第75話 ロペジア・アポカリプス#3

理念はさて措くにしても、仕事の現実は救済を必要としていた。

大戦争が始まり、ラフレシアもタマリスクとの戦争に突入したこの年、軍需の急増から、

設計部では、管理者のみならず部署の業務全般が慢性的な飽和状態にあった。


兵器工場から、糧食工場から、ひっきりなしに開発されて戦場に投入される新製品のために、

適切な形状と寸法の缶を設計し、製造し、製品の梱包と出荷に合わせた納期で納入しなければならない。

設計に費やせる時間は、よほど複雑な形状のもので長くとも1ヶ月、

多くは2週間か、それ以下の作業期間で設計図を製造部門に引き渡さなければならなかった。


16名いたルピナスの部下の一人残らずが、あとからあとから舞い込んできて、彼らを飲み込もうとするかのような発注仕様書の山に辟易し、

何の希望も見いだせないまま黙々と仕事に飲み込まれてゆくという有様で、職場の空気は重く淀んでいた。


新任管理者ルピナスは、さしあたり前年の成功体験の一つ覚えで、

設計作業の非効率を探り出し排除することで、全体的な負荷の軽減を目指そうとした。

漫然と踏襲されてきた仕事によくある、実質的に無意味な作業を廃止し、

複数人が協業する仕事では必ずと言ってよいほど発生する、作業の滞留を解消する、

概ねそんな改善のイメージを持っていた。


しかしその活動は、一種不可解な不首尾に終始する。

ルピナスが暗黙の前提としていた、社員たちからの協力がまるで得られないのだった。


社員たちはみな、勤め人としての作法を弁え、表面的には、無骨な作業場職工よりもよほど対話のハードルは低いように見えた。

しかし彼らは、自分の仕事について他人と、上司であるルピナスとも話したがらなった。


不承不承聞き取りに応じても、対話からなるべく距離を置き、早く話を切り上げようとするばかりで、その説明は一向に要領を得ない。

ルピナスが問題点を指摘し、改善策を提案しても、言を左右にし、焦燥すら見せながら議論から逃れようとする。

ルピナスの側が苛立って、一方的に作業手順の変更を約束させても、目を離すと元通りの手順で、何食わぬ顔で作業を続けていたりする。


こんな調子では、ルピナスが思い描く、彼ら社員自身が自らの仕事を前向きに捉えて改善を施し、

仕事への誇りと喜びを取り戻す職場の姿など、望むべくもなかった。


現場の仕事を見ていればそれで良いわけではない管理者には、

彼が自分の管掌に四苦八苦している間にも、企画部門からの仕様変更指示、販売管理部からの催促、取締役からの報告指示、

ありとあらゆるコミュニケーション要求が、痩せ馬を走らせようと背に降り注ぐ笞のように舞い込んでくる。


コスト削減、納期短縮、品質強化、そしてまたコスト削減と、相反する要求に翻弄され、

ともすれば当初の理念すら忘れがちになるルピナスは、その状況にしては真っ当な、少なくとも彼自身には手堅いと思えた施策を打ち出す。


要求仕様から製罐設計の書き起こしは、毎回同じ手順で、製図台の真っ白な紙面に一本の線を引くところから始められる。

特殊な形状のものは別として、平缶、円筒缶、角缶のようなありきたりな形状のものは、

当然ありきたりな、明らかに以前に見覚えのある設計を書き起こし書き上げることになる。


ルピナスが考えたのは、そういった共通性の高い製品については、予め基本的な仕様を盛り込んだ半完成の設計書、いわば雛形テンプレを用意しておき、

実際の設計の際には、その雛形テンプレに個々の注文で固有となる仕様を書き加えることで設計を完成させるというものだった。

そうすることで、共通で戦略性のない仕様までも毎回ゼロから設計する手間が省かれ、同時にコスト削減も納期短縮も品質向上も図られることになる。


更にルピナスはその延長に、設計・製図作業自体を電算化し、形状・寸法・面取りやビード加工の有無、、といった一連の諸元パラメータを打ち込めば、機械が自動で設計書を書き上げるシステムの構想を見込んでいた。

そうすれば、人間は決まりきった・ありきたりな製品の設計からは解放され、より難度の高い、取り組み甲斐のある設計に腰を据えて専念することが出来る。


おそらく、自分以外の誰かも、似たようなことを幾度となく考えたのだろう。

会社の電算処理室には、会計や受発注業務を支援する電算機械の横に、自動式作図装置が、現時点では用途もないままに据え置かれていた。


全容は大掛かりでも、発想自体はシンプルで、実現の勝算も十分にあると思われた構想は、しかしその端緒から、

それまで言葉を濁してばかりいた設計部社員からの、明確で強い否定を突きつけられることになる。


16名の社員が異口同音ならぬ、異口異音に述べ立てた反対意見を並べ、一定集約するならば、


✔そのような施策は必ず失敗する宿命にある、自分たちを巻き込まないで。

✔思いつきで現場を振り回すのはやめてほしい、余計な仕事が増えるだけ。

✔過重労働反対、それを現場で解決しろというのは筋違い。会社は抜本的な改革を打ち出すべき。

✔コスト削減だの、納期短縮だの、利益至上主義反対。それらは会社にとって都合のいい、労働者搾取の言い換えに過ぎない。

✔どうせ手抜き設計で出来上がった粗悪品を売りつける結果になるだけ。会社は労働者だけでなく顧客からも暴利を搾取しようとしている。


個々の主張は、それが依って立つ前提を受け入れるなら、なるほど理屈としては成立するのかも知れない。

それでいて全体として見た時に、不可解というか、掴みどころのない論理だった。


発案者のルピナスも、自分の打ち出した施策に完璧な確信を持っているわけではない、それこそ神でもなければ、そんなことは言えない。

であれば逆に彼らはなぜそれが必ず失敗すると、労働者を苦しめ、顧客に損害を与える結果になると断言できるのだろう?


利益を確保するということ、それ自体が目的とは思わないが、企業存続の前提条件であることが、

労働者から、顧客からの搾取といった悪辣と同義と断じられるのは何故なのか、誰もが利益を得る道があると考えるのは非合理なことだろうか?


この閉塞した状況を打破してくれるという”会社”とはどういう人格なのだろう、”抜本的な改革”とは?神の福音のようなものだろうか??


これらのことを議論しても、神ならぬ人間同士の宗教論争の類にしかならないだろうと察していたのと、

宗教論争との連想から、ルピナスは唐突に、そしてようやく気づいた。


彼らは、変化を欲していない。

より正確に言うなら、自ら変化を起こすことを望まない。

改革を叫び、救済を唱道しながら、その実現は望んでいない、信じてもいない。


期限付き契約雇用で、自らの技術を資本に事業を営む作業場職工とは違い、

正規雇用の社員である彼らは、製罐設計であれ、あるいは他の何かであれ、会社から仕事を請け負う以前に、

この会社に”雇用”されているという認識を強く持っていた。

そして”会社”とは、彼ら自身がその一角をなして構成する実在の組織ではなく、観念的に外部化された客体だったのである。


会社の無能と不合理が彼らにもたらした苦難は、侵すべからざる尊重を要求するものであり、

その救済は、あたかも護国救世の如く、完璧な形で整然と行われなければならなかった。

議論や試行錯誤の末に積み上げられるものでなどあり得なかった。

まして殉難者の彼らが、なんで嚮導者の役割を果たさなければならないのだ。

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