第3話 エレオノーラの代わり

 僕がまだ来栖 悠真として生きていた頃。僕はただの冴えない男子中学生だった。

 そう、よく窓際で誰にも話しかけられたくないためにうつむいて本を読んでる前髪で目の隠れたぼっちくん。あれだ。


 何事もなく朝起きて、下らない会話をしながら朝食を取り、あくびをしながら登校して、船を漕ぎながら授業を聞く。

 休み時間は一人で過ごすか良くしてくれる先生と駄弁って、また何事もなく帰り、宿題を放りだしてゲームをする。


 そんな、少し飽きるような平穏な毎日を過ごす、普通の家庭に生まれた、普通の成績の、普通の人間なんだ。


 それをなんだ、王族の真似事をしろだなんておかしいんじゃないのか。


「嫌ですよ、帰してください!」


 僕は、理不尽を感じた。

 無理だろうと予想しつつも、僕はすがるようにヴィオラさんに訴えてみた。けれど、やっぱり無駄だった。ヴィオラさんは俯きながら無言で頭を左右に振る。


「……どうせ帰れないからって、僕にしかできないからって、そう言うんですか貴女はッ!」


 僕は不安のままに怒鳴り散らす。

 頭の中ではヴィオラさんは悪くないと、彼女を責めるのはお門違いだと分かっているのに、口が勝手に滑ってしまう。


「そうやって、大人の勝手な絶望を押し付けたから、この子だって苦しくなったんでしょう!? 保護者たるべきあなた方が、一体何やってんです。そうやって、今度は僕まで巻き込むつもりですか?」


 僕が言いたいのはそういうことじゃない。これを言うべき相手は、この人ではない。そんなことは分かっていた。


 けれど、一連の話を聞いて、僕は感情を抑えられなかった。

 混乱が不安を呼び、不安は怒りを呼んで、僕を操った。


 ヴィオラさんは悔しそうな顔をしながら俯き、黙って僕の言葉を受け止めている。


「大人って、なんでそんなにズルいんです。なんとか言ってくださいよ!!」


 違う。本当にズルいのは子供という立場を利用してる僕だ。自分より弱い立場にいるヴィオラさん相手に、エレオノーラをダシにして自分の置かれた現状を嘆いて癇癪を起している僕の方だ。


「お優しいのですね、クルス様は。エレオノーラ様まで気にかけてくださって……。クルス様の仰る通り、これは全て我々不甲斐ない大人のやったことです。ですが、今はどうしてもあなたの力が必要なのです。どうか、力を貸してはいただけませんか」


 そういって、大の大人が僕に頭を下げる。

 僕は、それを見て何も言えなくなった。代わりに、虚無感と罪悪感が僕の心を満たした。僕は、一体何を言ったんだろう。きっと、この人だって苦しいんだろうに。


「すみません、僕も言い過ぎました……」


 無言の時間が五秒ほど続く。この、一瞬で過ぎるはずの五秒は気まずい空気の中で永遠にも感じられた。僕が何も言えないでいると、ヴィオラさんが先に切り出してくれた。


「お召し物の準備ができております。ともかく、こちらへ」


 言いながら手を差し伸べてくれるヴィオラさんの手を、僕は握って、高級そうな棺から出る。


 ヴィオラさんは僕の着替えや化粧の全てをやってくれて、見る見るうちに見苦しい寝間着姿から見違えるような中世ヨーロッパのお姫様へと僕は大変身した。


 少し残念だったのが、姿見に自分の姿が映らなかったことだ。ヴィオラさん曰く、吸血鬼のヴィクトールから生まれたエレオノーラも吸血鬼で、吸血鬼はその特性上普通の鏡には姿が映らないそうだ。


 けれど、ドレス姿の僕を見て、ヴィオラさんが綺麗ですよと言ったあのときのむず痒さは忘れることはないと思う。安易な考えだけれど、初めて女の子が楽しいと思った瞬間だったから。


 けれどすぐに、こんなことで一喜一憂している暇はないと思い直す。僕は、褒められて思わず緩んだ頬を引き締めて、ヴィオラさんに問うた。


「それで、次は何をやればいいんですか?」

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