、

彼女は半年ほどして、設計部の管理者となっていたルピナスのところに、けろっとした様子で現れた。

そして、やっぱりまだ製罐の仕事を続けたいから、雇ってくれないかと言う。


その申し出を、ルピナスは心底から歓迎した。

設計部で、孤立と孤独を感じながら仕事に忙殺されていたところに現れた旧知ゆえでもあったが、

何より、作業場では結構な、正直傷つく言葉をさんざんぶつけられた彼女が、こうして自分を頼ってきてくれるというのは意外であり、とても嬉しかったのだ。


「でも僕はもう設計部の人間になっていたし、

作業場の後任の監督に口をきいて入ってもらうことも出来ないわけじゃないけど、

僕の見てないところで、また元の木阿弥みたいな面倒を起こされるのも後任に悪いなぁと。

それで、設計部の仕事を手伝ってもらうことにしたんです。

製造現場の視点から、もっと良い設計のためのアイディアを貰えるんじゃないかと思いましてね。」


それは、前例もなければ、この会社の風土から言って物議を醸す判断だった。

設計部社員には、少なくとも職能開発校での専門教育を受けた者を配置する、という通例には目をつぶるにせよ(彼女は初等学校卒だった)、

より大きな心理的障壁となっているのは、会社としての指針、体裁、社是などと呼ばれるものだった。


歴史ある大企業ではよくあるように、

そのような有難い会社に勤められることを日々感謝し、全面的な崇敬と帰依を被雇用者の精神に求めるような圧力が、会社の暗黙としてあった。

実際、この規模、知名度の会社に雇用されることは、特に低所得者層では羨望をもって見られる身分であり、他に替えがたい栄誉でもある。

ところが彼女はあろうことか、その栄誉に三行半を叩きつけ、社の門を蹴破って飛び出していった破戒者ではないか。


彼女の技術を買うことが組織の利益であるとする、ルピナスの主張自体には、会社側も反駁はなかった。

しかし、であれば我等が組織を否定して離脱した者と、利益のために再度の契約を結ぼうというのか。

それは考え方次第では組織の存立基盤に投げつけられた問いであり、

表面的にだけ見ても、節操のない、喩えば心はとうに離れた伴侶と、体の関係だけを求めるような振る舞いと言えるだろう。


ルピナスはそれらの、謹厳で神聖であるかもしれないが、滑稽でしかない圧力には取り合わなかった。

ここは思想信条を共有する場ではない、営利企業だ。

そして企業とは成果を産むための組織だ。

成果以外のものを、社員が会社から求められる謂れはないし、会社も求めるべきではない。

ここに成果を産むだけの優秀な才能がある、その活用を阻むことに、どんな正義があるというのか。


目的の為には恥知らずにもなれることに、ルピナスは小気味よさすら感じていた。

同調圧力をはねつけて、自分の信ずるところを押し通すだけの裁量を与えられていたことは、

管理者としての自分の働きぶりのなかで、今も残る数少ない欣快の記憶だった。


周囲からの白い目をものともせず、設計部の事務所に入ってきた元職工の女性は、

ルピナスの期待に応えるだけの働きぶりを見せ、少なくとも彼が会社を去る日まで、周囲と揉めることが以前よりは少なくなったように思えた。


「カッコいい~~❤」


アマリリスは見も知らぬ女性の再就職を我が事のように喜び、それを断行したルピナスを尊敬の眼差しで見つめた。


「その人がルピナスさんを頼ってきた理由、あたし分かりますよ。

あたしも、そんな上司さんの下で働きたい、って思いますもん。」


「どうも、、なんか照れますねw

でも、ありがとうございます。」


ルピナスの心に、何かがコツンとぶつかる感覚がした。

そうか、俺はそう言ってもらいたくて、彼女にこの話をしたのかも知れないな。

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