(3)

「ありがとうね、琥珀」

「いいえ。お話が終わりましたら、またお呼び下さい」

 話が長くなりそうだったので、外で待機してくれていた琥珀にお願いして椅子と茶葉とお湯を持ってきてもらい、マロンもパドックに連れて行ってもらった。マロンは心配そうに紅玉様を見つめていたが、琥珀に促され大人しく付いて行ってくれる。

「落ち着かれました?」

「……取り乱したな。済まない」

 下を向いたまま、紅玉様が呟いた。蒼玉様と一緒に驚きで目を見張ったが、そんな場合ではないので話の続きを促す。

「お察しの通り、皇后に毒を盛ったのは父上だ。下賜されたというあの黒茶の茶葉の中には、狂乱草の葉が刻まれた状態で致死量分入っていた。その黒茶を準備したのは楊家……主導は祖父じいさまだ」

「……父上だろうとは思っていたが、楊家も絡んでいたか」

「ああ。父上も祖父さまも、母上を皇后にして俺を皇太子にしたいと思っているからな。目的が一緒だから協力してるんだろう」

「陛下は寵姫の子を跡継ぎにしたい、楊家当主は皇帝の外戚になって地位を確固たるものにしたい。そんなところかし……でしょうか?」

 慌てて言い直したが、溜め息をつかれてしまった。そして、紅玉様は呆れたように口を開く。

「今更畏まる必要もないだろ。どうせそいつしか聞いてない」

「……蒼玉様」

「紅玉が気にしないなら良いだろう。紅玉は初めから君に対して畏まっていないし……正直面白くはないが、マリガーネットが気にする事ではない」

「え、面白くはないの?」

「そりゃそうだろ。誰が好き好んで、自分の女が自分以外の男と仲良く話しているところを見たいんだ」

 自分の女。私なら、つまり、蒼玉様の女。結婚しているから確かにそうなのだが、言われ慣れない言い方をされると変に意識してしまって照れてしまう。

「随分実感が籠っているような言い方だな。この前の、父上が用意した見合いはすっぽかしたと聞いているが」

「あんたに言う義理は無いね。詮索なら勝手にしてろ……話を戻すぞ。そうだ、父上も祖父さまも理由は違うが目的は一緒だから手を組んだ。そして、目的成就のため手始めに選んだ標的が藍玉皇后だった。今の張家は、凋落こそしていないが明らかに以前より勢力が落ちている。皇帝と言う名の最強の後ろ盾がある祖父さまとしては、勝ち確くらいに思っていただろうよ」

 蒼玉様が心配になって、そっと彼の顔を盗み見る。蒼玉様は、あからさまな表情はしていなかったが、難しいお顔はなさっていた。

「最初は、皇后を辞させられるだけの失態がないか探っていたそうだ。公務の失敗でも実家の不始末でもあれば手を汚さずとも廃せるし、不正へ切り込んだ正義の味方になれるからな。しかし、皇后にも張家にもそんな隙は無かった。正妻以外が産んだ子供がいたとか帳簿の間違いで脱税しかけたとかはあったそうだが、税金はきちんと計算し直してきっちり納めているし、愛妾の子供なんて珍しくもなんともない。そもそも、母上自身祖父さまが外で産ませた子供だしな」

 珊瑚妃の母親は、皇都の高級妓楼で働く妓女だったそうだ。美しい茶色の髪と赤い瞳を持つ佳人で、妓楼にやってきた楊家当主に見初められて手をつけられたらしい。そして、産まれたのが珊瑚様だったとか。

「不祥事方面では難しいと分かった二人は、皇后の体の弱さを理由にしようとした。体が弱り切って、もう皇后としての務めを果たせそうにないから辞させてくれと、本人の口から言わせるために……今年に入ってからほぼ毎日、皇后の食事にごく少量の毒を混ぜて服毒させ続けた」

「……何だと!?」

「……毎日!?」

 蒼玉様と二人、ほぼ同時に叫んだ。毒を飲ませたのは、あの一回だけではなかったというのか。それならば、少なく見積もったとしても三か月以上服毒させ続けたという事ではなかろうか。

(でも、言われてみれば納得だわ)

 ベリルと一緒にお見舞いに行った日、お義母さまの部屋はやけに薄暗かった。喉が良く乾くとも言っていたし……光線嫌忌も口渇も、どちらもスコポーリアもとい狂乱草摂取時の副作用である。恐らく、その時点では生かしておくつもりだったから、服毒させた量そのものは致死量に達していなかっただろう。それでも、ほぼ毎日となれば身体的には大ダメージだった筈だ。

「蒼玉様!」

 彼の体が、大きく傾いだ。私よりも一歩速く紅玉様が動いて支えてくれたので、何とか彼が床に倒れ込むのは避けられる。マリガーネットと呼ばれたので、椅子を近づけて彼の手を握った。

「済まない。流石に、そこまでするとは思っていなくて」

「驚くのも無理ないわ……でも、ほぼ毎日って事は、入れない日もあったという事?」

「ああ。母上は週に一度か二度、自分でお茶を淹れたりお菓子を作ったりするために厨房を間借りする事があるんだ。その際に、万一があってはいけないって事で、母上が厨房を使う日は混入させなかったらしい」

「それで、お義母さま週に一度くらいは平気だとおっしゃっていたのね」

 私の言葉に、紅玉様が頷いた。再び口が開いたので、黙って続きを促す。

「父上は、母上が側妃として後宮に来た日に無茶をやらかしたと聞いている。その後も、幾度も顰蹙を買うような事をしているから、今回は皇后が自分から言い出すまで待つつもりだったらしい。皇后が自らもう無理だと言えば、周りも納得するだろうって魂胆だ。忌々しい……反吐が出るぜ」

 それについては同意見なので、大きく首を縦に振った。蒼玉様も、ゆっくりとだが頷いている。

「でも、父上と祖父さまの思惑に反して、皇后は引かなかった。根比べとなれば、父上は圧倒的に分が悪い。そりゃそうだよな、あんな短気な性格じゃ」

「皇帝になった当初は、もう少しまとも……というか、ここまで短気じゃなかったと聞いているがな。ご自身に余裕が無くなってくると、焦りからなのか色々下手を打つ事が増える印象だ。そのせいで、官吏や高官とは時折衝突していたな」

「その度に、あんたとまともな高官が取り成していたな。そもそも、あの人は頂点に向いてないんだよ。皇帝こそ、数十年数百年を見据えた視点を忘れてはならない筈だろうに。焦りで我を失いやすいようなやつが、なっていい立場じゃない」

「……そうかもしれないな。現状困っている民を蔑ろにしてはいけないが、毎度毎度行き当たりばったりでは国が持たない」

「その点は意見が合うようで何よりだ。そんな訳で、皇后との根比べに負けた父上は強硬手段に出た。明らかに致死量の狂乱草を混ぜ込んだ黒茶を準備して皇后に下賜し、貴重な品だからとか何とか理由を付けて皇后以外が飲まないように仕向け、皇后を殺そうとした……結局は、居合わせたマリガーネットの適切な応急処置によって阻まれたがな」

 そこで一旦言葉を切ると、紅玉様はおもむろにこちらを向いた。そして、何と……私に対して、頭を下げてくれる。

「皇后を救ってくれて深謝する。何も悪くない人を理不尽に葬る事にならなくて、母上をこれ以上の絶望の淵に叩き落とすような事にならなくて、本当に良かった。母上からも伝えてくれとは言われているが、俺自身も、お前に感謝している」

「……わざわざありがとう。あの時の治療に使った活性炭を持たせてくれたのは義兄だから、伝えられる範囲で伝えておくわね」

「ああ、そうなのか…………お互い、良い兄貴を持ったな」

「そうね……ん? お互い?」

 お互い。この流れだと、当然、私と紅玉様の事だろう。私と紅玉様の、それぞれの兄。私の兄はエメ兄さま。紅玉様の兄と言えば。

「驚いたな。お前、俺の事ちゃんと兄だと思っていたのか」

「まごう事無き事実だろうが。馬鹿にしてるのか?」

「いや、お前に兄と呼ばれた事は無いから」

「祖父さま達があんだけ煩ければ、思ってても言わねぇよ。まぁ、あんたが無能の坊ちゃんだったなら、また別だっただろうがな」

「……ならば、今は兄と呼んでくれても良いんだぞ」

「誰が言うかよ」

 冷たく突き放されて、蒼玉様の顔がいささかしょんぼりとした表情になる。便乗して私の事もお義姉さまと呼んでくれて良いのよと伝えたら、何を言っているんだと一蹴されてしまった。

「それはさておき、質問が二つあるのだけど」

「何だ」

「紅玉様は、いつから陛下と楊家当主の悪事を知っていたの? もしかして、以前私と森で会った時辺り?」

「もう少し前だ。いつも通り、時間が出来たから馬に乗りに行こうとして厩舎に向かったら……厨房では見慣れない父上の側近がいたから、変だと思ってそのまま観察していたんだよ。そしたら、何かを混ぜ込んでいるような素振りだったから、問い詰めたら白状した」

「ああ、あの道中には厨房があるものね。問い詰めた後、どうしたの?」

「当然、止めるように言うため父上のところへ行ったさ。これは明確な犯罪だ、皇帝がこんな事して許されると思っているのかって。だけど、お前は何も心配しなくて良いんだ、お前の方が堂々として人を引き付ける力がある、お前の方が皇太子、皇帝に向いているんだから、これはお前のためでもあるんだ。お前の方が皇太子になれば珊瑚も喜ぶだろうし、自分が皇后、皇太后となれば更に喜んでくれるだろうって捲し立てられて、全く取り合ってもらえなかったよ」

 勘違いも良い所だ。あの珊瑚様を見ていて、陛下はどうしてそう思えるのだろう。少し、少しだけ……過去の記憶が蘇ってきて気分が悪くなってきたので、こちらからも蒼玉様の手を握り返した。

「だから、祖父さまのとこにも行った。その時点では祖父さまも加担してるなんて知らなかったから、流石に止めてくれるだろうと思ったんだよ。今のこの情勢じゃ、皇后に何かあれば楊家が真っ先に疑われる。嫌疑をかけられた時点で、評判は地の果てに落ちるだろう。それは楊家にとっても問題だろうから、祖父さまなら止めてくれるだろうってな……そしたら、何て言ったと思う?」

「……加担してた訳だし、当主も気にするなって?」

「いや、放っておけって」

「放っておけ?」

「そう。放っておけ、我らは、あくまでも陛下に命令されたから、仕方なく従ったに過ぎない……そういう事にすれば良いって。馬鹿げてるよな、今時、そんなんで逃れられる訳ないだろ!」

 どの国も、腐った貴族はどこまでも腐っているのか。自分さえ良ければ大丈夫だと言って、保身のために平気で他者へ罪をなすりつけ、平気で人の命を奪い、知らぬ存ぜぬを貫こうとする。

「頭に来たから、徹底的に調べ上げて二人を失脚させようと思った。だから、証拠や手がかりを探すために、聞き込みをしたり森の中を探索したりと俺なりに努力した。けれど……どう頑張っても、俺には見つけられなかった。有力な証人すら得られなかった」

 それは仕方ない部分もあるだろう。紅玉様は、軍部には関わっていなかった筈だから、そういった調査の仕方なんて学んでいない筈。それでも、どうにかしたいと思って行動したのか。

「そして、そんな俺をあざ笑うかのように、祖父さまは現れてこう言ったんだ。だから放っておけと言っただろう、これに懲りてもう何もしないと言うのならば、お前の反抗は水に流してやる。だが、もしこれ以上の詮索をしたり、母の過去を陛下に話したりした場合は、お前の身の回りの人間や馬達の命はないと思えって」

「それ、立派な恐喝じゃない! 許せない!」

「紅玉自身を、ではなく周りの人間や馬を、か。ある意味、紅玉の性格を良く分かっているとも取れる……姑息な」

「本当に、狡猾な鼠だよ。只でさえ、どうにも出来なくて意気消沈していたのに、そんな事まで言われてしまっては……もう、どうしようもなかった。乗馬をする元気も出なかったし琥珀を誤魔化しきれる自信も無かったから、厩舎から足が遠のいた」

「琥珀遠慮ないものね。二人は幼馴染だって聞いたけど本当?」

 私の問いかけに、紅玉様が力なく頷いた。小さい頃から見知った仲で、乗馬の技術を高め合うべく切磋琢磨し合った仲で……だからこそ、何があったのかと問い詰められれば、きっと自分は堪え切れずに洗いざらい話してしまう、話したら、琥珀を危険に晒す事になる。それで余計に、近づかないようにしていたのだそうだ。

「そういや、お前もう一つ質問があるって言っていなかったか? 何だ?」

「ああ……あのね、珊瑚様の過去って一体何? 珊瑚様、以前声を荒げてまで陛下からお義母さまを庇った事があったのだけど、それと関係ある?」

「それ、いつの話だ?」

「少し前なのだけど……以前、珊瑚様が落としたかんざしを届けるために、ベリルと一緒に珊瑚様の元を訪れた事があるのね。その時に、偶然陛下と珊瑚様の会話を立ち聞きしていたら、陛下の発言を遮るようにして珊瑚様が叫んだの。それって、下手したら珊瑚様が陛下に反逆したと取られかねないじゃない。自分は寵姫だから大丈夫って打算もあったかもしれないけれど、それでも、わざわざ言う必要あったのかなって気になっていたから」

「……なるほど」

 紅玉様は、それだけ言って黙り込んでしまった。どうしようか、思案しているようだ。

「まぁ良いか。ここまで話したんだから乗りかかった船だろうし、いざとなればそこの皇太子サマが皆守ってくれるだろ」

「そんなに機密事項?」

「機密事項……だな。少なくとも、父上が知ったら多分卒倒する」

「それほどの事実なのね……一体?」

「……もう二十年以上前、俺もそこの皇太子サマも生まれるずっと前の話だが」

「うん」

「母上……楊珊瑚は、張家の姫君藍玉の侍女をしていたらしい」

 一瞬、世界が止まった。何も言葉を発せないまま、傍らの蒼玉様と顔を見合わせる。

「ええええええ!?」

 一応人目を避けての密会なので、頑張って声は抑えたのだが。それでも、外にいた琥珀が何事ですかと言って慌てて駆け付けてくれたくらいには、絶叫してしまった。

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