第306話 閑話:竜vs辺境都市2


side:辺境都市領主 ミハイル・フォン・オーバーハウゼン




 日はとうに沈んだ。

 普段なら領主である私も家族と優雅な時間を過ごしている頃合いだが、私は執務室に詰めたまま裁可を求めて次々に訪れる高官たちの対応を続けている。


 議論の末、灯火管制は魔道具による連絡が可能な大街道沿いの街においてのみ実施し、領都では見送ることに決めた。

 竜が夜のうちに飛来した場合、どうやっても迎撃準備が間に合わないからだ。

 

 ならばその可能性を捨て、明朝に備えて全力を尽くす。

 それが最善であると判断した。


「騎士団長と衛士長が参りました」

「通せ」


 私の声を受けて扉が開かれ、二人の男が入室する。

 見上げるような巨漢の騎士団長と神経質な細面の衛士長は、その外見だけでなく性格も対照的だ。

 この二人が意気投合しているところなど想像できないが、衛士長はむしろ騎士団長との険悪な関係が私の耳に入るほどに有名であり、それが罷免されたとあって衛士長室からは高笑いが聞こえたという。

 このような状況を思えば、神経質に見えて案外肝が据わっているのかもしれなかった。


「報告します」


 素早い敬礼の後、まず衛士長が報告を始める。


「現在、の襲来が予想されるため市民の外出を禁じる旨、周知を続けています。夜間も交代で巡回を続け、多少手荒になっても禁令を遵守させる考えです」

「市民の混乱はないか?」

「襲来する脅威が竜であることは伏せておりますので。また、昨年末に魔獣の侵攻を退けていることも、市民の心理に影響していると思われます」

「そうか。それは好材料だな」


 衛士長は頷く。

 今は竜への備えだけで精いっぱいだ。

 混乱の末に暴徒化した市民の対応に人員を割く余裕はない。


「このまま治安を保つことができれば、計画通り衛士の一部を外壁上からの支援に充てることが可能です。ただし、南東区域内に懸念される動きがあり、こちらの調査結果によっては計画の変更が必要となる可能性があります」

「貧民街か……。忌々しい」


 治安対策として南東区域をしている以上、その内部において多少の騒ぎが起きることは常に織り込んでいる。

 とはいえ、都市の存亡が懸かった事態に際して足を引っ張られては恨み言のひとつも出るというものだ。


 騒ぎが南東区域から他の区域に波及しないよう衛士長に厳命した上で下がらせ、私は黙したまま仁王立ちする巨漢に視線を移す。


「騎士団の状況は?」

「最低限の者を残し、直ちに就寝するよう命令したのである!」

「待て、作戦の準備はどうした?」


 予想外の返答に眉をひそめた。

 出番は明朝だが、騎士団の仕事は少なくないはずだ。


 しかし、ジークムントの返答に迷いはない。


「状況は刻々と変わるのであるからして、作戦もまた変更が必要になるのである。ならば、最終的な作戦を明朝に聞けば無駄がないのである。騎士の仕事は、決戦に最高の状態で出陣すること。よって、速やかに休息するよう命じたのである」

「ふむ、そうか……」


 なるほど、聞いてみれば極めて合理的な判断だった。

 おかしな口調も普段通りと思えば頼もしい。


 自画自賛になるが、前騎士団長の更迭はやはり英断だった。


「わかった。今夜はゆっくり休んでほしい。厳しい戦いになるが、奮闘を期待する」

「うむ、任せるのである!」


 堂々と退出するジークムントの背を見送った。


「剛毅な男だ」


 このような状況では寝るのも簡単ではないだろう。

 衛士や文官、それ以外にも多くの者たちが決戦の場を整えるという信頼がなければ不安で眠れやしない。

 私が領主の仮面を被るように、あの男も騎士の仮面を被っているのかもしれない。


「気が変わった。私も仮眠をとることにする」

「はい。後のことはお任せください」


 老執事を残し、執務室をあとにする。


 寝ぼけた頭では最善の判断はできない。

 執務室で気をもんでいたところで何かの役に立つわけでもないのだ。


 気づかせてくれたジークムントに感謝しつつ、急遽用意された仮眠室で眠りに就いた。





 ◇ ◇ ◇





 そして、翌日未明。

 竜は予想通り、夜間を休息に充てたようだ。


 防衛計画の変更部分を最終確認し、その場で裁可する。

 幸い南東区域の騒ぎは深夜のうちにある程度沈静化したようで、衛士隊の一部を決戦に動員する計画は変更なく実行できる見通しとなった。

 この衛士たちの役割は魔導砲と巨大弓の運用を支援することだ。

 先々代が購入して死蔵していたものを急ぎ整備して外壁上に並べた急造火力であり、過度な期待はできない。

 戦争都市などで使用されているという新式より射程や威力は劣るが、今は少しでも火力が欲しかった。


「竜は2体。片方に騎士団を当て、もう片方に冒険者を当てます。冒険者が時間稼ぎをする間に騎士団と魔導砲、巨大弓で1体を撃退し、その後に残る1体を攻略するという方針です」

「冒険者はどれほど集まる?」

「昨日の段階ではB級冒険者を含む大集団が都市に滞在しているとの情報を掴んでおりましたが、これが逃亡いたしまして……」

「西門に統率された数十人規模の冒険者が押し寄せたため、鎮圧のための戦闘行動はかえって混乱を助長すると判断しました」


 衛士長が文官の説明を補足する。

 彼は決戦の舞台を整えるため、徹夜で準備に回った側の人間だ。

 その努力に後ろ足で砂をかけるような蛮行に、苛立ちのあまり表情が消えている。


「冒険者ギルドは緊急依頼を発行していないのか?」

「罰則覚悟での行動と思われます」


 文官の言葉に衛士長は鼻を鳴らす。

 態度には出さないが気持ちは私も同じだ。

 B級冒険者とやら、邪魔をするくらいなら最初からいない方が良かった。


 しかし、悪い知らせはそれだけでは終わらない。


「冒険者ギルドに送った伝令からの報告です。現在、緊急依頼により冒険者たちが冒険者ギルドに集まりつつありますが、B級冒険者の逃亡が知られ、統率の乱れと士気の低下が懸念されると。このままでは……」

「時間稼ぎすらままならないか……」


 場に沈黙が落ち、溜息が漏れた。


 じきに夜が明ける。

 作戦を大掛かりに変更する時間は残されていない。

 戦端が開かれてから冒険者が逃亡すれば2体の竜に挟撃される騎士団は瞬く間に全滅し、都市は壊滅的被害を受けるだろう。


 それを防ぐためには、何としても冒険者たちの士気を回復する必要がある。


「冒険者ギルドへ向かう」

「冒険者ギルドのマスターとの会談であれば、使いをやってこちらに招きますが」


 その言葉に、私は首を横に振る。

 ギルドマスターとの折衝は必要ない。


 今、私が話をすべき相手は他にいる。






 東の空が白み始める中。

 私が冒険者ギルドに急行すると、そこには報告どおりの光景が広がっていた。

 ロビーに足を踏み入れると、冒険者ギルドから出て行こうとする数人の冒険者と、それを止めようとするギルド職員の怒鳴り合いが聞こえてくる。


「この非常時に、どこへ行こうというのですか!」

「うるせえ!非常時だからこそだろうよ!竜の群れと戦うなんてバカじゃねえのか?」

「まさか、自分たちだけ逃げる気ですか!?これは緊急依頼です!受諾を拒否するのであれば、冒険者資格の剥奪もあり得ますよ!?」

「構わないね、死ぬよりはマシさ!」


 その冒険者の後ろにいる者たちからも、そうだそうだと野次が飛ぶ。


 彼らを軽蔑の眼差しで見つめる者。

 無関心な者。

 不安そうにしながらも自らは戦う決意を固めている者。

 自分も逃亡に加わるべきか迷っている者。


 冒険者の反応は様々。


 そして、だからこそ今このときが分水嶺となる。


 この場の空気がどちら側に転がるか。

 結果によっては竜との戦いが戦いにもならず崩壊することを、私は直感した。


「逃げたいのならば、逃げてもかまわない」

「何を……っ!領主様!?」

「なっ!?」


 逃げようとしていた者たちは狼狽した。

 士気の低下を嫌った私がひとたび騎士に合図を送れば、竜と戦うまでもなくこの者たちは処刑される。

 領主である私には、それを可能にする権力がある。


 逃亡を企てた冒険者たちは一様に下を向き、私が通り過ぎるのを待った。


「領主様!一体なにを……」


 抗議するギルド職員を手で制し、私はロビーの中央へと足を進めた。

 当然、冒険者たちの視線は私に集中する。


「勇敢な冒険者諸君!まずは、この都市の危機に立ちあがってくれたことに感謝しよう」


 突然領主が現れたことで混乱した場が落ち着くのを待たず、私は声を上げる。

 礼節に欠けると言われる冒険者たちも、流石に私の言葉を遮ることはなかった。

 冒険者たちは望む望まざるに関係なく私の言葉に耳を傾けている。


 これで、は整った。


「さて、知ってのとおり、この都市は現在、未曽有の危機に瀕している。しかし……、実をいうと私は今、これから始まるであろう竜との戦いを前に、胸の高鳴りを抑えられない」


 領主は何を言っているのか。

 極度の緊張に頭をやられたのか。

 声には出さなくても、冒険者たちの表情から彼らの考えがありありと伝わる。


 無言の困惑を汲み取りながら、それでも私は続けた。


「諸君も冒険者ならば、お伽噺の英雄に憧れたことがあるだろう。英雄は、あるときは仲間を率いて邪悪を打倒し、あるときはとらわれの姫を救い出す。だが、最も心惹かれるのは…………英雄が、竜を討ち果たす物語ではないかね?」


 そう問われた冒険者たちは困惑を引きずりながらも思いをはせる。

 子どもの頃、夢中になった英雄の物語。

 その強さに憧れ、あのようになりたいと思った者は一人や二人ではないだろう。


 わずかな空気の変化を感じながら、自身の中で錆びついた力が蠢くのを感じた。


「西大陸から妖魔が流れるようになり、我々が住まう東大陸に強大な妖魔が蔓延ったのは遥か昔。もはや強大な敵に遭遇する機会は限られ、鍛え上げた武術や魔法を振るうに足る相手に恵まれない者もいるだろう。喜べ、冒険者たち!討ち果たすべき竜、守るべき人々、そして竜を討つための手段!その全てが、今、この場所にそろっている!!」


 少しずつ、しかし確実に。

 この場の空気が変わっていくのを肌で感じる。


「竜は2体。我が騎士団が竜の1体を引き付ける。その間に、諸君らがこれを討伐するのだ!都市の外壁上からは、魔導砲と巨大弓による支援攻撃も行う!」


 冒険者ギルドに立ち込めていた重い空気が、少しずつ消えていく。


「竜は倒せる!いや、我々こそが倒すのだ!」


 熱気が、高まっていく。


「私の知る限り、最後に竜を倒したのは帝国騎士団長が率いる小隊だった!諸君らも知ってのとおり、その戦いぶりは100年の時を越えてなお、我が国で語り継がれている!」


 彼らのように、歴史にその名を刻みたくはないか。


 ユニークスキルが発動し、私が紡ぐ言葉は冒険者たちに輝かしい未来を夢想させる。

 それが手の届くところにあると信じてしまえば、それを手放すことなど不可能だ。

 それが植え付けられた虚像とも知らず、冒険者たちは戦意を漲らせる。


(済まないな、冒険者諸君……)


 これほど領主に相応しくないスキルを、私は知らない。

 幼少の折、領主一族に生まれた私にこのスキルが宿ったときは何の冗談かと思った。

 領主一族の嫡男として生を受けていなければ、おそらく私は処刑されていただろう。


 しかし、数十年忌避し続け、封印してきたスキルの使用を私は躊躇わない。


 都市の明日を迎えるために。

 守るべき人々が輝かしい未来を手にするために。


 使える物は、何でも使う。


 なぜなら、私はミハイル・フォン・オーバーハウゼン。


 この都市を統べる、オーバーハウゼン家の当主なのだから。


「さあ、冒険者諸君!お伽噺の舞台は整った!これより始まるは、百年先に語り継がれる英雄の物語!」


 先ほどまでの空気が嘘のように、冒険者たちの目に闘志が宿る。

 先ほどまで逃げる算段をしていた者たちすら顔をあげ、その拳を握りしめた。


「我がオーバーハウゼン家は、英雄に対する褒美を惜しんだりはしない!冒険者ギルドが発する緊急依頼の報酬とは別に、竜の討伐に参加した者全員に金貨2枚を与える!さらに、竜を1体討伐するごとに、全員に金貨2枚を与える!」


 ここぞとばかりに破格の報酬を提示する。

 冒険者ギルドが悲鳴のような歓声に包まれた。


「もちろん、最も活躍した英雄の中の英雄に対しても同様だ。その望みを私が直接聞き届け、オーバーハウゼン家の力が届く限り、それを叶えよう!」


 冒険者たちが各々の武器を掲げる。

 布陣する場所も提示されていないのに、走り出そうとする者すらいた。


「さあ、準備はできているかね、冒険者諸君」


 もうすぐ物語の幕が上がる。


 たとえそれが、英雄の存在しない悲劇の物語だとしても。





 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇





 ミハイルが紡ぐ物語は、救いのない悲劇。


 彼の悲観的な予測は概ね正確で、彼の物語の登場人物が竜を討伐できる可能性はあまりに乏しい。


 だから、もし事態が彼の想定内に収まったとしたら――――あるいはこの日、辺境都市は滅びたかもしれない。




 しかし、この物語は人間だけのものではなかった。




 怒りを湛えて都市を目指す竜。


 各々の目的と利益のため、妥協点を探りあう精霊たち。


 そして――――




「…………」




 南東区域に存在する不思議な屋敷。




 小さな妖精が、カーテンの隙間から空を見上げた。

 


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