第282話 変化と意地

 瓦礫の下から這い出してきたマナギスは全身に積もった汚れをパタパタと払い、首を回すように動かしてポキリと骨を鳴らす。

正直少しだけ助かったような気がしなくもないフォスだったが、一つだけ気になることがあった。


(どういうことだあの女…先ほど確かに頭蓋骨を叩き割ってやったというのになぜ生きている?頭も人形?いや、確かにアレは生の肉体の感触だったはずだ。だというのに汚れているくらいで顔に傷の一つも見えやしない。なにかあるな…ちっ、どこまでめんどくさいんだあのクソ女)


フォスは押し倒され、四肢を触手で拘束された状態で首だけを動かしてマナギスを睨みつけていた。

そしてそんな状況を今一番許せない女がいた。

間髪入れずに無数の黒い触手が激しくうねりだし、身だしなみを整えていたマナギスに殺到した。


「ん?」


それに気が付いた時にはすでに触手はマナギスの顔面を殴りつけ、胸を貫通し、肩を砕いていた。

触手はどんどんその数を増やし、マナギスの姿は見えなくなってしまったが生々しい打撃音が触手の中心に彼女がいることを証明していた。


「お、おい…」


フォスは触手の主…アルスに声をかけたが、その顔は未だかつてフォスが見たことの無いほどに怒りに満ちていた。


普段は何も知らない者から見ればまさに聖女と呼ばれるほどに柔らかく、包容力を感じさせるような微笑みを浮かべているアルスが明らかに怒っている。


フォスは真面目なアルスを見たことはあったが怒っている姿を見た記憶は一切ない。

他人の欲望を肯定するという性質上、怒るという事がそもそもないのだ。


誰かがアルスを一方的に傷つけたとしても、暴言を吐き捨て、所持品を奪い去ったとしても、その尊厳の全てを踏みにじり泥水に沈めたとしてもアルスは決して怒らない。


なぜなら他人の「そうしたい」という欲望を全て肯定してしまうから。

そんなアルスが今この瞬間、マナギスという個人に対し怒りを爆発させひたすら触手で殴りつけている。


「アルス!」


フォスが大声でその名を呼ぶと、アルスはビクッと肩を跳ねさせてゆっくりと視線をフォスに向ける。


「あ…申し訳ありません…」

「どうしたんだお前」


「いえ…なんか…どうしたのでしょう?私もあまり慣れない感覚で…フォス様との行為を邪魔されて…怒った…?そう…私は怒ったのです。どうしてもあなた様との蜜月を邪魔されたくなかった…」


話している間に潤んだ瞳を揺らし、アルスはその唇をゆっくりとフォスに近づけて…優しく口づけをした。

アルスはおろかフォスにとっても遊びのような軽く触れるだけのキス。

それが終わると顔を離し、アルスは体を起こしてフォスの身体に絡まっていた触手を消した。


「ご、ごめんなさい…私…自分がどうしてしまったのか…」


うるうるとした瞳を隠すように顔を覆ったアルスの姿にフォスは意地でも言語化したくはない感情を覚えた。

たとえ死んだとしても絶対に言語化はしない。


「まぁそのなんだ…お前も何かが変わってきてるのかもな」

「…どう…なのですかね」


アルスの根幹にある彼女を悪魔たらしめる欲望は「全ての欲望を肯定したい」という欲だ。

だがここにきて…否、いつの間にか本人も気づかないうちにフォスへの愛がその欲望の上に来ていたのだ。


それゆえの怒り。


それを理解したからこそ、フォスのなかでも若干の心境の変化が起こったのだった。

たとえ魂ごと消し去られるのだとしても絶対に言語化することはないのだが。


「あ~…痛いなぁ」


そんなどこか気の抜けた声と共にアルスの触手が先ほどまで暴力の限りを尽くしていたにもかかわらず、マナギスがゆらりと立ち上がった。


「おいおい、どんなバケモンだよ」

「フォス様…やはりあの方何かが変です」


「何かじゃねぇよ、全部変だ。正気に戻ったのならジラウドたちと周りの野次馬を追い払え」

「わかりました。お気を付けくださいましねフォス様」


アルスは触手を伸ばし車椅子を引き寄せると、そのまますでに不穏な空気を感じ避難活動を始めていた帝国騎士達と共に住民の避難を始めた。

対するフォスはアルスが敷いたままの大きなクッションの上で足を組み、それはそれは尊大な態度でマナギスと向かい合う。


「で?どういうからくりだよバケモノ」

「バケモノ呼ばわりはやめておくれ。私は人間さ…その証拠にこうして人外の君たちに手も足も出ない」


「舐めた事言うなよ、ええおい?この数分の間に何回死んだんだお前」

「一度も死んでないよ。言っているでしょう?未来に向かって歩む人はそう簡単には死なないって」


トンと軽い音と共にマナギスの胸に光の剣が突き刺さった。

ほとんど動かず、最小最速の動きでフォスが惟神で作り出した剣をマナギスに投擲したのだ。


その結果として光の剣はマナギスの身体を破壊し尽くすはずだが…マナギスは平然と立ったまま、胸の剣を引きぬいた。


「なるほど。触ってみると玩具みたいな感触だね。だというのに恐ろしいほどの破壊力を持っている…惟神というやつは何でもありで実につまらない」


興味なさげにマナギスが光の剣を投げ捨てると、剣は地面に落ちる前に跡形もなく消えた。

一連の動きをフォスは注意深く見ていたが剣が引き抜かれた時にはすでにマナギスの胸の傷は消えていた。

フォスの惟神をもってしても殺すことができない…まさに不死身だ。


「いや…不死身などと言う者があるはずがない。それこそ御伽噺だ」


どんな存在でもそこに存在している以上殺す方法が必ずある。

リリやアルスも厳密に言うのなら不死身ではない。


アルスは桁外れの再生力を持って一見不死身に見えるだけであり、その気になれば殺せない事もないのだ。

現にフォスの力によって切り取られた足は再生していない。


リリも初めてフォスと交戦した際には身代わりが居なければ間違いなく死んでいただろう。


「身代わり…そうか、その手があったな。お前、さては自分のダメージを誰かに押し付けているな?大方お得意の他人の魂の無断拝借で強制的に身代わりにしていると言ったところか」

「どうしてそう嫌な言い方をするかな。確かに私は一定以上のダメージを受ける場合は協力してくれる皆でダメージを分散して引き受けてもらっているけどそれだけさ」


「おいおい、未来に向かってなんちゃらすれば死なないとか言ってたくせにどうしたんだ?」

「死にはしないけど痛いのは嫌だろう?私はまだまだ研究の途中なんだ、もし何かあったらその分人類の進化が遅れてしまう…とすれば他の人にダメージを引き受けてもらうのは至極当然のことじゃないかい?適材適所、人は自分にできる事をそれぞれ前向きに頑張るべきなのだからさ」


「あーあーもういいわ、あほくせぇ。まぁどんな答えが返ってくるか分かり切っているいるのに話しかける我自身も馬鹿か…お前があとどれくらいの身代わりを用意しているのかは知らんが…死ぬまで殺しきればいいだけの話だ」


剣を手にフォスは立ち上がる。


「いいのかい?天下の皇帝様がそんな事を言って。果たして「何人」死ぬのかな?」

「知ったことか。どうせ我にはどうすることもできんのだ。ならば諸悪の根源をここで断つのが最適解だろ?」


「ふむ…じゃあ今日はもうやめにしておこうかな」


そう言ってマナギスは両手を上げたのだった。

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