第4話 彼女の影

 こうして、僕はエレオノーラとして生活することとなった。全くの赤の他人である僕がエレオノーラの代わりをするのだから、当然記憶や振る舞いに齟齬が出る。

 なので、ヴィオラさんに頼んで、一度エレオノーラが隠れてしまったのを利用し、重度のストレスから記憶が混濁していることにしてもらった。


 体裁を整える為に、対外的にはヴィクトールがエレオノーラに療養をさせていることになっているので、必然的に会うことのできる者が少なくなるのも幸いだった。


「なんで、僕がこんなことを……」


 夜九時。自室にて。エレオノーラに成りすます為に、まず僕がやらされたことは勉強だった。学生時代、何よりも勉強が嫌で、最低限の点だけとってよしとしていた生来の無精者である僕が、である。


「貴女は次期女王となられる方ですから。これくらいは」


 ヴィオラさんの少し疲れの混じった真面目な声が、僕にはひどく冷たく聞こえる気がした。最初のイメージこそ気だるげに見えた彼女だけれど、話してみると真面目ないい人で、どうやらエレオノーラのことで彼女も苦心していて、疲れが溜まっているようだった。


「うへぇ……」


 僕が今学んでいる帝王学は跡継ぎとしての色んな知識や経験、作法、果ては人格や人間形成を含む全人的教育で、もちろん、僕とは縁もゆかりもなかったものだ。例えば、統治者は国民を只の被治者としてでなくいつ敵となってもおかしくないものであるとか、臣民に忠誠を誓わせる為なら残酷であることを気にしてはいけないとか。人を束ねるには心を鬼にしないといけないこともあるらしい。

 けれど、この体の頭がいいのか、体に記憶が刻み込まれているのかなんなのか、不思議と理解するのに苦労はあまりなかった。


 勉強が終わると、戦闘服に着替えさせられ、すぐに地下の訓練施設にて戦闘訓練が始まった。


「クルス様にはまずその体に慣れてもらいます」


 そう言ってヴィオラさんが何処からか三メートルはある蜘蛛みたいな形の白いロボットを持ってきた。


「これは……?」

「これは自立型の訓練人形です。このように訓練者にあわせて動いてくれるので、これをまずは倒せるようになりましょう。私はモニタールームから見守っていますので」

「え」


 ヴィオラさんが指をパチリと鳴らすと、ロボットは赤いセンサーをヴン……という低く唸るような音を立てて起動し、僕を認識すると、シャカシャカと寒気のする気持ち悪い動きで迫ってくる。

 なんだこいつ、でかすぎやしないか。ヴィオラさんは僕にこんなのと戦えっていったのか……?そんなことを考えていると、いつの間にか目の前まで迫っていた蜘蛛型ロボットはすばやく左前脚を払い、動けないでいた僕を跳ね飛ばした。


「うっ!?」


 思わず潰れたカエルみたいな声が出た。

 跳ね飛ばされた僕の体は、普通の人間ならミンチどころか壁のシミになってしまいそうな勢いで後ろに吹っ飛び、壁に激突する。けれど、不思議なことに傷つくどころか痛みすら全くない。


「なんだ、どういうんだ……? でも、これなら」


 僕は手をひらひらさせながら傷一つない体を不思議がってから、スッと立ち上がって、迫ってくるロボットへ正面から走り出した。僕を叩き潰そうと振り上げられた右前足を寸前で首を傾けて避けつつ、両手で掴んでそのまま後ろに投げ飛ばす。投げ飛ばされたロボットは訓練場の壁に直撃してガタガタと崩れ落ちる。

 壁に倒れ伏したロボットに近づいてみると、機体のあちらこちらから煙や漏電を起こし、赤いセンサーはピコピコと音を立てて点滅している。僕はロボットが壊れたと確信するとそれに背を向けヴィオラさんに向かって手を振ってみる。

 ……あぁ、怖かった。当然だけど、元の世界でこんなのに襲われることなんか無いし、戦うことだって全くかった。唯一出来るのは体育で習った程度の柔道だけだし。でも、この力があればなんにでも勝てそうだ。ともかく、終わった。ヴィオラさんに報告を……


 ――ッ⁉


 瞬間、僕の、いや半分他人の様な感覚だけど、とてつもない危険を後ろから感じた。それはまるで、耳元で黒板に爪を立てられたような不快感だった。直感と同時に僕は左斜め前に飛び込みつつ、ロボットへ向きなおる。僕が先程いた場所はロボットによって放たれた熱線によってドロドロに溶かされていた。あんなのに当たったら流石にこの体でもただでは済まないだろう。


「なんだ、この感覚……」


 あの状態のロボットを見ていると、嫌な予感がする。肌にまとわりつくようなザワザワとしていて、それでいてピーンとした嫌な感覚。


「来るッ……!」


 目の前のロボットが身震いしたかと思うと、外装がパラパラと崩れ落ち、中から一メートル程の黒い球体が出てきた。球体は中から四本足を生やし、唸るような音を出しながら、センサーであろう赤い斑点を点滅させキョロキョロと辺りを見回すと、再び僕に襲い掛かってくる。


「うっ、ぐぅ……!」


 ロボットは先程とは比較にならない速さで突き上げるように僕に体当たりすると、空中で方向転換をし、今度は地面に叩きつけてきた。尚も突っ込んでくるロボットを、僕は右手で抑える。

 数秒押し合いをするとロボットはギュルギュルと回転しながら上空へ距離をとり、センサーを赤く発光させる。さっきの熱線を撃つ気だと直感でわかった。


 やられる!

 そう思ったとき、僕の体が、いや、エレオノーラの体が勝手に動きだした。そう表現せざるを得ない程に、僕の意志とは関係なく体が動く。

 彼女は、仰向けの状態のまま手をロボットの方へと向けると前面に青色の薄い膜のような物を張って、ロボットの反転から放たれる無数の熱線をことごとく受け流した。

 そして、ユラリと立ち上がる。ロボットはまたも熱線を放たんと、赤い目をぎらつかせていた。

 ロボットはエネルギーを溜めるような動作をして、再び熱線の弾幕を放つと同時に僕の体は地面から離れる。彼女は弾幕の間を縫うようにしながら一瞬でロボットへ距離を詰めて鷲掴みにすると、手の平から超高熱の炎を収束させて放ち、ジタバタと暴れる機体を跡形も残らない程に爆散させた。


 敵を倒すと、体の自由がきいて僕は地面に倒れ伏した。あれは何だったのだろう。エレオノーラの、残滓……?

 途轍もない疲労感で朦朧とする頭は上手く働かず、直ぐにまぶたが重くなった。遠くからヴィオラさんの心配する声が聞こえる。よくわかりませんが、勝ちましたよと安堵と共に心の中で呟いて、僕は意識を失った。


――――――


 目を覚ますと、そこはいつぞやの棺桶だった。蓋は開けられていて、隣にはヴィオラさんが棺桶の縁に突っ伏して細い寝息を立てている。


「うぅ、んっ……」


 僕は寝ぼけ眼を擦りながら軽く上体を起こしてみる。

 気を失ってからどれだけ経っただろう、辺りは薄暗い。はじめに目覚めた時には気が付かなかったが、窓に当たるものがこの部屋には一切ないようだ。


「……なんだったんだろう、あれは」


 自分の手の平を呆然と見つめながら、僕は思考を巡らせてみる。

 あの戦闘で感じた、違和感と言うにはあまりにも大きい現象。あれは、明らかに僕の意志で体が動いた訳では無かった。まるで何かに導かれるように、勝手に動いたんだ。


「一体、僕は……」


 僕は、怖いと思った。

 体が勝手に動いたこともそうだけれど、あの僕の隣を掠めた熱線……。僕は生まれて初めて命の危機を感じた。ヴィオラさんの様子を見るに、僕の戦ったあのロボットは本当に只の訓練用なのだろうに。

 エレオノーラはこの国で一番強いドラゴン騎士団の部隊長をしていると聞いた。ということは僕はこの先、人類と異物との戦争の中で、こんな思いをずっとし続けなくてはならないのだろうか。顔見知りすらいないこの環境で。孤独のまま。


「どうして、こんなことに……」


 僕は両手で顔を覆う。

 内から湧き出てくる不安が、どうしようもないと否定する理性に無理やり蓋をされる。でも、それでも湧き続ける不安に、僕はどうにかなりそうだった。どれだけ抑えようとしても、流れ出した涙が止まる気配はない。


「ん……」


 傍らに、声が聞こえて僕はハッとする。

 ヴィオラさんが目を覚ましたようだ。


「ん、エレオノーラ様、起きたんですね。さっきは大丈夫でしたか?」


 と、そこまで言ったところでヴィオラさんは目を見開いた。

 そして、僕の顔を見て心底申し訳なさそうな顔を作ると、両手を広げて僕を抱きしめた。


「ごめんなさい。怖かったですよね」


 人の温かみが僕を包む。その温かみは不安で塗り潰された僕の心を落ち着かせた。


「ただでさえ不安だったでしょうに、私の配慮不足でした。もう、大丈夫ですから」


 大丈夫。そんな何の根拠もない言葉に、僕は少し救われたような気がする。

 僕は、ヴィオラさんに抱き着き返すとみっともなく泣き続けた。


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