第309話 番外編 チョコレートの日

 リリはあるものを一月ほどの時間をかけ準備をしていた。

珍しく頭を悩ませ、脚を使い今まで立ち寄った国々を周り、メイラはもちろんフォスやアルスの助言も受けた。

全てはこの一瞬のために。


「ごくり…」


扉の前で佇むリリの手には小さな箱が握られていた。

その手は微かに震えており、もしリリが人形の身体ではないのなら汗をかいていたかもしれない。

それほどまでにリリは今い緊張していた。


「すーはー…す~~~~~~~~~~~~~…はぁ~~~~~~~~~~…よし」


深すぎる深呼吸を済ませ、リリは扉に手をかける。

ギィィィィィイと重々しく扉は開き…そして──。


「ん?おかえり」


部屋の中で椅子に座り本を読んでいたマオが顔を上げた。

そう、その場所は彼女たちの寝室…なぜ見知ったはずのその場所でリリが緊張していたかと言うとそれは手に握られている小箱に由来する。


「どうしたのリリ?そんなカチカチになって」

「えっと、その…マオちゃんって甘いもの好きだよね」


「うん」

「じゃあこれ!はい!」


リリが勢いよくマオに手に持っていた小箱を差し出す。


「なぁにこれ?見たことないデザインだけど」


小箱は落ち着いた色の包み紙と、鮮やかなリボンでラッピングされており、リリには前世で何度か見かけたよくあるデザインなのだがこの世界には普及している物ではなく、マオにとっては初めて見る様式だった。


「これ…チョコレートなんだけど…今日はほら…バレンタインで…その…」

「ばれんたいん?」


この日は前世で言うバレンタインの日に当たっており、リリは一月ほど前になんとなく日付を確認していて唐突に思い出したのだ。

バレンタインという文化を。

前世では全くと言っていいほどリリに縁のなかったそれ…実際には彼女の唯一の友達が毎回チョコを持ってきていたのだがリリはそれがバレンタインだとは気づいていなかったために意識しておらず、忘れていた。

だが今は違う。

なぜならチョコを渡す相手が今は居るのだから。


リリは慌てに慌てた。

いくら縁がなかったとはいえこんな大事な事を忘れていたのかと。


「ま、まずい…マオちゃんに愛想つかされるかも…」


こちらの世界にバレンタインという文化はないためいらぬ心配なのだが、リリは全くそんなことには思い至らない。

それくらいに慌てていたのだから。


「チョコを…最高のチョコを用意せねば!!!!!!!!」


こうしてリリの大暴走は始まった。

なお巻き込まれたフォスは後にぐったりとした様子で「死ぬ…」とだけ言い残したそうな。


そして今。

詳しくは語らないが数多の犠牲の末に用意されたチョコレートは無事にマオの手に渡った。

喜んでくれるだろうかと不安なリリをよそにマオは…何の感慨もなく包装を破り裂き、蓋を開けて中の小分けされたチョコを一つまみして口に含み「うん、美味し。ありがと」と一言呟くと再び読書に戻るのだった。

茫然と立ち尽くすリリをよそに、バタバタと慌ただしい足音と共にリフィルとアマリリスが部屋に入ってくる。


「リリちゃん帰ってきたの!おかえりー!」

「…おかえりなさい」


二人はリリに抱き着くがマオの前に置かれたチョコレートの箱を目ざとく発見する。


「あ!ママがチョコ食べてる!いいないいな!もしかしてリリちゃんのお土産!?リリちゃん私たちにはー!ねーねーチョコはー!」

「チョコ…ほしい…」


駄々をこねるようにリリの服を左右から引っ張る二人をマオはたしなめてチョコの小箱を差し出した。


「これ小さいのがいっぱい入ってるから皆のぶんも一緒なんだよ多分。はい」

「わ~!」

「やったー」


リリから離れ、チョコレートを一つずつ手に取り口に含む。

もぐもぐと数度咀嚼したのちにリフィルとアマリリスの顔は幸せそうにほころんだ。


「甘い~!」

「おいひぃ~」

「うんうん、よかったね」


そんな絵にかいたような幸せな家族たちを見てリリは…。


「ちっがぁあああああああああああう!!!!!」


盛大に叫んだ。

突然の大声にリフィルとアマリリスは肩をビクッと震えさせるもリリはたまにおかしくなるからなと特に気にはしなかった。

泣き虫のアマリリスでさえもはやリリの奇行には動じていなかった。


「どうしたのさリリ」

「どうしたもこうしたもないよ!何度も言ってるけどマオちゃんはなんかこう…どうして記念日とかそういうのに全く特別な反応をしてくれないの!?」


「え~?そんなこと言われても…今日って何かの日だったの?」

「バレンタインだよ!!!!」


「なにそれ」

「チョコ!チョコをね!?好きな人に渡す日!!!!」


「へぇ~そうなんだ。じゃあ最近なんか忙しくしてたのってチョコを用意してくれてたの?」

「そう!そうなんだよ!なのにマオちゃんいきなりビリィ!って!う~~~~~!!!」


マオは本を片づけ、眼精疲労を軽減する眼鏡型の魔道具を外すとリリの手を取って引き寄せた。

リリを抱きしめて背中をポンポンと叩き宥める。


「ごめんね。本当に知らなかったんだよ。ちゃんと美味しかったし、私のために頑張って用意してくれたんだよね、とっても嬉しい」

「うん…もしかしてバレンタインってこっちにない…?」


「こっち?私は聞いたことなかったけど」

「…そうなんだ…あ~…」


そこでようやく独りよがりに気づいたリリは恥ずかしくて死にたい衝動に駆られた。

しかし逃がさないとばかりにマオが手の力を強め、リリはマオの胸に顔を埋めて顔を隠すことしかできない。


「先に言ってくれれば私もチョコ用意したのに…あ、そうだ」

「?」


マオはリリから離れるとチョコを一つまみして口に含む。

そしてリリの顔に手を添えて向かい合わせると…そっと口づけをした。


「んん!?」


突然のキスに驚いたリリだが、マオは容赦なくぬるりとその口内に舌を滑り込ませ、さらには…。


(甘い…)


舌と同時にリリの口内には甘くもかすかに苦い味が広がる。


「ぷはっ…どう?」

「どうって…その…大変良いと思います…」


ひと悶着ありはしたがこの日、初めてのバレンタインはリリにとって間違いなく忘れられない一日となったのだった。


そんな光景をまじかで見つめていた小さな姉妹はチョコを一つだけ手に取り…誰にも見えないように後ろを向いた。

二人がなにをしていたかは本人達しか知らない。

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