第50話 覚悟

「くそ……!はぁ……はぁ……!」


 美琴は倒れた状態で、牛頭と馬頭に手を伸ばす。2人はかろうじて息はしているが、動かない。そんな状態だった。


「知っていますよ。名も知らない貴方。貴方は天界の民なのでしょう?」


 ミカエルは、美琴に向けて和やかな微笑みを浮かべながら言う。美琴の手が止まった。この天使、気づいていたのか。ミカエルは言葉を続ける。


「ああ、安心してください。だからと言って殺さないと言うわけではありませんよ?……ですが、貴方は本気を出していない。そうでしょう?」


 またしても自身の秘密を暴かれ、美琴は歯を食いしばった。自分の本気は、額同様他人を巻き込む危険性を孕む。だが、それだけではない。それ以上に……。


「まあ良いです。貴方も天界の民ならば知っているでしょう?ルシフェルを殺したのが私だと。」


 美琴は、自身がかつて暮らしていた桃源郷での話を思い出した。オリンポスを中心に巻き起こった天地戦争……それを企てたルシフェルを殺した張本人が、この天使ミカエルである。


「私は殺すものに必ず聞くようにしているんです。……私は冷酷に、見えますか?とね。どうです?貴方の目には私はどう映っていますか?」


 軽快な口調で、ミカエルは彼に問う。だが当然、美琴がそれに答えるはずもなかった。


「でもね、多くの人は知らないのです。……ルシフェルが私の兄であると。」


 悲しげな表情で、ミカエルは言った。兄、だと?ルシフェルとこの天使が?となると、この天使は、自分の兄を殺したと言うのか。


「皆は私を天使の鑑と褒め称えてきました。ですが同時に、人として見てはくれなかった。兄を殺した事に、誰1人として同情してはくれなかった。……同情されたいわけでもないんですがね。」


 悲しげな笑顔を浮かべ、ミカエルは言う。


「……っと、自分語りが過ぎましたね。貴方もきっと私を理解してはくれないでしょう。さようなら。」


 ミカエルは、自身の分身と共に美琴に剣を振り下ろす。その時だった。彼は全身を虎に変化させ、その武器を受け止めた。


「……!なるほど、貴方の名が分かりました。桃源郷の白い虎……白虎。」


 ニヤリとミカエルは笑い、剣を構える。美琴の全身についていた傷は、凄まじい速度で回復を始めた。


「……」


 美琴は、後ろにいる牛頭と馬頭に目線を移す。そして、未だ燃え続ける納言の炎を瘴気で消すと、即座に体を再生させた彼に


「納言、ここから離れるんだ。できるだけ遠くに。」


 と告げた。


「え、え?どう言う事で……」


 と困惑する納言に対して、彼は続けて


「早くしろ!」


 と叫ぶ。言われるがまま、納言は2人を背負ってその場を後にした。それを見ていたミカエルは、嬉しそうに微笑むと


「優しいのですね、貴方は。」


 と言った。それに対して美琴は


「これ以上、巻き込めないさ。」


 とだけ言うと、ミカエルの分身達に向けて構えを取る。


「あなたなら、私を理解してくれそうです!」


 ミカエルは悍ましい程の笑みを浮かべると、自身の分身と共に美琴に襲いかかった。その軍勢を相手に、美琴はまず上へと飛び上がる。そんな彼を分身たちは追う。


 20対1。その圧倒的な数を前にすれば、常人はひとたまりもないだろう。だがしかし、彼はその常人の域を超えていた。追跡するミカエルの分身たちの攻撃を、美琴は悉くいなしきっていた。


『これは想像以上の強さ……!この分身にここまで対応するとは!』


 動揺するミカエルに、美琴の反撃が飛ぶ。ミカエルが剣を振り下ろしたその瞬間を狙い、美琴は自身の両拳を分身たちに向けて振り上げた。そのあまりの威力に、ミカエル達は吹き飛ばされる。攻撃の瞬間の実体化を狙われたミカエルに、回避の術はなかった。


『なんて威力……!これはアレス様にさえ通じるかもしれない。ならば……!』


 ミカエルは、自身の分身たちを自身の元に戻す。否、剣に収縮させたのだ。膨れ上がった神性が、剣先からレーザーとなって解き放たれた。まずい、これは受け止めきれない。美琴は走り出し、それをかわしていく。そして、反撃の隙を伺い、飛び上がると、空中を飛ぶミカエルに向けて拳を振り下ろした。


 だが、その瞬間を彼は狙っていた。彼はレーザーの照射を止めると、剣を神性で巨大化させ、美琴の左腕を切り落とした。しかしその代わりに美琴の右拳はミカエルの顔面を捉える。


「がっ……!」


「くっ……!」


 両者は互いに落下し、それぞれのダメージを治療する。だが、ミカエルの打撃によるダメージを、左腕を切り落とされた美琴のダメージが上回っていたのは言うまでも無かった。身体中の痺れを抑えてミカエルは立ち上がると、美琴にゆっくりと近づき始めた。


 このままじゃ、勝てない。僕は……本気を出すしか、ないのか?


『美琴、私と来い。』


 僕を拾った、あの人。あの人だけが、僕を理解してくれた。あの人だけが……いや、違う。今はきっと違う。もっと仲間が他にいる。だから今は、本気を出そう。


 白虎の性質は獣。即ち、美琴は虎の力を持つ。それが何を意味するのか。それは、力を解放すればするほど、理性を失うと言う意味である。そうなれば、仲間との区別もつかなくなってしまう。だが今回、彼はその恐れを捨てた。


 バキバキ、と音を立て、美琴の体が膨張する。元から鋭かった牙は、さらに鋭利を浴びていく。美琴の頭が、白く染まる。仲間の記憶が消えていく。理性が消失するのを感じた。ああ、お願いだ。お願いだから、ここには誰も来ないでくれ。


「なんだ……これは……!」


 ミカエルは困惑した。全長30mを超えるであろう巨大な虎が、彼の前に立ちはだかっていたのだ。


「ゴォォォォォォォォォ!!!!!!」


 虎は雄叫びを上げる。それは、オリンポス全土に響き渡っていた。

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