第30話 生と死の感覚#1
アマロックにまつわる、というよりはアマロックを主軸として展開する対話は、その後何回かの面談に及んだ。
ブルカニロ博士はいつも、また気が向いた時にいらしてください、と言ってアマリリスを送り出し、次回のアポは取らない。
だから、そのまま行くのをやめてしまっても一向に構わないのだが、
1,2週間すると彼のことが気になってきて、気づくと文学部へと足を向けていた。
終業後だったり、仕事の空き時間だったりと時間帯もまちまちだったが、
ブルカニロはいつも、彼女のために時間を空けておいてくれたかのように迎え入れてくれた。
あんまり、講義とか受け持っていない先生なのだろうか。
最初の印象、『これは恋というものかしら?』にはまだ答えが出ていない。
ということは違ったのかな。
初対面の時の不思議な感覚のまま、ブルカニロの存在はずっと昔から親しくしている相手のようになっていた。
ちょっと残念なような、むしろホッとしたような温かな気分で、アマリリスはブルカニロの心地よい声に耳を傾けていた。
面談は、アマリリスが話すばかりではなく、ブルカニロが自分の考えを述べ、アマリリスが意見を求められる、
という形で進行することもあった。
「魔族には魂がない、と言われます。
これは宗教家の言葉ですが、一定の真理を含んでいると私は考えます。
魂がないから、魔族は平然と人を殺め、罪の意識に苦しむこともない。
愛する心を持たない、涙を流さない、というわけです。
ああ、お断りしておきますが、私は倫理観について論じているのではありません。
私は心理学者であり、学術面からのお話をさせて頂くのみです。
あなたが親しく交流された
ご不快を与えたとしたら、お詫びいたします。」
「いいえ、わかってますよ。
続けてください。」
「ありがとう。
さて、それでは、
魔族にはなく、人間にはあるとされる、魂とは一体何でしょうか。
そう呼ばれるものが実在することは確からしい一方で、実は明確な定義がありません。
善良を
教示には様々に記されています。
そのどれもが帰納的に正しい一方、私には、どうも正鵠を射ている感がありません。
私は、魂について一つの仮説を持っています。
魂とは、すなわち生と死の感覚であると。」
「生と死の、感覚・・・ですか。」
その表現は、アマリリスのイメージする魂、
人間を人間たらしめ、死後に天へと迎えられる霊というものには一致しない。
しかし、ブルカニロの言葉の多くがそうであるように、どこか心の琴線に触れるものがあった。
「人間と魔族、共に高い知能を有し、対話も可能な両者の決定的な相違は、
人間は生と死を区別する、生のみならず、死をも感覚する生物だということです。
人間は自らが生きていることを知り、一般にその感覚を尊ぶものです。
また、自らの体験にはない、誰もその体験を語ったことのない死を意識し、思い浮かべ、恐れもします。
だからこそ”生きながら死んだような”という比喩が成立するわけです。
一方で、魔族を含め人間以外の生物はそもそも、
生を尊ぶから、あるいは死を恐れるから生きようとするわけではありません。
生きようとするものが死ななかった、
精確に表現するならば、他の生物に食われたり、崖から落ちたりしない形質や行動を備えた系統が、
生命の長い歴史の細道をくぐり抜けて子孫を残してきた。
それが実際の構図であって、食われたり崖から落ちた結果の状態、
逆にそうでない状態に包括的な概念を割り当てることは、考えてみればナンセンスな話です。
魔族には、生や死の概念は必要ないのです。
彼らにとって存在するのは目に見えるこの世界、基底現実でしかありません。
違ったら言ってください。
あなたから見て、その魔族の彼に、生きるとか、死ぬとかいった概念はありましたか?」
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