第十四章

# to the world...(1)

[終業式前日――]


「おーし! みんな、こないだの国語の小テスト返すぞー。後で何人かに六年生としての心構えについて発表してもらうからな。水嶋、これ、黒板に書いてくれるか? 夏休みに入ったら、最初の登校日にペア活動の一環としてファシリテーションをやります。ヘリウムリングっていうフラフープのようなものをだな、みんなで人差し指で持ち上げるんだが、せっかくだから先にこういうのをやってもらった」

「わかりました」

 かなえが席を立ち、先生からチョークを受け取って黒板に向かう。

「じゃあ返すぞー、秋田ー、安藤ー、飯田――」


《六年生としての心構え》

 ① 年下の子とどのように接したらよいと思いますか

 ② 年下の子が一緒にいるときにケガをしたらどうしますか

 ③ 三年生は一年生に対してどのように接するべきと思いますか


 先生は答案用紙を返し終えると、突然大和を当てた。

「吉田、ちょっと読み上げてくれ」

「え⁉ おれ?」大和は意表を突かれたのかオドオドしている。

「え、いや、あはは……まいったな」頭をかきながら立ち上がると、一気に読み上げた。

「えっと、①は、やさしくする!  ②先生を呼びに行く ③教えてあげる。です……」

「よし、座って。次、竹下」

「①やさしくします。自分からリードします。②ケガの状態を見て傷口を水で洗ったり、近所の知ってるお母さんを呼ぶと思います。③会ったらなるべく自分からいつも声をかける。やさしく接する」

「もうひとりいくか……えーと、じゃあ」そういって、先生があたしを見た。

「椎名」


 ――安西先生があたしを当てた⁉


 驚いていたのはあたしだけじゃなかった。誰もあたしに視線を集中させたりはしなかったけど、むしろ心理的にはそれこそ針のむしろだった。

 椅子から立ち上がると足が震えそうだった。どうして先生はあたしを当てたんだろう。そんなことばかりが久しぶりに頭の中をぐるぐる回る気分だった。

 返された答案用紙の裏側には、赤い花丸が大きく描かれている……。


 あたしはこう書いていた――。


 ① 年下でも、きちんとひとりの人として接する。

 ② 大人のひとを呼ぶ。大人のひとが来るまで、なるべくその子を安心させてあげる。

 ③ 外で遊ぶときなど、車や事故に注意してあげる。自分も注意する。


 どっ、どうしよう……。

 悩んでいると、安西先生がいった。

「椎名、②だけ読んでくれるか、一緒にいる小さい子がケガをしたらどうするか」

「おとっ、おー…大人のひとっを、よび、よよびーます。あと、あーと、なるべくその子をあんしっ……安心、させせせ…せてあげるように、し…しまっします」

 根本のからかう声が、今にも聞こえてくるんじゃないかってびくびくしてたけど、みんな黙ってきいていた。吃りなんかより、先生がどうしてあたしを当てたのかが気になったんだろう。

「うん、椎名ありがとう。『その子を安心させてあげる』と書いてたのはじつは椎名ひとりだった。これは先生感心したんだ」

 先生は、座るように目で合図をすると、みんなに向かって話す。

「ケガをしたら、もちろん手当てが必要だ。これが一番大事だな。みんなが共通して書いていたのは『誰かを呼びに行く』ということだった。でも、ケガした子をそこへ置き去りにはできないはずだ。もし近くに誰も大人がいなかったら、君たちだって途方にくれてしまうかもしれないってことだ。実際に去年、運動会の帰りに交通事故にあった男子生徒二人は、一人は無事だったがその場でただ泣き続けていたらしい」

 たしかにそんな事件があった。一人は骨折したと聞いた。人通りの少ない通りで、跳ねた車は逃げてしまい、一緒にいた男の子はパニックになって何もできなかったんだって、校長先生が朝礼で話していた。

 先生は席まで歩いてくると、あたしの答案を手に取り、①と③の答えについても読み上げた。

「①はそうだな、年下でも対等に。これはよく出てくるけど、正直いって大変道徳的な答えです。椎名は本をよく読んでいるから、そういう意味でも模範的回答を知ってるのかもしれないね」

 先生にほめられて少しはずかしくなる。

 いや、これってほめられてるのかな? ほめられてないのかな……。

「でもこれは五歳や六歳という子に対して、君たちは十二歳だ。まあたとえばの話だけどな。『対等』というのはなかなか難しい問題で、ときには相手に知識がないことを考慮した上で、対応しなければならないこともある、なんとなくわかってくれれば、今は先生それでいいと思います」

 好実ちゃんの『万引き事件』のことを思い出す。『お店でお菓子を買うときは、お金を払わないといけない』ってことをあたしは知ってるけど、好実ちゃんはしらないってことよね。先生はきっとそういうことをいっている。

「椎名が書いた③は、かなり具体的だが、面白いと思ったぞ。事故に注意する。これな、先生はよくわかるんだ。年が近くなると、普通に友だちとして遊んでしまう。それは悪いことじゃないが、興奮しすぎて保護者が不在になるんだ。わかるかー? みんなも知っていると思うけど、ペア交流は、一年生に対して六年生、二年生に対して五年生、そして三年生に対して四年生というペアでやっています」

 うんうんとうなずくような私語がもれる。

「斎藤、なぜかわかるか?」

「えっと、算数の問題みたいに、足すと全部で七になります」

「おお、だいたい合ってるかもしれないな。算数は関係ないが、一番社会の中で不安要素の大きい一年生の子には、保護者が必要だ。六年生までの学年の中で、一番保護者に近い存在は君たち六年生だからな。だからペアになる、斎藤ありがとな」

 斎藤くんは、うちのクラスでいつも算数が一番の優等生。先生にお礼をいわれると、満足げに席に座った。安西先生はあたしの席に答案用紙を置くと、ゆっくり教壇へ戻った。両手をひらいて机の上に置く。

「共通してるのは、みんな『やさしくする』って書いてることだ。ほとんどの生徒が①から③までのどこかではこの言葉を使っていました。じゃあ『やさしい』っていうのはどういうことだと思う? 里内」

「え。えーと、その子が困ってたり、なにかしたいことがあったら助けてあげたりすること? とかだと思います……」

 とっても友子らしい答えだ。

「はーい」

「お、なんだ、古賀」

「やさしいんはたとえば、間違っとるんてきびしうするんもやさしさったい。ぼくんなんかはそげん思います」

「あ! おれの母さんもそれいってた! わたしが怒るのはあんたのため! やさしさよって!」

 これまた〝らしい〟大和の答えに、ちょっとしたくすくす笑いが起こる。

 そこへ、めずらしく根本が手をあげた。

「あ、おれ、古賀がいったきびしくするってやつ、それなんかわかります」

「おう、根本いってみろ」

「あー、なんていうか、嫌いな奴がいたとしたら話もしたくないし、やさしいっていうか、結局相手が心配で気になってる分だけ、比例して話しかけるのかなって」

「なによ、根本、こんなところで公開告白したってどうせ撃沈よ」

 かなえがいきなり突っ込むと、あちこちからひやかすような笑いがわいた。ちらちらと視線がこちらを向くのに気づいて、あたしははずかしくなって下を向く。

 ――なっなっ……なに、とつぜんっ……。かっかなえまで!

 根本は自分でいってしまってから、しまったと思ったのか「うあ⁉」っと顔をまっ赤にして座った。すごく気まずそうにしている。でも今日に限っては、そんな気持ちはあたしも同じ……。

 そんなあたしたちをよそに、教室には和やかな空気が漂っていた。

「みんなありがとうな。そうだな、やさしいということを考えるのは、こうやって書いてもらってもわかるように、これが正解というものはない。でもな、これは先生の個人的な考えだけど、やさしさというのは、思いやりと、相手の立場に立ったうえでの言動だと思います」

 先生はチョークをつかむと、黒板に『やさしさ』と書いていく。

「相手がそっとしておいてほしいとき、なにもしないこともやさしさだし、手を指し伸ばして助けることもやさしさだ。とても小さい子の場合は、なにを困ってるのか、その子自身がわかっていないことも多い。だから大切なのは、その子を見ていてあげることだな。まずは今回の課題はみんな合格といっていい。ファシリテーションは楽しめよ。今回はヘリウムリングってのをやるらしいからな」

「せんせー、ヘリウムリングって、なんですか?」

「んー。まああれだ、細かいことは実際に今度やればわかる! 楽しみにしとけ!」

 たまに、安西先生はちょっと教師に向いてないかも? って思うことがある。ヘリウムリングのことを聞かれて、先生が上を向いてちょっと悩んでたってことは、きっと説明が面倒くさかったんだろう。

   

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