第74話 ロペジア・アポカリプス#2

管理者すなわち、会社側の人間、企業組織の体現者。


その役割に、ルピナスは当惑した――言葉を濁さずに吐露するならば、途方に暮れた。

〜が要求される、~の必要がある、~でなければならない、


両手に余るほどの種類と分量の仕事もさることながら、それだけが懸念なら漠然とした楽観のもとに見ないフリをすることも出来ただろう。

1年目の経験からルピナスは、一見には途方もないと思われても、意志の力と、冷静な現状認識があれば、乗り越えられない困難など滅多に存在しないのだと学んでいた。


彼の当惑はむしろ、仕事の背景に要求される、組織人としての思考流儀に対するものだった。

それは、論理として理解はできるものの、ルピナス個人としての自然な発想や願望とは相容れないものだった。

言うなれば、企業という仮想の人格、自己とは異質な方法で配列された他者の頭脳に則って、

自らの思考や論理を展開するというような、ルピナスにとっては難度の高い技を要求した。


稀には、水中で呼吸する魚のようにその思考法を使いこなし、自由自在に企業組織の中を泳ぎ回る異能者も居るには居る。

しかし、重役のような企業の中核を担う人物も含めて、実はほとんどの企業人の自己にとって異質であって、

適当な距離を置きながら、きまり悪そうに、時には自嘲的に、組織人としての自分と付き合い、それを演じてゆく。


しかしルピナスは、管理者としての自分に当惑ばかりを感じ続け、それを体得することはついになかった。

ほとんどの企業人が真に体得などしない中、ルピナスばかりがそれを強く意識し続け、苦悩にも感じたのは、

ひとつには彼の、融通の利かない生真面目さの為でもあったろうし、

ひとつには、たとえ表面的にせよ、自分がその役割を演じることはあり得ないと、当初から見抜いていた為であったかも知れない。


当惑しつつ手をつけた仕事は、捉えどころのないぬかるみのように手足にまとわりつき、

ルピナスは足掻くばかりで、一向に前進している感覚がなかった。

自分が、仕事を前に進める上での指針を見失っていることに、ルピナスは気づいた。


作業場でのルピナスが目指したことは、一人ひとりの職工がより生き生きと働き、

その能力を遺憾なく発揮して、彼ら自身の満足に値する成果を達成してくれることだった。

それは結果的に、会社の望むところと合致していた。

この時は、ルピナスと会社は同じ方向を向いていたといえる。


しかし設計部ここでは、

彼にとって心強い導き手であったはずの仕事が、その指針を示すことをやめてしまい、彼を翻弄する濁流となって襲いかかってくるようだった。

進むべき方向が定まらないのだから、それでは前進など得られないのは当たり前のことだった。


まして、てきぱきとこなしたとしても膨大な量の仕事である。

こなせどもこなせども仕事が片付くということはなく、何かを達成したという実感もなく、

毎日、これ以上遅くなると帰宅の手段がなくなるという時間を迎えてやむなく切り上げ、困憊しきって会社を出る、ということが常態化していった。



悩んだ末にルピナスは、自分の願望の中から、自らの指針を選び取った。

自分の責務を、部下のための上司たらんとすることに掲げたのである。


企業、彼が務める軍事コングロマリットのような体裁を整えた組織は、究極的には出資者である株主のものとされる。

それは、神は偉大なりとする教理に似た、侵すべからざる理念であり、企業を内包するより大きな世界、社会や経済からの理解としては実際その通りなのだろうが、

そこで働く人間の殆どにとっては、教理に過ぎないことでもあった。

人が神の被造物であったとしても、人が創造主のために生きるわけではないのと同様に、企業の従業員は証券購入者たる株主の顔など知らない。


人が何のために生きるかといえば、それは第一に自身や家族の生活と幸福のためであり、

1年目の経験を通じてルピナスが強く信じるようになったところによれば、仕事を通して世界と健全な関わりを持ち、自分の役割と貢献を実感するためだった。


立派な企業に勤め、十分な額の報酬を得ていたとしても、誰からも頼りにされず関心も払われないとしたら、そんな生き方は惨めだ。

逆に、才能や技術に長け、周囲の羨望を集める人がいたとしても、その能力が全く自分一人の為のものでしかなかったら、やはり虚しいに違いない。

持つものも持たざるものも共に、自分に出来る貢献を行い、苦しみも喜びも分かち合う場、それが、彼がそうあってほしいと考える企業組織の形だった。


そして上司は部下を選べても、部下は上司を選べない。

であればルピナスはまず、株主とその使嗾である取締役の部下である以前に、自分を頼り指導者と仰ぐ労働者たちの上司でなければならなかった。

それが彼の良心が求める正義であり、彼自身が拠り所とする、心の安定でもあった。

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