第五章閑話
第305話 閑話:竜vs辺境都市1
side:辺境都市領主 ミハイル・フォン・オーバーハウゼン
竜の群れがこの都市に向かっている。
その知らせが届いたのは、夕刻の会議中だった。
「ばかな!」
「冗談だろう!?」
会議室に駆け込んだ騎士が伝えた突然の凶報により、場は騒然となった。
文官を中心に否定的な声が上がるが、騎士は確かな情報だと言って取り合わない。
残念なことに騎士の報告は事実だろう。
我が領地には竜の生息地である火山があり、それを遠巻きに囲むように観測基地を設けている。
今から200年前に2体の竜が領内の街村を襲ったことがあり、せめて最低限の備えができるようにと当時の領主が設置したものだが、数十年ごとに不要論が叫ばれ、徐々に規模を縮小しながら今日に至る。
200年も無用の長物として存在していた観測基地が、初めて役に立ってしまったということだ。
投じた資金が無駄ではなかったと喜ぶことはできない。
叶うなら、永遠に役立たずであってほしかった。
「数は?」
「2体と思われますが、対象まで距離が遠すぎたため断定はできません。幼竜か成竜かも不明です」
「まったく、騎士団は何をしている。観測基地をもっと……」
騎士を糾弾する文官に冷たい視線が集中し、非難の声は尻すぼみになった。
数年前に観測基地不要論を叫んだのは、たしかこの男だったか。
そのときは否決されたが、その主張通り基地を廃止していたら今回の情報を事前に掴むこともできなかった。
今ですら、竜が飛来しやすいと想定される経路上に3か所の基地が残るだけだ。
遠方を観測するための設備や連絡用の魔道具が配備されているとはいえ、200年に一度の危機をよく捕捉したと騎士団を褒めるべきだろう。
「この一大事に、騎士団長は何をしている?」
別の文官から、騎士団長不在の理由を問う声が上がった。
たしかに、これほどの大事であれば騎士団の出動は必至。
にもかかわらず、その長たる者がこの場に姿を現さないのは一体なぜか。
疑念が生じるのは無理からぬことだった。
上司の不在を咎められた騎士は、ここまでと打って変わって歯切れの悪い説明に終始する。
「副団長以下、都市で竜を迎え討てとの命令を……。自身は、少数の伴を連れて都市から出発しております……。都市から離れた場所で、竜を待ち受けるとのことですが……」
「まさか、逃げたのか!?」
「私からは何とも……」
決して肯定はしないが、騎士の態度が彼自身の見解を何よりも物語る。
議場に呆れを含んだ溜息が満ちた。
「ジークムントは?」
「急ぎ騎士たちを招集し、準備を整えています。しかし、権限の都合、すでにいくつかの問題が――――」
私は手のひらを向けて報告を制した。
今は余計な時間を浪費している余裕はない。
「無用だ。今このときから、ジークムントを騎士団長とし、騎士団に関する全権を預ける。ジークムントに、そう伝えよ」
「はっ!騎士団長閣下にお伝えします!」
騎士は伝令に目配せすると、随行した若い従騎士が敬礼を残して走り去った。
ジークムントを副団長に任命して2年余り。
騎士団の練度は目に見えて向上した。
強靭な戦士が率いる騎士団は、きっとその力を十全に発揮するだろう。
もっとも、力を十全に発揮できたから押しとどめられるとも言い切れない。
それが竜という存在だ。
「竜などというお伽噺の中の存在が、よりにもよって、なぜこの都市に……」
「そのとおりだ。大人しく巣に籠っておればよいものを」
会議の出席者の一部から、怨嗟の声が漏れる。
迫りくる危機から少しでも意識を逸らしたいという無意識の防衛本能か、それを皮切りに議場に愚痴と不満が次々とぶちまけられた。
良くない流れだ。
方向修正を図ろうと私が口を開きかけたそのとき、重厚な木製の机に拳を叩きつける者がいた。
「今この場に必要なのは、愚痴も不満でもない」
力強い、しかし冷静な声が議場に響く。
暗に批判された者たちは彼を睨むが、鋭い眼光で睨み返されて目を逸らした。
彼の名は、ベンヤミン・ユンカース。
平民出身の文官で、つい先日財務局長に抜擢したばかりだ。
私は機会をとらえて無能な貴族を更迭し、少しずつ有能な平民に入れ替えているが、芽を出さないうちに無能な貴族に潰された者も少なくない。
彼はそうならず、政庁の文官最高位まで上り詰めた稀有な例だった。
しかし、一部の者はまだ諦めていない。
好機と見た貴族の一人が声高にユンカースを非難した。
「何を言うか、貴様も騎士団の増強に反対しておっただろうが!」
「竜の襲来に対抗できる騎士団など、維持費だけで領地が破綻する。反対は当然だ」
「その結果が、この状況だろう!貴様、どう責任を取るつもりだ!!」
何人かが貴族に同意するようにユンカースを睨む。
しかし、当のユンカースはそれらの視線を場違いと言わんばかりに切って捨てた。
「私を非難するのは、都市が焼き尽くされた後でよろしい。今は竜の襲来に備えるべきだ」
「や、焼き……!?貴様、非礼だぞ!」
「よい」
ただ一言発し、無能を黙らせた。
有能な部下が能力を発揮するための状況を整えるのが、領主である私の務め。
ユンカースはこちらに一礼し、彼の仕事を続けた。
「竜の襲来まで、猶予はいかほどか?」
「竜が真っすぐに都市を目指した場合、襲来は深夜です。しかし、竜も夜間は休息しますので、その場合は明日の朝から昼頃と見込まれます」
「わかった。地図を」
「こちらに」
文官の一人が、市中には決して出回らない大きく精巧な地図を広げた。
この精度の地図を作製するのは簡単ではないが、地図一枚を惜しんで家を滅ぼした間抜けとして後世の社交界で嘲笑されたくはない。
文官がペンとインクを騎士に差し出すと、騎士が確認のためこちらに視線を向ける。
私はただ、鷹揚に頷いた。
「失礼します」
報告者である騎士は自領と他領に跨る南西の大火山近く、ある場所を起点として、この都市の方向に二本の線が引いた。
起点が竜の観測地点。
この線に挟まれた場所が、竜の襲来予想地域ということだ。
ユンカースは頷くと、臨席する高官の一人に向けて問うた。
「この地域に穀倉地帯や村は?」
「当然あるとも。あと少しで収穫の時期を迎える小麦畑が……なんということだ……」
「そうか。村は……いや、間に合わぬか」
「でしょうな。下手に伝令を出して竜の気を引かないとも限りません。家々に籠って上手くやり過ごしてくれることを祈りましょう」
「大街道沿いの街はまだ間に合います。戦時の定めを準用し、灯火管制を敷くべきです。住民の外出も一時禁止しましょう」
ユンカースの指導により、会議が回り始める。
私は何も言わず、議論の様子を泰然と構えて見守った。
人間を見る目には自信がある。
そう言えば聞こえはいいが、それは裏を返せば自分自身の能力不足を補うために目に頼るしかなかったということでもある。
代々当家に従属する貴族たちの機嫌を取るため、無能に不相応な役職を与えるだけの余裕が私にはなかった。
結果として、貴族家との関係は少しずつ悪化している。
今回の件でこの都市から逃げ出す者も出るだろう。
私の選択は正しかったのか。
今まさに審判が下されようとしていた。
ユンカースが主導して策定した防衛計画ほか諸々を承認し、私は執務室に戻った。
領主である私が指揮を執るべきは今ではない。
優秀な部下を選別し、能力に見合った職責を与えることが私の仕事。
信じた部下たちは200年に一度の危機を前に、奮い立って職責を全うしようとしている。
ならば、任せるべきだ。
執務室で一息ついていると、突然大声とともに執務室の扉を勢いよく開け放たれた。
「父上!」
執務室に駆け込んできたのは、息子のエミールだった。
領主の仕事を学ばせるため。
高官たちの顔を覚えさせ、自身の顔を覚えられるため。
嫡男を若いうちから政庁に同行させるのが当家の方針だ。
別の仕事を任せたため先ほどの会議には同席していなかったが、どこからか話を聞きつけたようだ。
「何事だ。父は今、忙しいのだぞ」
「そんなことはわかっています!」
ノックもなく入室した息子に冗談交じりに応じる。
しかし、息子には私の冗談に付き合う余裕はなかったようだ。
私は敢えて姿勢を正し、領主としての威厳をもって息子を叱責した。
「わかっているなら、そのような無様を見せてはならない。我ら領主一族は、危機にこそ堂々と構えるべきだ。違うか、エミール」
「それは……。も、申し訳ございません」
開け放たれた扉が私付きの執事の手によって閉められた。
それを見届けてから、わかりやすく姿勢を崩す。
私の仕草から失敗を咎めるつもりはないと察した我が子の表情が、幾分か柔らかくなった。
「それで、何か用があったのではないのか?」
「はい」
今度はエミールが姿勢を正した。
表情は真剣そのもの。
用件は予想できていたが、それでも息子の言葉を待つ。
「迎撃戦の指揮を拝命したく、お願いに参りました」
予想通り、我が息子は領地の危機に際して先頭に立ちたいと申し出た。
しかし、エミールが危険に身を晒してまで手柄を必要とする理由に心当たりはない。
継承まで早くとも十数年の時間がある。
エミールの次期当主としての地位を脅かす者も存在しない。
竜という存在を甘く見ているわけでもないだろう。
ゆえに、これは純粋に領主家の者としての責任感や義務感から出た言葉だ。
息子がこの局面で怯まぬ男に育ったことを嬉しく思う。
しかし――――
「ならぬ。此度の迎撃戦の指揮は私が執る」
「父上――――」
「これは領主として、家長としての決定だ。異論は許さぬ」
「…………ッ」
エミールの表情が歪んだ。
この戦いは領地が総力を挙げて行うべきものだ。
厳しい戦いとなることは明らかであり、領主一族が逃げ腰と知られれば戦線はあっという間に崩壊するだろう。
これは領主家の男にしかできない仕事で、そう言う意味ではエミールの言うとおり、息子でもその役割を果たすことはできる。
だが、私の子に男子は一人。
例えこの身が竜の餌食になろうとも、嫡男を喪うわけにはいかなかった。
それに迎撃戦の指揮など執らずとも、大役は別にある。
この戦いで疲弊するであろう領地を立て直し、他家の食い物にされることを防ぐという難しい役目だ。
「俺にはまだ、父上のように領を治める力がありません。今、父上を喪えば我がオーバーハウゼン家は……」
エミールは自身の力不足を認め、悔しさを隠さず拳を握り締めた。
跡継ぎとして十分な素質を有しているエミールだが、その齢は20にも満たない。
ときに経験が物をいう領主の職責。
若い息子にとって、極めて難しい仕事になると理解はしている。
それでも領主一族である限り、その責務から逃げることは許されない。
エミールも、そのことを理解しているはずだ。
「今は私に代わり、シェラとノルンを励ましてやってくれ。妹たちの不安を取り除くことがお前の仕事だ。私が戦場に出た後は、領主代理として家を任せる」
「……拝命します」
深々と一礼し、エミールは執務室を退出する。
その足取りは重く、肩にのしかかる重責に耐えようと歯を食いしばっていた。
「…………」
その後ろ姿を見送ると、私は椅子から立ち上がり窓から都市を見下ろす。
日は沈みかけていたが、政庁の門では騎士や衛士、文官がひっきりなしに出入りしており、ただ事ではない様子は市民にも伝わっていた。
こうして都市の様子を直接見ることができるのは、文官たちを居城に呼びつけるのではなく領主である私が政庁に足を運んでいるからだ。
古い貴族に言わせれば非常識なこの慣例。
私が領主になる前から数十年と続いているが、腰が軽すぎると陰口を叩く者も少なくない。
しかし、領主家が時折政庁を視察するという事実は文官たちに適度な緊張感を与え、彼らの仕事をより良いものにしている。
利益と不利益を比較すれば利益の方が大きいというのが私の考えであり、少なくとも私の代で廃止するつもりはない。
例え、数十人の文官を居城に呼ぶより自分が政庁に行く方が早いという、先々代の身もふたもない思いつきにより始まった慣例だとしても、有用ならば活用するまでだ。
経緯を知る者も、もうほんの一握りになっている。
「…………」
ふと、窓ガラスに映った男の顔を見る。
金髪を後ろに撫でつけ、額を晒した壮年の男。
眼鏡を外してみれば、在りし日の父にそっくりだった。
「エミール様はご立派になられました。当主を継いだ頃のお館様にそっくりです」
「そうか。俺のときはもっと震えていたと思ったが、自分で思うよりは様になっていたのだな」
執務室には、私のほかに長年仕えてくれた老執事が一人だけ。
今ならば、領主の仮面を外しても許されるだろう。
「負ける、だろうな」
ポツリと小さく呟いた。
小さな幼竜なら遠くまで飛べはしない。
火山からこの都市まで飛来するならおそらく成竜。
仮に幼竜であっても、成竜に匹敵する大きさとなるだろう。
それが2体となれば、この都市の戦力では荷が重い。
頭の中で何度算盤を弾いたところで結果は変わらなかった。
だから、これは敗北が決まった戦いだ。
用意した戦力で竜を討伐できる見込みはなく、防衛計画の目標は都市の戦力が壊滅するまでに竜が火山に帰りたくなる程度の打撃を与えることにある。
なんと絶望的な戦いだろうか。
「では、帝都に逃げる準備をいたしましょうか?」
「馬鹿を言うな、この戯けめ」
飛ばされた冗談に、笑って応じる。
「俺が守らずに、一体誰がこの都市を守る。先祖代々守り続けた都市なんだ。俺の代で、滅ぼされてなるものかよ」
例えどんな状況であっても、この都市を守るために死力を尽くす。
その覚悟は、父から領主を継いだその日に済ませている。
「私もそろそろ代替わりと思っておりました。最期までお供しましょう」
「忠勤に期待する」
眼鏡をかけ直し、領主の仮面をかぶる。
竜の襲来予想時刻まであと半日。
足掻きを尽くすため、私はさらに深く思考を巡らせた。
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