第三〇話 アブキールへ集合せよ①

__トゥーロン封鎖艦隊旗艦、スウィフトフシャー


「もう一度聞くが………クリントン海佐、本当に艦隊は出港していたのかね?」

スウィフトフシャーの艦長にして封鎖艦隊の提督、ベンジャミン・ハロウェルは、報告からすでに一時間は経過しているというのに、いまだに顔を真っ青にさせ、足を震わせていた。


「ええ。トゥーロンに残っていた船は、足の遅い輸送船が三隻、それと戦力としては海防用のフリゲートが一隻と等外艦が二隻だけです。大部分の艦隊と輸送船は先日の嵐の隙に出港していたと考えるのが妥当でしょう。」

ハロウェル海佐と、フリゲートのインヴィジブル艦長ジョージ・フィッシャー海佐は『そんなことあり得ない』とばかりに顔をしかめて見せた。

俺だって本当はそっち寄りだが、実際いないのだから、そう思うしかない。


「………ならば我々はマルタに直行すべきだろうか?」

ハロウェルは青い顔で俺とフィッシャーの顔を見る。


「海佐、もしかすれば近くで潜伏しているかもしれません。一度付近を捜索してからでも遅くないのでは。」

フィッシャーもフィッシャーで、やはりまだ飲み込み切れてはいないようで、神経質そうに提案した。


「しかし、マルタにどれだけの増援が来ているかわかりません。もしかすると一隻たりとも到着していない可能性すら考えられます。

もしそうならば戦力の増加は急務です。我々はマルタへ向かうべきです。」

俺は、語気を強めてそう言った。


「だ、だが………」

ハロウェルは、それでもなお何か反論しようとして口籠くちごもる。


「そもそも、我々の役目はマルタに艦隊が集結するまでの間時間稼ぎをすることです。今、敵艦隊は港にいないのですから、例え誤報でも我々は味方にこの報を伝えなければならないのです。」

二人はハッとなって、顔を一瞬見合わせた。


「……わかった。これより艦隊はマルタ島へ針路を採る。我々の次なる目標は、敵艦隊の出撃をいち早く艦隊の本隊に伝えることとする。各艦長ら、異論はないな?」

ハロウェルはようやく覚悟を決め、普段通りの凛々しい表情で俺たちに尋ねた。

もちろん、フィッシャーも俺も、しっかりと頷いた。


「では、我々はその方針で行くとしよう。このことはそれぞれ指揮艦の乗員にも明確に伝えること。そして、出航の用意を終わらせ、旗艦からの信号を待て。では、解散。」

ハロウェルはそう言うとビシッと敬礼し、俺とフィッシャーも、それに応えるように敬礼した。


__インディファティガブルにて


「諸君、先ほど艦隊の方針が決まった。

我々はマルタへ急行し、少しでも早く敵艦隊出撃の報をネルソン提督らに知らせる。ここでの任務達成の成否で、戦局は大きく変わる。そのことを胸に入れて各自全力を尽くせ。出航用意!信号が揚がればすぐにでも出られるようにしろ!」


「「「「アイアイ・サー!!」」」」

インディファティガブルの乗員が大声で返事をするとともに、それに呼応するように少し離れたインヴィジブルからも同じような返事が聞こえた。


「艦長、旗艦より信号です!『各艦、互いに協力しつつ出せるだけ全速力でマルタへ急行せよ。』以上です!」


「つまり、旗艦は置いて行ってでも任務を果たせと言うわけか……ハロウェル海佐、貴方は想像以上に立派な人間だ。総帆展帆、針路南南西!!出帆!」

俺が命じた数十秒後、各マストから巨大な帆布が下ろされ直ぐに風を孕んでインディファティガブルの重い船体を力強く押し始めた。


「旗艦より信号!『各員、全員が無事に任務を遂行せんことを望む。』以上です。」

足の速いフリゲートとは違い、速力の出ずらい戦列艦のスウィフトフシャーはノロノロと進むが、その姿は悠然たるものだった。


「なかなか粋じゃないか。こちらも返信しよう。『了解した。我々も貴艦と再び出会わんことを望む。』これで送ってくれ。」

インヴィジブルも同じような文を送り、インディファティガブルと並走するように増進した。


__四月三一日、明け方ちょうど


朝靄の中、一度たりとも休まずに地中海まで大急ぎで航行した、二隻のフリゲートは、心なしか疲れ果ててもう動くことすらままならないように思えたが、それでも盛んに燃える意思は燃え尽きてはいなかった。


霧が晴れてくると、マルタに浮かぶ一三隻の戦列艦と三隻のフリゲートが次第に姿を現した。


「複数の艦影発見、所属艦籍は全てアルビオンです!マルタにつきました!」

既に誰からもわかる距離に近づいているというのに、歓喜のあまり乗員は口々に俺に艦影発見を報告する。


「ああ、わかってる、わかってるとも!はしゃぐなよ!急いで装載艇を降ろすんだ!メイ、頼んでいた書類やらを持って着いてきてくれ。あまり時間はない、五分で支度してくれ!」

俺はメイにそう言うと二角帽を被り直して、ひっくり返った襟を直した。


「は、はい!い、今行きます!」

メイは急に名前を呼ばれて驚いたのか、目測で二、三フィートは飛び上がったが、直ぐに士官室ガンルームへと向かった。


「大丈夫か………?」


__ネルソン艦隊旗艦、ヴァンガード


「えー、説明いたしますと、ガリア艦隊の消失を確認したのがほとんど丁度四八時間前となります。

我々の使用したルートは先ほどお渡しした書類にありますが、その道中でガリア籍の艦は発見できなかったため、やはり想定通りイタリャーナイタリア半島に沿ってマルタへ襲来するものと思われます。」

俺はネルソン提督や、その他艦長たちに懇切丁寧に説明をするが、やはり一部には『ただの勘違いか何かでは?』と言った表情が窺えたが、ネルソン提督などは何も言わず、表情も変えず、ただ説明を聞いていた。


「──と、言うことで直近のガリア艦隊の行動についての説明を終了いたします。」

俺がそう締め括った途端、ネルソン提督が『少し、質問いいかな。』と手を挙げて俺に尋ねた。


「ええ、構いませんよ。何でもどうぞ。」


「感謝するよ、俺が聞きたいことは二つある。まず聞くべきは、君たちがガリア艦隊を勘違いで出港したと判断した可能性についてだ。これは、見るところ多くの艦長が抱いているようだからね。どうだい?」

ネルソン提督は少しバツが悪そうに笑う艦長たちを軽く見回して、俺に向き直った。


「そうですね、実際のところ、証拠はありません。」

俺がそう言うと、先ほどまで愛想笑いをしていた艦長たちの顔が、『ほらな』と言わんばかりに変わった。


「ですが。」

俺がそう付け加えると、艦長たちの顔は今度は驚愕の表情に変わった。コロコロ顔の変わる人達だと思いつつも、俺は話を続けた。


「本当に出港していれば、必然的にガリア艦隊は奇襲攻撃のような形で少なからず、本隊にそれなりの打撃を与えることでしょう。嘘にせよ真にせよ、ガリア艦隊は来るのですから、知らずに来るより知っててくる方が良いでしょう?」

要するに、転ばぬ先の杖という考え方だ。各艦長たちは、俺の説明に納得半分不服半分と言った感じだった。


「なるほど、ありがとう。尤もな考えだ。不服のある者がいるようだが……まあやってしまったものはやってしまったのだ。気にすることはない。次の質問いいかな?」

ネルソン提督は飄々ひょうひょうと気楽そうに笑って言った。俺が頷くと、提督はニコリと笑って口を開いた。


「ありがとう、二つ目……といっても最後の質問だが、我々は今すぐアブキールへ向かうべきか?」

トゥーロン沖でもした様な話を、提督が言ったことに、俺は少なからず苛立ちを覚えたものの、何か意図があるのだと解釈して、口を開いた。


「ええ、そうすべきです。無論、スウィフトフシャーが到着するのを待ってからですが。地中海に残ったガリア艦隊が確実に集まるのはアブキールその場所であり、ガリア陸軍の実に三分の一を壊滅させるチャンスでもあります。」

『そして、ナポレオンを破滅させるチャンス』これこそが最も大きな理由であるが、こんなこと言ったら更に混乱を招くのは明々白々であるため、流石に言わないが。


「そうか………それじゃあ一旦全員自分の艦に戻ってくれ。クリントン君とフィッシャー君はしばらく休みなさい。では、解散。」

ネルソンは少し考え込んで、全員を戻させた。他の艦長たちはただ聞かされただけだったので、少し不満を漏らしていたが、結局、俺たちの帰還祝いということで宴会をしようと言う提案で収束した。


__五月一日、マルタ島


その日の晴れ晴れとした午後、轟々としたスウィフトフシャーの巨体が海原から現れた。各艦から歓声が上がる仲、インディファティガブルとインヴィジブルの乗員たちは安堵のため息を吐いていた。


「これでいよいよ、海戦の準備は整ったわけだな。」

俺は『我、帰還せり』と悠々と信号を掲げるスウィフトフシャーを眺めながらつぶやいた。


「何だか艦長、最近神経質じゃありません?」

偶々近くにいたソフィーがそう尋ねた。俺は思わず肩をビクッと上げ、ソフィーに向き直った。


「そ、そうか?まあ、俺は海戦が始まる前はいつもこんな感じだよ。ソフィーもようやく慣れてきて周りがどう感じてるか分かるようになってきたんじゃないか?入隊数年でそこまでなんて、羨ましい限りだよ。」


「そ、そうですか?お世辞ならやめてくださいよね、そ褒めても何も出ませんよ?」

ソフィーは恥ずかしがって照れるが、お世辞じゃないんだがなぁと思いつつ、膨れるソフィーの頬を突いて茶化した。


__五月二日


艦隊はようやく足並みを揃え、マルタ島から出港した。マルタ島の現地人から見えたその様は、勇猛果敢の一言であったという


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 次回 アブキールへ集合せよ② お楽しみに!

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