第21話:リライト

 青城祭まであと15日 2022年9月15日pm 11:31:大澤夏樹、伊藤学、吉田朱音


 池袋駅前のカラオケ、角部屋の個室。タバコと揚げ物の匂いが残る室内で、夏樹は手持ち無沙汰に、壁付テレビに映し出された広告映像を眺めていた。

 土曜日という事もあって、店内には多くの客がおり、隣室から若い男のシャウトが響く。


 中央のテーブルには、メロンソーダが三つ。笹山から押収した『Panasonic NV-GS400』。そして、ガクが持って来たRCAケーブルが置かれている。

 甘く爽やかな炭酸に似合わぬ黒い線を、ガクがテレビに接続した。けたたましいアイドルの笑い声が止まり、真っ青な待機画面が映し出される。


「これでいいだろ。吉田ちゃんはどうだー?」


 音の外れた歌声に耳を抑えながら、白シャツ姿のガクは声を張り上げた。


「とっくに確認終わってます。着替えは大丈夫そうです」


 吉田は夏樹の右に座りつつ、花柄のワンピースを伸ばし、メロンソーダに口をつけた。作業を終え、ガクは夏樹の左にどかっと腰を下ろす。


「そしたら、再生……するか」


 夏樹は、青シャツの第一ボタンを開くと、卓上の『Panasonic NV-GS400』を手に取り、8月1日の録画を再生した。笹山に指定された『2022年8月1日14時』まで、早送りで映像を進めて行く。


 急速に映像が進み、右上の時間表示がam14:00に至る。夏樹は指を止めた。

 三人の間に緊張が走る。視界の先には、女子更衣室の天井視点の映像が映っている。


『川』の字に設置された三列のロッカーと、薄暗いクリーム色の室内。天井からの俯瞰視点である事により、各ロッカーの間、生徒達が着替える場所がよく見える。相反して、出入り口がある右上は暗闇に隠れており、窓が設置されているのか、画面の左下には眩い日向があった。


「……何もないですね」

「というか、やっぱ画質悪いな」


 ガクと吉田の感想の通り、荒い映像には人どころか目立つものさえない


『消してー! リライトしてー!』


 再度の男の絶叫に顔を顰める。三人は映像に食い入るが、1分、2分。いくら待てども変わらぬ景色があるだけだった。


「笹山の野郎、ほら吹いたのか?」


 痺れを切らしたガクが、再生ボタンを止めた。


「いや、あれだけ追い詰めたんだ。流石にあそこで嘘はつけないだろ」

「一体何したんですか、先輩達……」


 吉田は、息継ぎと言わんばかりにメロンソーダを飲む。その間も隣室から、外れた歌声が響く中で、夏樹は頭を捻った。


 ————『その日の映像を、確かめてみると良い。素敵な物が見れる筈だ』。


 笹山の言葉を思い返すと、一つ疑問が浮かんだ。あの時、笹山はなぜ、『映像を見てみると良い』や『見返すと良い』などと言わなかったんだ? 

 ビデオカメラを対象にするならば、そちらの方が適宜だ。普段から横文字の言葉を使う、神経質な笹山が誤用をするとも思えない。極め付けに、先ほどから聞こえる隣室の音痴な歌声。


 グラスを取る。メロンを感じぬ人工的な甘さが広がる。炭酸と共に、はっと閃光が夏樹の頭に弾けた。


「なあ、ガク。このビデオカメラって音声も録音されるのか?」

「その筈だぜ。20年前とは言っても、天下のパナソだしな」

「今、流れてたか?」

「……すまん、忘れてた」

「もう、しっかりして下さいよ。先輩」


 苦笑すると、ガクは先ほどと同様の手順で設定し、隣室の大声に負けぬように、音量を最大にする。


 再度の映像。先ほどと変わらぬ、女子更衣室の風景。だが今度は、外周する野球部の掛け声や、吹奏楽部の音色。こちらまで伝わって来そうな、ゆったりとした午後の空気が聞こえてくる。しかし、一つの音によって、それらはかき消えた。


 ————がちゃり。


 再度、同様の音が鳴ると、『こつこつ』という音が、室外の喧騒をかき消すように一際大きく響き始める。数回、同じ音が繰り返されると、『ばん』という、音が鳴った。それから、『みしみし』と何かが這うような音が無人だった室内に消えて行く。


 薄暗い室内。競り上がる熱気。夏樹は、室内の温度が上がっている気がしたが、首筋を伝う汗で、上がっているのは、自身の体温だと気づく。三人が震えていた理由は同じだった。


 何も、いないのだ————。


 ドアの開閉音に幾つかの音。しかし映像は変わらず、無人の女子更衣室を映している。だが、何か特異なものが、室内を我が物とばかりに闊歩している確信があった。


「先輩、止めちゃダメです……!」


 吉田の声で、夏樹はビデオカメラに手を伸ばしていることに気付く。何か、致命的な物を見てしまっているという確信が、その腕を動かしたのだ。


 音が消えたかと思うと、今度は、画面が揺れた。


 まるで、幼子に弄ばれる虫のように、『何か』によって掴まれたカメラは、そのまま空中へと浮いていく。カメラは、精一杯の抵抗と言わんばかりに映像を撮り続けているが、大きく視界が揺れた。


 揺れが落ち着くと、天井からの視点ではなく、今度はロッカーからの視点へと変わっている。眼前にはロッカーの、所々が剥がれかかった灰色の扉が見える。


 すると、吉田が悲鳴を上げた。


「先輩、陰、陰……!」


 緊張と恐ろしさに耐えかね、夏樹の袖を掴みながら、指で指し示す。画面の右端では、窓から溢れた陽光に、何者かの人影が映し出されていた。

 録画が停止され、最後の画角から映像が動かなくなった。


「フェイクだ!」


 ガクが叫ぶと、テレビの電源を消した。


「こんなの、偽物の映像に決まっているだろう! 俺達をビビらせるために笹山が残した最後の足掻きだ!」


 立ち上がって叫ぶガク。しかし夏樹は、意外にも落ち着いていた。


「落ち着けよ、ガク」


 夏樹に指定されて、ガクは座った。


「自分で言ってたんじゃないか。『Panasonic NV-GS400』は編集ができないって。これはフェイクじゃない。本物の録画映像だ」

 三人の間に、静寂が訪れる。いつの間にか、隣室の歌声も止んでいる。


「悪い。少し、頭冷やしてくるわ」

 ガクはグラスを持って部屋を出ていった。同時に夏樹も、大きく息を吐く。吉田は、無言のままエアコンの温度を下げた。



 ガクが部屋に戻ってきたのは、それから十分ほど経った頃だった。彼はコーラを注いだグラスをテーブルに置き、汗ばんだ額を軽くぬぐった。


「おかえり。頭は冷えたか?」

「三杯くらい炭酸をぶちこんだら流石に冷えたよ」


 ガクは、肩をすくめてソファについた。


「も、もう一回、流してみますか……?」


 吉田の提案に頷くと、ガクは映像を巻き戻した。Am14:00の表記。数分後にドアの開閉音。ヒールのような足音。何かを叩くような音と、這いずる音。今度は、吉田が停止ボタンを押した。


「この、『ばん』って音、私わかります」


 二人の視線に応えるように説明を続ける。


「この音は、『ロッカーの上に飛び乗った時の音』です。私がこの前カメラを探した時も同じ音がしました」


「ということは、この後の這うような音は、ロッカーの上を動く音か」


 ガクが再生ボタンを押す。数秒後に画面が揺れ、ロッカーが眼前に迫る。


「何かが、カメラを回収して飛び降りたのか……?」

「何かってなんだよ。何もいないだろ」


 夏樹の言葉を、遮るようにガクが答えた。映像もそれきり止まったままである。夏樹は、ゆっくりと深呼吸をしてから口を開く。


「……透明人間って言ったら、どうする?」


 一瞬固まった後、ガクが応える。


「ば、馬鹿言うなよ。透明人間なんて空想やファンタジーの存在だろ? この映像にも、何かしらのトリックがあるに……決まってる」

 大袈裟なジェスチャーと共に答えるガク。吉田は、ゆっくりと決意にこもった声で答えた。


「私は、信じます」

「おい、吉田ちゃん……!」


 座り直して、二人を見据える吉田。


「実は私、『旧豊島区立中学校』の出身なんです。この意味、わかりますか……?」


 しばらくの沈黙。ガクは頭を軽く指で叩きつつゆっくりと回答する。


「『旧豊島区立中学校』って言ったら、あの校舎が透明になったとかいう……」


 頷く吉田。


「そうです。あの日私は、校舎に残って、文化祭準備をしていました。そしてそこで……」


 ちらり、と夏樹の方を見ると、


「……校舎が透明になるのを目撃したんです。三階にいたから大変な思いをしたんですけどね」


 吉田の独白を、ガクと夏樹は呆然と聞くしかなかった。


「だから、信じます。あんな異常現象が起きるなら、透明人間がいてもおかしくないと思うもん」


 まっすぐと断言する吉田。その純真さに当てられ、夏樹もゆっくりと口を開いた。


「なあ、二人とも。今から話す事を口外しないって約束してくれるか……?」


 首を縦に振る二人。


「俺も、その日、旧豊島区立中学校にいたんだ」

「はあ!?」


 ガクが立ち上がって叫ぶ。


「なんで、だよ。去年はもう高校一年生だったじゃないか、俺達」

「それも含めて、話すよ」


 夏樹は、喉奥から何かがせり上がるような思いだった。嘔吐する寸前の、喉の痛みと確信が臓腑に蠢く。しかし、拳を握って語り出した。


「その日、俺は関東選抜の選考会を受けに、豊島スタジアムにいた。そこで、俺は、その……」


 黙って聞く二人を肯定と受け取り、そのまま続ける。


「長谷川先輩の、右十字靭帯を断裂させてしまったんだ」


 ————ああ、言ってしまった。


「怖かったんだ。尊敬する先輩が、目の前で、ガラクタのように蹲っている姿が。だから、だから俺は、逃げ出した。全てを投げ捨てて逃げ出してしまったんだ」


 決壊したダムのように、堰き止められていた感情と思いが流れ出ていく。


「ひたすらに、走った。責任と恐怖から逃げて、池袋駅前を駆け抜けた。そしてその先に、古びた中学校が見えた」


 夏樹の脳裏に、あの日の茜色の闇が浮かぶ。一言発するごとに、心臓を掴まれるような苦しさを感じるが、気に留めずに続ける。


「その、屋上で、一人の女の子と出会ったんだ」


 ガクと吉田は無言でその独白に聞き入る。しかし、その表情は少し悲しげだった。


「彼女は、透明人間だった。制服だけが目に見え、その全身は存在していないように透き通った透明を纏っていたんだ。だから分かるんだ。この映像は————」


 夏樹は、テレビに映し出された映像に指をさす。


「『透明人間がカメラを回収する映像』だ」


 三人は、それきり黙っていた。先陣を切ったのはガクだった。一気にコーラを飲み干すと、テレビの前に割って入り断言する。


「わかった。俺も、信じるよ。これは『透明人間』の存在を映し出した映像だ」


 夏樹と吉田はゆっくりと頷く。その姿を見つめて、ガクは断言した。


「だからこそ、ここで校舎を探るのは終わりにしよう」


 何かを言い返そうとする夏樹を手で静止しながら、語る。


「考えてみて欲しい。透明人間がいたとして、その重大さは俺達の範疇を超えていると思わないか?」


 そのまま接続部分に手を伸ばし、ゆっくりと、RCAケーブルを回収するガク。


「見えない。それだけで、どんな犯罪も可能になる。『窃盗』『情報収集』、そして『殺人』。あらゆる監視の目を潜って、完全犯罪をなせる存在だ」


 ぶつり、と音を立てて、深い青色の待機画面が映し出される。


「それに、二人とも何か忘れていないか?」


 コードを八の字巻きにしつつ、ガクが尋ねる。夏樹は、即座に回答した。


「……本の交換に細工した人物と、暗号を描いた人物か」


「ご明察。この映像が、透明人間を抑えた映像なら、一つ、分かることがあるだろう?」


 纏めたコードをリュックサックに仕舞うと、わざとらしく音を上げてジッパーをしめた。


「そ、そっか。さっきの映像が、『透明人間がカメラを回収する映像』だったとするなら、暗号を書いた人物が透明人間である可能性が高いです……よね」


「現状、俺達以外にこのカメラの存在を知っている可能性があるのは、コイツだけだしな」


 恐る恐ると語る吉田に答えつつリュックサックを背負うガク。


「今までの情報をまとめよう。『夏樹が昨年であった透明人間の少女は、校舎を透明にしたテロリスト』。そして、『彼女は、現在青城高校の生徒であり、監視カメラを回収していた』。そして、『夏樹と吉田ちゃんの本交換に細工を施した』。最後に、『暗号文を用いて俺達をこの場所に導いた』」


「まだ、あの子が監視カメラの透明人間であるかはわからないだろう!」


「確定ではないな。けれど、他の透明人間の存在が判らない以上、その少女が全ての元凶と考えるのが普通だろ」


 無言の夏樹に冷ややかな視線を向けると、ガクは二人に指を差した。


「去年、透明人間と出会った夏樹と旧豊島区立中学校透明化事件の被害者である吉田ちゃん」


 両人差し指をくっつける。


「この二人に『本』という接点を作って、透明人間の写った映像を発見させた」


 人差し指を、他の全ての指が食らうように、掴む。


「流石に出来すぎている。何かの作為があって俺たちの行動を管理しているんだよ、こいつは……!」


 乱暴に千円札を卓上に叩きつけるガク。


「……また月曜、学校で、文化祭を待つ生徒として会おうぜ」


 そのまま、扉を押し開いて去っていった。夏樹は乾き切った喉を、氷の溶け切ったメロンソーダで潤すが、ベタりと喉にこびり着き、不快感が増すだけだった。

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透明人間の殺し方 復活の呪文 @hukkatsunojumon

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