第287話 昇級試験8
実は目が見えていない。
そう告げると、クリスとネルは大慌てで俺を近くの木陰まで移動させた。
「見せなさい!」
ネルが濡らした布で顔を拭ってくれる。
彼女の手によって目蓋を開かれ、目を覗き込まれている間にもまた一粒の涙が零れた。
激痛が続く。
光はわずかに感じる。
視界は赤い。
そう伝えると、ネルは俺を仰向けにして濡らした布を目にかぶせた。
「そのまま目を閉じて、少しじっとしてて」
頭の下に枕代わりの何かが差し込まれる。
ネルはクリスに周囲の警戒を指示すると、布を取り払って目蓋に手を乗せた。
すぐに、目の中にじんわりと温かい力を感じる。
「悪いな……」
「いいから黙ってて」
リーダーとしてパーティを牽引するはずが二人の足を引っ張っている。
情けないことだが、今は役立たずに甘んじるほかなかった。
ネルが治療に掛けた時間はおそらく数分。
温かい力が抜けると、彼女はようやく目蓋から指を離した。
「ゆっくり、目を開けてみて。痛かったら無理しなくていい」
「…………」
俺は自分の手のひらで光を遮りながら、ゆっくりと目を開ける。
何度か瞬きして光に慣らし、周辺の景色を見渡した。
「おお……」
痛みや違和感は消え、景色がはっきり見える。
目の端に残った涙を拭うと、それ以上の涙は流れなかった。
「ありがとう、問題なさそうだ。流石だな」
眼球や網膜へのダメージは、ときに深刻な障害となって消えない傷跡を残す。
それを数分で回復させるネルの技量心底驚き、そして感謝した。
「お世辞はいいから、服を脱ぎなさい」
「服……?」
「あんた、竜のブレスが直撃したのよ!?わかってるの!?」
「そうか。そうだった……」
俺の返答が間抜けなせいで、ネルの表情が強張った。
これ以上心配をかけるわけにもいかない。
手早く服を脱ぎ捨て、ネルが敷いた毛布に下着一枚で仰向けになる。
服を脱げと言ったにもかかわらず、ネルが最初に<回復魔法>をかけたのは俺の頭だった。
「いや、頭は――――」
「黙れ」
「…………」
流れる雲をボケッと眺めることしばし。
目の治療に費やしたのと同程度の時間をかけてネルはようやく安心したようで、体の方を触り始めた。
「痛かったら言って」
「ああ、頼む」
こうしてネルの診察を受けるのも何度目になるか。
彼女の腕を信頼しているので、俺は大人しく指示に従った。
詳しく聞いたことはないが、多分医学系の知識もかじっているのだろう。
体に触れて押したり曲げたりしながら、骨、筋肉、関節を確認していく手際は見事なものだ。
「……もういいわ」
今度は早かった。
頭の治療――そこに問題があったとは絶対に認めないが――に費やしたのと同程度の時間で、背中を含めて全身の診察が完了する。
のそのそと服を着る俺を見ながら、ネルはポツリと呟いた。
「あんた、本当に人間よね?」
「治療には感謝はしてるが、いくらなんでも失礼だぞ……」
頭に被った着替えのインナーから頭を出して睨みつけるも、ネルは至って真剣な表情だ。
「普通の人間は、竜のブレスを受けたら助からないの」
「<リジェネレーション>だっけ?回復力はすごいと思うけど、今回は<結界魔法>の方だよね?」
倒木の上に腰掛けて背後をカバーしていたクリスが会話に加わる。
「<結界魔法>なんて、役に立つのは一瞬でしょう」
「お前……、まあそうだけども」
毎日ちまちまと<結界魔法>の訓練を続けている身としては、もう少し言い方に配慮してほしい。
「出してみて」
「<結界魔法>か?」
頷くネルの希望を叶え、一枚出してやった。
「かなり強力に魔力を込めた自慢の逸品だ。これを超える<結界魔法>は――――」
なかなかないぞ、と言う間もなくネルは<結界魔法>を指で突いた。
<結界魔法>は役割を終え、即座に砕け散る。
さながら張り替えたばかりの障子紙を指で突き破るクソガキの如き所業だ。
「おい……」
「なによ、やっぱりダメじゃない」
望んだとおりにしてやったのにネルは不満顔だ。
これは解せない。
「何か、効果が上昇する条件みたいなものがあるのかもしれない。都市に戻ったら、ラウラさんに聞いてみたらどうかな?」
「そうだな。いずれにせよ、ここでゆっくり検証を始めるわけにもいかない」
ラウラはこちらから尋ねていないことをご丁寧に全部教えてくれるほど親切ではない。
むしろスキルの性能に気づかずに四苦八苦する俺を見て笑っていそうだ。
「…………」
本当にそんな気がしてきた。
やはり俺が知らない<結界魔法>の使い方があるのかもしれない。
「ふん……」
ネルの機嫌は直らないままだ。
心配をかけてしまったのは間違いない。
ここは大人しく聞いておくことにしよう。
その後、怒り狂った幼竜が逆襲してくるということもなく、俺たちは順調に下山を続けた。
「そういえば、結局どうやって撃退したんだ?」
「いやあ……、正直に言うと終わったと思ったよ……」
道中、俺が行動不能になった後のことを聞いてみると、クリスが疲労感マシマシな声音で答えた。
まず、俺が囮をやったことでクリスとネルは射線に入らずに済み、ブレスに巻き込まれることはなかったという。
それぞれ別の木陰で竜の隙を窺っていたから、俺がブレスに飲まれるところをはっきりと見たらしい。
二人とも呆然と立ち尽くしたが、ブレスが止んで俺が無事なことを確認すると先に動いたのはネルだった。
ブレス後の硬直で隙だらけになった竜の口内に隠密性に優れた特製毒矢を撃ち込むと、我に返ったクリスも突撃し、ブレスの再発動はないことに賭けて捨て身の連撃を見舞った。
残念ながら目に見えたダメージは与えられなかったらしく、最後は渾身の力で爪を狙ったという。
「その結果が、これか」
俺はポーチから白っぽい欠片を取り出した。
体長が人間と変わらないので爪の大きさも数センチ程度。
竜の爪と言われてイメージするものからは程遠いが、紛れもなく本物だ。
「小さいから、なくさないようにね」
「ああ、もちろんだ。もうブレスに焼かれるのは御免だからな」
「笑い事じゃないでしょう……」
俺とクリスが笑い合う傍ら、ネルが呆れた風で溜息を吐く。
無事に戦いを終えたからこその日常だ。
それを守るために、俺は全力を尽くさなければならない。
「今日は昨夜と同じ場所で野営して、村で一泊して、都市までさらに2日かな?余裕を持って帰れそうだね」
「そのことだが、明日は村から少し離れたところで野営する。今日の野営地も、昨夜とは場所を変えるつもりだ」
クリスとネルが足を止めて振り返る。
しかし、二人ともすぐに意図を理解して表情を引き締めた。
「ああ、そうだ。本拠地に帰るまでが遠征だ」
このフレーズを聞くたび、クリスとネルは屈辱を思い出すだろう。
あのとき、報復を済ませたのは俺だけだった。
クリスとネルの中には、未だやり場のない復讐の念が燻っているはずだ。
竜の爪を握り締め、俺は不敵に笑う。
「行くぞ。行儀の悪い奴らに、『黎明』の力を思い知らせてやろう」
危機を切り抜けたからこそツメは誤らない。
往路が終わり、復路が始まる。
昇級試験は、まだ終わらない。
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