第299話 昇級試験ーリザルト1




 フィーネの部屋を出て階段を降りながら懐中時計を確認すると、時刻は夕方に差し掛かろうとしていた。

 昼食を食べ損ねたが、今日に限っては今から食べるという選択肢がない。

 今朝方クリスからの手紙が届き、今日中に都市に帰還すると記されていたからだ。


 手紙にはほかにも、自分とネルは無事であること、『鋼の檻』と繋がっていたエクトル・リヴァロルとアンセルム商会に打撃を与えたこと、宴会にはティアも呼んでおくこと、お風呂の準備をしておくこと、料理をたくさん用意すること、ケーキの上にはフルーツを山ほど盛り付けることなど、宴会に関するいくつもの要望が書き記されていた。

 二人が宴会を楽しみにしていることが十二分に伝わってくる内容だ。


 そんな二人を差し置いて俺が先に食事を済ませていたらどうなるか。

 彼ら――特にネル――の機嫌を少なからず損ねるに違いない。

 それがなくとも今回は二人に多大な無理を強いたのだ。

 心から宴会を楽しむために、俺も腹を空かせておくのが礼儀というものだろう。


(クリスとネルが到着するまで、まだ少し時間があるな……)


 二人の乗る馬車が到着するはずの時間から、ティアに声を掛ける時間、屋敷を出発する時間を逆算すると、何もしないでいるには少々長い時間が残されている。

 

「宴会は夜からだ。俺はお客を迎えに行くついでに、ちょっと用事を済ませてくる」


 シャワーを浴びてから、フロルに見送られて屋敷を出る。


 行き先は、冒険者ギルドだ。






 茶番に協力してくれたギルドマスターに礼を述べ、その足でラウラの部屋に向かった。

 いろいろと思うところはあるものの、今回の件で一番世話になったのは間違いなくラウラだ。

 協定による互恵関係の範疇であるが、それはそれとして礼を言っておくべきだろう。


「ラウラ、入るぞ」


 申し訳程度の雑なノックの後、無造作に扉を開けるが視界に藍色が映らない。

 それに気づいた俺は即座に身構え、天井を見上げる。


 しかし――――

 

「――――ッ!…………?あれ、上にもいな――――」

「どーん!!」


 愉快な声とともに背後から衝撃。

 突き飛ばされた俺は無様に身を投げ出した。

 

「ねえ、上なんか見上げてどうしたの?何か気になるものでもあったー?」

「こ、こんのやろ……ッ」


 受け身も取れず、腹を強かに打ちつけて呻き声を漏らす。

 そんな俺の背にふわりと腰を下ろし、ラウラはご機嫌に笑った。

 天井を警戒したのはいつぞや上から奇襲されたことを思い出したからだが、鬼畜精霊はそれを見越した上で背後を取ったのだ。


 せめて身構えている最中ならたたらを踏むくらいで済んだだろうに。

 本当に、人をおちょくることにかけてこいつの右に出る者はいない。

 

「いつまで座ってやがる。さっさと退け」

「えー?こういうのはお気に召さない?」

「お気に召めさないに決まってんだろうが!」

「そっかー。変態貴族さんは、女に甚振られるより女を甚振る方がお好きだもんねー」

「…………」


 本当に、こいつは本当に。

 人を甚振るのが趣味なのはお前だろと声高に叫びたいところだが、昨日俺がフィーネにした仕打ちを思えば分が悪い。

 鬼畜精霊の名に恥じない振る舞いに涙が出そうだ。


「ああ、楽しい。アレンちゃんといると本当に心が潤うなー」

「それは良かったな」


 鬼畜精霊を跳ね除けて起き上がり、乱暴にソファに腰を下ろした。

 ラウラは俺の正面――――ではなく隣に腰掛けて俺の腕を取る。


「ふふ、いただきまーす」


 声と同時に、いつもの感覚。

 自由過ぎるラウラを横目に、俺は特大の溜息を吐いた。


「まあ、いいや。でいいから話を聞きたい」

「改まってどうしたのー?」

「俺のスキルについてだ」

「スキルは増えてないよー」

「そうか……。いや、そうじゃない」


 落胆を振り払い、気になっていることを尋ねた。


「まず、<結界魔法>だ。砂粒が当たっただけで壊れる結界が竜のブレスに耐えた。どういうことだ?」

「…………」

「おい、なんだその目は……」


 ラウラは無言でこちらを見ていた。

 <結界魔法>の効力に驚愕しているというわけではなさそうだ。


 なんというかこう、馬鹿を見る目をしている。

 

「説明はするけど、砂粒ひとつで壊れる<結界魔法>で竜のブレスを受けるお馬鹿さんに、私の説明が理解できるかなー?」

「そろそろ殴っていいか?」

「いやー、変態貴族にいじめられるー」

「…………」


 今日は何を言っても無駄だ。

 そう理解した俺は、大人しくラウラの玩具に甘んじることにした。


 ひとしきり俺をからかって満足したラウラは、食事を続けながら<結界魔法>の講釈を始めた。


「<結界魔法>だけど、厳密に言うと1回攻撃されると壊れる結界を設置するスキルじゃないんだよー」

「やっぱりか」


 幼竜のブレスに耐えた以上、<結界魔法>が破壊されない条件というものが存在することはわかっていた。

 問題は、その条件が一体何なのかということだ。


「話を理解するために、前提知識が必要なんだけどー」


 ラウラはそんなことを呟くと、攻撃の種類について説明を始めた。


 といっても、そこまで難しい話ではない。

 攻撃は大雑把に言うと物理攻撃と魔法攻撃がある。

 例えば剣で斬る、矢を射る、石を投げるのが物理攻撃で、<火魔法>で生み出した火球をぶつけるのが魔法攻撃。

 誰に教えられずとも感覚で理解しているような話だ。


 しかし、ここからが問題だった。


「じゃあ、例えば<風魔法>を使って道に落ちてる石をアレンちゃんにぶつけたら、これはどっちだと思う?」

「それは……あれ?」

「剣を魔法で強化して斬りつけたら?魔法で生成した氷を投げつけたら?」


 矢継ぎ早に投げつけられる問いによって、俺の頭は早くも混乱し始めた。


(待て待て、ひとつずつ整理しよう……)


 <風魔法>を使って石を投げつける――――これは物理攻撃のはずだ。

 人間が石を投げる部分を<風魔法>で代替しただけであり、投げつけられる石そのものに魔法の要素は全くない。

 仮に石が飛んだあとに<風魔法>の効力が消失しても、石は慣性に従って動き続けるだろう。


 剣を魔法で強化して斬りつける――――正に俺が最も多用する攻撃手段であり、これは物理攻撃だ。

 <強化魔法>の効果を受けるのは剣を振る俺自身であって、剣に影響は――――


(いや、違うな……)


 <強化魔法>を全力に近い水準で発動すると『スレイヤ』の切れ味が大幅に向上する。

 これは経験から明らかだ。

 魔法が影響を与えるのは俺の身体能力だけではなく、剣の威力自体も段違いに強化している。

 俺自身の<結界魔法>すら斬り裂くのだから、ただの物理攻撃ではあり得ない。


 普通の斬撃は物理攻撃だが、俺が<強化魔法>を行使した状態で『スレイヤ』を振った場合は――――


(え、魔法攻撃?いや、そんなバカな……)


 混乱が深まってきたので一旦保留にする。


 魔法で生成した氷を投げつける――――これはティアの<氷魔法>だ。

 <氷魔法>を使った攻撃なのだから、魔法攻撃に決まって――――


(…………いや、待てよ?)


 魔法で生成した氷。

 これは一体どういうモノなのだろうか。


(ティアは<氷魔法>で生成した氷を冷蔵庫に利用していた。つまり、<氷魔法>で生成した氷を維持するために魔力は必要ない……)


 まさか、<氷魔法>で生成された氷は普通の水を凍らせて作る氷と同じものなのか。

 そうなると<氷魔法>で生成した氷を投げつけるのと、<風魔法>で道端の石をなげつけるのとで一体何が違うのか。


 <氷魔法>(物理)。

 常識が壊れる。


「はーい、そろそろ戻っておいでー?」


 ラウラの声で我に返る。

 彼女はすでに食事を済ませ、俺が混乱する様子を正面から眺めて楽しんでいたらしい。


「さあ、ラウラ先生の授業が始まるよー」

「……お願いします」

「うん、素直なのはいいことだよー」


 ラウラは満足げに腕を組んだ。

 いつのまにか用意された眼鏡と指示棒には突っ込まない。

 とにかく、説明の続きを聞きたかった。


「まず、物理攻撃と魔法攻撃を完全に区別するのって、かなり難しいんだよねー」

「いやお前、じゃあなんであんな問題を……」

「はーい、授業中なので私語はやめてくださーい」

「…………」


 そろそろ怒りゲージが限界に近いが、ここで爆発したら続きを聞くことができなくなる。

 俺は拳を握り締め、鬼畜精霊が振りまく理不尽に耐えた。


「魔力っていうのはね、現実を思い通りに変える力なんだよー」

「現実を……?」

「そう。例えば体をもっと強くしたり、例えば風のないところに風を起こしたり、例えば……何もないところに水を作ったりー」


 そう言って、ラウラはテーブルの上のグラスを水で満たした。

 水差しはどこにもない。

 ラウラが<水魔法>で生み出したのだ。


「今、私の魔力が水を作るために消費されて、グラスの中に水ができたのはわかるよねー?でも、一度完全に水になった魔力は、もうただの水なんだよ。これはもう、魔法でも何でもないの」


 そう言って、ラウラは俺にグラスを差し出した。

 俺は舌先で味を確かめてから、グラスに口を付ける。

 ただの水、もっと言えば雑味のない美味しい水だった。


「うん?その理屈だと<水魔法>も<氷魔法>も、他の魔法も全部物理攻撃にならないか?」

「それがそうとも限らないんだよねー」

「あれ、そうなのか……?」

「例えば<火魔法>がわかりやすいかなー。<火魔法>で生み出した火は、なんで消えないと思う?」

「あー、そう言われると確かに……」


 <火魔法>のことはよく知っている。

 何もないところから生み出され術者が望めば人魂のように宙を漂うそれは、しかし中心に何かが存在するわけではない。

 あれが純粋な物理現象なのだとしたら、火を出すことはできてもそれを維持することはできないはずだ。


「<火魔法>や<風魔法>みたいな実体が存在しない魔法は、基本的に魔力を使い続けないと維持できないの。だから魔法攻撃の要素が強いことが多いかなー」

「<水魔法>や<氷魔法>みたいな実体が存在する魔法は、魔力を使い続けなくても維持できるから魔法攻撃の要素が小さいってことか」

「これも、そうとも限らないんだよねー」


 にやにやと笑うラウラの顔を睨みつけると、俺の視線を遮るように水球が現れた。

 いや、正確には先ほどラウラが出した水がグラスから浮き上がり、水球を形成したのだ。


「一度水になった魔力はただの水……じゃなかったのかよ?」

「もう一度魔力を通せばこのとおり。川から汲んできた水だって、魔力を通せば同じことだよー」

「………………」

「あと、この水はもう無理だけど、完全にただの水になる前なら魔力に戻すこともできるよー。もちろん何割か無駄になるけどねー」

「ああ、そこは何となく理解できる気がする……。<結界魔法>は無理だが、<強化魔法>はそんな感じだ……」

「この手の話は属性魔法を使えない人には理解しにくいと思うから。アレンちゃんが特別お馬鹿さんってわけじゃないから、落ち込まないでー」

「励ます気があるなら、まずそのにやけ面をどうにかしろ」


 ラウラはにやにや笑いを続けた。

 

 励ます気なんてさらさらない、と。

 目は口ほどに物を言う。


「はあ……頭がゆだる……。てか、自分が作った物じゃなくても魔力を通して操れるのか。だったら俺にもできそうだが」

「できるよー」

「マジかっ!!?」

「才能があればねー」

「……………………」


 お仕置きしたい。

 どうにかしてラウラにぎゃふんと言わせたい。


 ひとつだけ方法に心当たりがあるのだが――――それをやっては色々とおしまいだ。


 口唇を噛みしめ、辱めに耐えた。


「ふう……アレンちゃんの可愛い顔も見れたことだし、そろそろ本題に戻るねー」

「本題?」

「<結界魔法>が竜のブレスに耐えた理由」

「ああ、そういえば……」


 すっかり忘れていたというか、それを聞くだけのことでなぜこれほど精神力を削られているのか理解できない。

 こればかりは俺の理解力が低いからではないはずだが――――これ以上は不毛になりそうなので、俺は考えるのをやめた。


「つまり何が言いたいかっていうとねー、魔法攻撃といっても程度の差はあれ物理現象が混じってることがほとんどなの。混じりっけなしの純粋な魔力による魔法攻撃はほとんどないんだけど、その例外のひとつが竜のブレスなんだよねー。あれは魔力で生み出した何かによってモノを破壊してるんじゃなくて、を吐き出してるだけなんだよー」

「なんだそりゃ……。物理現象を介さずに、ただ触れたモノを破壊するってか?」

「そうそう、そんな感じー」


 なんだそのトンデモ能力は――――と思ったが口には出さなかった。

 幼生のくせに目蓋で特別製の矢を弾き、剣で滅多斬りにされてようやく爪が欠けるような不思議生物のやることだ。

 今さら驚くほどでもないと思い直したのだ。


 俺もすっかりファンタジーの住人が板についてしまったらしい。


「あとは<回復魔法>、<強化魔法>、<浄化魔法>なんかも目標に直接作用する魔法だねー」

「なんとなくわかってきたような気がするが……いや、待て。ブレスを喰らったとき、なんか滅茶苦茶眩しかったぞ?」

 

 物理現象を介在しないというならあの閃光はどこから出てきたのか。

 俺からすれば当然の疑問なのだが、ラウラは呆れたように溜息を吐いた。


「アレンちゃんだって、<強化魔法>を使いながら<結界魔法>を使うでしょー」

「それがどうし……ああ、そういうことか……」


 ラウラの溜息が意味するところに気づき、俺は項垂れた。

 ブレスを吐いているからといって、それ以外のアクションがないとは限らない。

 <光魔法>でもあれば目くらましなんて簡単にできる。

 この手の思い込みでやらかしたばかりだというのに、本当に学習しないことだ。


「まあ、竜に関してはわからないことも多いし、破壊された空気中の塵が光ってるとか諸説あるけどねー」

「ああ、それもありそうだな」


 塵以外にも酸素とか水素とか。

 空気中にも燃えて光りそうなものは色々あったはずだ。


 まあ、反省は後にしよう。

 この話の流れからすると、おそらく――――


「物理現象を介さない純粋な魔力による魔法攻撃を、<結界魔法>で防ぐことができる……?」

「せいかーい!」

 

 パチパチと手を打ち合わせるラウラを、俺は半眼で睨んだ。

 ラウラは拍手をやめ、珍しくキョトンとして首をかしげる。


「お前、こんな大事なことをよくも黙ってたな……」

「えー、だって普通は役に立たないもの。まさか、無条件で竜のブレスを防げるとでも思ってるー?」

「……違うのか?」

「ブレスに込められた魔力が<結界魔法>に込めた魔力を上回れば、結界と一緒に術者も塵になるよ。決まってるでしょー?」

「ええ……?ああ、そうか。だから<結界魔法>は『スレイヤ』に耐えられなかったのか」


 俺が曲がりなりにも<強化魔法>を覚えたのは幼児の頃で、<結界魔法>を使えるようになったのは10歳の頃だ。

 つまり習熟度は<結界魔法>より<強化魔法>の方が高く、瞬間的に込められる魔力の上限も同様。

 であれば当然の結果として<強化魔法>に込めた魔力が<結界魔法>の許容量を上回り、矛盾は矛の勝利となる。

 竜のブレスでも同じことは起き得るだろう。

 あのとき俺は悪あがきを承知で最大強度の<結界魔法>を生成した。

 ブレスが来ると察した瞬間に諦めていたら、結界の強度が少し不足していたら、俺は今頃火山で塵になっていたわけだ。


 今更身震いする俺に、ラウラが呆れていた。


「魔力による直接攻撃を受ける機会なんて普通はないんだけどねー。基本的に属性魔法を使った方が楽だし消耗も少ないし、使うのは属性魔法が効きにくい相手を消耗度外視でどうにかしたいときくらいかなー。そもそも、それができるのは竜とか、強い精霊や妖魔……どれも下級冒険者には無縁…………と思ったけど、他にもいるねー」


 説明の途中で彼女の表情が変わる。

 ほかにも何かを思い出したようだ。


「教えてくれ」

「アレンちゃんは、もう知ってると思うよー」

「そうなのか?」


 ラウラは頷くと、指示棒を天井に向けた。

 それに釣られて俺も天井を見上げるが、そこには何もなかった。

 

 揶揄われたことにムッとして視線を戻すと、ラウラはにっこりと笑って指示棒を傾けた。

 指示棒と彼女の視線は真っすぐに正面を向いている。


 その先に居るのは――――


「アレンちゃん」


 ラウラは確かに、そう告げた。



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