第3話 それぞれの行き先に

 なんとなく、バイトの行き帰りの度にカナタさんのアパートを見る癖がついてしまった。

 ドアはこちらからでも見える。どこの部屋に住んでいるんだろう。

 そんな事を考えながら、何日か経った頃である。

 帰り道、いつも通りカナタさんのアパートを見ながら通り過ぎようとすると、女性が階段を上がり切ったのが見えた。

 髪の長い、スラリとした美人。……見覚えがある。

 俺は向こうから死角になりそうな位置に自転車を停めた。それでも不審に見えないように、わざとらしくリュックをガサガサ漁り、スマホを耳に当てる。

 電話をするフリをしながら、街路樹と植え込みの影からじっとその女の人を見た。遠目で顔は良く見えないが、白いコートで、背筋がピンと伸びている。

 その人は二階の一番端の部屋の前で立ち止まり、呼び鈴を鳴らした。

 数秒でドアが開く。

 部屋の奥が明るくて、はっきり見えた。

 カナタさんは上下グレーのスウェットのラフな部屋着で、髪もセットしておらず、見たことの無い寛いだ姿だった。

 遠目で顔までは見えないのに笑顔なのが雰囲気で分かる。「寒いから早く入って」そんな声が聞こえるような気がした。

「彼女さんか……」

 年末、リョージさんと話をしている時に、窓から見えた人だと思う。長く付き合っているのだろうか。

 明日、カナタさんは休みだった筈だ。今晩と明日は彼女さんとゆっくり過ごすのだろう。

 温かい食卓を囲んで、夜はいちゃいちゃしてから抱き合って寝て。

 何となく悔しい。……いや悔しいのはおかしいか?

「……俺は部屋に上げてくれないのに」

 彼女さんを招く、という事はやっぱり散らかっている訳では無いのか。ならば親しい気を許した人しか家に上げないという事だろう。

 俺はそこまで辿り着けていないし、これからも辿り着けないかもしれない。

 胸がしゅんと寂しくなって、俺はスマホをリュックに押し込み、自転車を漕いだ。

 冬の夜の空気は頬を割くほどに冷たくて、スヌードをなるべく引っ張り上げる。

 今頃きっと暖かい部屋で、二人は温もりを分け合っているのだろう。そう思うと無性に寂しく感じた。


「ヨモちゃんいらっしゃい!」

「うるさ……」

 ドアを開けるなりげんなりとした顔の女性は四方精華。あのコンテストで俺にフェロモン香水をぶっかけてくださった女性である。

 後日紹介者である絵奈も交えて話をすることになり、俺は謝罪を受け入れた。が、まさかそんな事になるとは夢にも思わなかったらしい絵奈はブチ切れにブチ切れており、ヨモちゃんが謝るだけでは収集が付かなかったのである。

 なので、「俺が困った時にできる範囲で絶対助けてくれるなら許す」という追加項目をつけた。

 ちなみにヨモちゃんは大卒である。今の俺には大変ありがたい。

「寒いから入って入って!」

「お腹空いた」

「お弁当買ってある!」

「天才かよ」

「バカだから数学が全然わかんないんだってば……!」

 中学生くらいまでは結構数学も得意だった気がするのだが、独学となるとやはり限界があった。


 俺は寮に帰るなりリュックをドサッと置いて、食堂で温めてきた弁当をガサガサと開ける。

 カケルはもう出かけたらしい。寮監に賄賂でも渡しているのか、居なくても全然お咎めが無かった。補導されたらどうするんだかと思うが、一緒に居る友達が成人しているので案外平気らしい。

 カツ煮卵とじ弁当大盛り。ちなみに夕飯は休憩時間に食べたのでこれは夜食。

 甘辛く煮たカツは店内調理のもので、スーパーでも売れ筋の人気メニューらしい。店でパン粉をつけて揚げているのが煽り文句で、家庭料理っぽい味。もちろん俺も大好物。

「いただきます」

 だが、なんだか今日は切ないというか、美味しいけど味気ないというか。

 甘辛い煮汁が染みたご飯は温かいし、卵はふるふるだし、三葉の香りも良いし、カツは柔らかくて、衣に味が染みていて美味しい。なのに、カナタさんの事ばっかり考えてしまう。

「……最近遊んでくれない」

 自分から誘うにも、「忙しい」と言われるとやはり迷惑なのではと思ってしまう。しかし、彼女さんに使う時間はあるのだ。当たり前と言えば当たり前だが、それが少し切ない。


「ごちそうさまでした」

 食事を終えて、備え付けの勉強机に散らばったパンフレットに目をやる。

 経済学部がある、そこそこの大学ばっかり。

 母が「経済学部であれば学費を出す」と言っている為で、行く理由は母を安心させる為。……あと、変な親戚が母に嫌味を言うのを防ぐ為。

「何処でもいいんだけどなあ……」

 正直、多少荒れていた割に成績は悪くない。勉強自体は結構好きだった。点数を上げればちゃんと評価が付いてくるからだ。

 ただ、「やっぱりαだから地頭が良くて羨ましい」なんて嫌味からは逃れられなかったけれども。

 俺はパンフレットを重ねて、トントンと角を揃えた。進路指導の先生にも相談してみよう。


「試験八月でしょ? 選択科目決めた?」

「まだ考え中だけど、とりあえず必修埋めるところからかなって。英語は結構何とかなるんだけど数学がほんと無理……」

「高卒認定取れたら大学とか行くの?」

「行かない。とりあえず欲しいだけだから」

「取れた後はどうする?」

「悪いけど、まだあっちの方は手伝って欲しい」

「了解。いくらでも付き合う」

 ヨモちゃんは力強く言って、俺は少し泣きそうになった。

「ありがとう」


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