第229話 男子会1
雑念を払うために体を動かし、幾分か落ち着きを取り戻した。
やはり、色々なことがあり過ぎて動揺していたようだ。
集中して取り組むと時間が経つのが早い。
裏庭で素振りを始めてから2時間ほど経った頃、予告どおりクリスが屋敷を訪ねてきた。
「おや、精が出るね。僕も剣を持ってくれば良かったかな」
「いや、そっちはまたの機会にしよう」
「言質は取った、と言ってもいいのかな?」
「残念だが社交辞令だ」
「つれないねえ……」
裏庭に顔を出したクリスをリビングに案内するようフロルに伝え、俺自身は軽くシャワーを浴びて汗を流してからクリスのところへ向かう。
すると――――
「おお……?」
リビングの様子が普段よりずっと豪華になっていた。
単に豪勢な料理が並んでいるということではない。
銀糸で刺繍されたテーブルクロス、色とりどりの花が生けられた花瓶、小さな置物など普段は使用されない小道具が昼食の席を豪華に演出していた。
クリスの前にだけおしぼりとアイスティーが置かれ、フロル自身は壁際に控えて昼食会開始の指示を静かに待っている。
本当は料理を豪華にしてほしいと指示したつもりだったのだが、これはこれで悪くない。
「待たせたな。我が屋敷のもてなしはどうだ、クリス?」
「あ、アレン……」
高級娼館の応接室で人気の娼婦の接待を受けても動じないくせに、どうやら緊張していたらしい。
俺の姿を見るなりクリスは小さく息を吐いた。
クリスに珍しい表情をさせたフロルを誇りに思いながら、クリスの正面である入口から一番奥の指定席に腰を下ろしてフロルに指示を出す。
「フロル、始めてくれ。堅苦しい席じゃないから、準備できている料理は全て並べてしまって構わない」
我が家の支配人は俺の分の飲み物をテーブルに置いてから綺麗に一礼し、厨房へと歩いて行った。
それを見送ってから、クリスに声をかける。
「お前もな、クリス。昨日が尻切れになった詫びも兼ねて、昼食を少し豪華にしてくれと注文したらこうなっただけだ。別に普段どおりでいい」
「え、ああ、うん……」
背後を振り返ってフロルを見送っていたクリスが、我に返ってこちらを振り向いた。
「……そういえば、アレンにフォークを投げつけたネルちゃんがひどい目にあったんだって?」
「なんで今頃……。まあ、そんなこともあったな。てか、お前もその場にいたけどな」
「きっと寝てたんだと思うよ」
「毎度毎度、弱いくせに飲み過ぎだ」
「仕方ないじゃないか。好きなんだから」
フロルがワゴンを押して戻って来たので、会話を中断してそちらの様子を見守った。
テーブルの近くに来たフロルが一礼すると、ワゴンに載せられた食器たちがフワリと浮かび上がる。
水差し、畳まれた綺麗な布、その上に伏せられたグラスが2つ。
ナイフ、スプーン、フォークは俺とクリスの二人分が綺麗な布の上に並べられ、元々テーブルに乗っていた俺たちの飲み物やコースターは正面から横にするりと移動した。
何も動くものがなくなってから、料理の皿が動き出す。
サラダと野菜スープ、フライドポテトと野菜のソテー、ビーフシチューに焼きたてのパン。
小皿に盛りつけられたジャムは俺とクリスの中央に置かれた。
デザートが見当たらないが、これだけ豪華な昼食にデザートが付かないということはないだろうから、後から冷たい物でも出てくるのだろう。
「これは、ハンバーグか?」
ビーフシチューは深皿に盛りつけられ、その中央に鎮座する大きな塊がひとつ。
フロルは小さく頷き、一歩下がって一礼すると壁際に控えた。
「美味そうだ。冷めないうちにいただこう」
「ああ、そうだね」
俺たちは料理の感想を言い合いながら、豪華な昼食に舌鼓を打った。
昼食を終えた屋敷のリビングに弛緩した空気が漂っている。
食後に提供されたアイスクリームを一口含んだクリスが、感嘆を漏らした。
「はあ、フロルちゃん、本当にどうなっているんだろうね。前から思ってたけど、こんなに素晴らしい料理の数々、一体どこで覚えてきたのかな?」
「でかい屋敷だからなあ……。どこかに料理本でもあったんじゃないか?」
適当な相槌を打った俺に、クリスは呆れたように首を振る。
「アレン……。本を読んだだけでこんな料理が作れるなら、帝国中の料理人が失業するよ」
「そんなにか?」
「フロルちゃんのより美味しい料理なんて食べたことがないね。キミはあるのかい?」
「いや、ないが」
「はあ、なんでそんなにあっさりしてるのさ……」
クリスはガックリと項垂れて溜息を吐いた。
フロルの料理の感動を共有できないことが、それほどまでにもどかしいのだろう。
「フロルの能力が高いことは俺もわかってる。わかってるんだが、もう慣れてしまってなあ……」
「この水準に慣れたら、普通の生活には戻れないよ」
「そうだな。その分、よく食べるんだが……」
そんな会話の中で、今日はフロルの食事がまだだったことを思い出した。
俺の右手に紋章をこさえて以来、わざわざ食事の時間を設けなくてもフロルの方で勝手に魔力を吸い上げるようになったが、俺のために日夜頑張ってくれているフロルとの時間はなるべく大切にしたい。
フロルの方も直接吸収するのがお好みの様子だ。
昼食の料理は素晴らしい出来だったことだし、フロルの食事だけお預けもないだろう。
「フロル、もうこっちに来て食事していいぞ」
「食事?」
怪訝な顔のクリスが見守る中、フロルはピョンとソファーに飛び乗ると、いつものように俺の横にくっついた。
「フロルちゃん、どうしたの?」
「食事中だ。妖精のご飯は魔力だからな」
「へえ、食事ってこうやってするんだね。いっぱい食べるのかい?」
「毎日、俺の魔力の7割くらい食べる」
「そう言われてもピンとこないよ」
「あー、ティアの全力の雪玉に換算して…………100個くらいか?」
「うん、なんとなくわかったよ……。あれが100個……それを毎日かあ……」
顔を引きつらせるクリスを横目に幸せそうにしているフロルの髪を撫でた。
「さて、じゃあ、そろそろ本題に入るか。と言っても、何から話せばいいやら……」
視線を宙に彷徨わせていると、正面からムッとした気配が感じられた。
「アレン……何から話せば、じゃないだろう?まず、僕に言うことがあるんじゃないかな?」
「うん?ああ……」
そういえば<フォーシング>のことを黙っていたせいで、クリスがご機嫌斜めだった。
俺のぼけやた反応に、クリスの視線の温度が下がる。
「話すと言ったこと、忘れてないだろうね」
「忘れてた。話したいことが多すぎてなあ……」
「だからって、普通こんな大事なことを忘れるかい?」
「重要度はしっかりと認識したうえで、それより重要な話が2つほどあってな……」
「……やっぱり帰っていいかな?」
「ダメだ。悪いが、今日は何時まででも付き合ってもらう。フロル、食事中に悪いが、クリスにクッキーを大皿で出してやってくれ」
「クッキーさえ置いておけば僕が黙ると思ったら――――」
「いらないのか?」
「いただくよ」
俺とクリスの話し合いが終わったところを見計らって、厨房の方から飛んできた大皿が、テーブルの中央にデンと着地した。
「それじゃあご希望通り、俺のスキルの話から入るか」
「待ちくたびれたよ」
そう言いながらもクリスはクッキーで溶けかけたアイスクリームを掬い、まとめて口の中に放り込んで幸せそうな顔をしている。
俺も真似してみたところ、非常に美味だった。
「言ってなかった理由は2つある。まずスキルの情報が少なかったせいで、俺がスキルを使いこなせていなかったことが大きい」
「……………………ギルドで確認してもらったんじゃないのかい?」
「珍しいスキルだそうで、あまり詳しい説明はもらえなかった。ほとんど手探り状態だったから、性能の把握やら効果の検証やらで時間が掛かったんだ」
「……………………そんなこともあるんだねえ」
「で、もう一つの理由なんだが……。スキル自体が、あまり積極的に使いたくない類のものでな……」
「……………………どういうこと?」
「俺の目標とするところから逸脱しているというか、これでいいのかと思ってしまうというか、つまり――――」
「アレン」
「…………なんだ?」
途中で話を遮られるのはいい気分ではない。
クリスに返す言葉が少しだけ冷たくなる。
しかし、クリスはそれを気に掛ける様子もなく、クッキー片手に自分の要求を宣った。
「アイスクリームがなくなっちゃったんだけど、追加を貰えないかな?」
「…………クリス、お前が言いたいことはよくわかった」
「ありがとう。ところで、その黒い笑みは何かな、アレン?」
クッキーで機嫌を取ろうとしたのは俺だ。
だが、一言話すごとにクッキーを口に放り込み、それを飲み込むまで話さないものだからさっぱり会話が進まない。
スキルの話はともかくこの後の話は真面目に聞いてもらいたかったこともあり、俺はクリスに少しばかりお灸を据えることにした。
「なに、お前は俺の話よりアイスクリームの方に興味があるようだから、早くアイスクリームに集中させてやろうと思ってなあ……」
「……というと?」
「つまり説明を省こうってことだ、クリス。俺の新スキル、『とくと味わえ!!』」
<フォーシング>を発動するときは怒声にのせるのが一番だ。
怒声はそれだけで相手を威圧するものだから、このスキルと相性がいい――――のかどうかは、正直なところよくわからない。
俺がそう感じているだけかもしれないし、ティアが<氷魔法>を発動するときの掛け声のようなものかもしれない。
こういうのは自分の感覚が重要らしいので、俺がそう思っている限り俺にとってはそれが真実だ。
「………………」
<フォーシング>の直撃を受けたクリスは硬直し、目を見開いた。
今は3割くらいの威力だからそこまで酷いことにはならないだろうが、無警戒のところに突然叩き込まれたら流石にショックが大きいか。
クリスが復帰するのを待つ間、クリスの真似をしてクッキーでアイスクリームを掬って口に運んだ。
たしかにクセになる味だ。
クッキー中毒のクリスが夢中になるのもわかる。
クッキーをパクつきながらクリスが再起動するのを待った。
10秒か20秒か経った頃、呆けたように俺を見つめていたクリスが口を開く。
「まだかい?」
「……は?」
クリスの反応は俺にとって完全に予想外のものだった。
「いや、スキルを見せてくれるんじゃないのかい?」
「え、今見せただろ……?」
「……僕はからかわれてるのかな?」
クリスは怒るでも笑うでもなく、微妙な顔をしてクッキーを割る。
まるで本気か冗談か判然としない、中途半端でつまらない話を聞かされたようなリアクションだった。
「……俺が怒鳴った後、何も感じなかったのか?」
「アレンが怒鳴ったことに少し驚いたけど……そういうことじゃないんだよね?」
習得直後ならいざ知らず、今さら発動に失敗することはない。
仮に失敗したとて、失敗したことに気づかないというのも考えにくい。
しかし、クリスの反応を見るとスキルが効いていないとしか思えなかった。
「ちなみに、どんなスキルなんだい?」
「強力な威圧みたいなものだ。今クリスに使ったやつも、体が強張って動きが鈍くなるくらいのをお見舞いしたはずなんだが」
「恐ろしいことをするね」
「驚いてクッキーを取り落とせば、少しは話に集中するかと思ってな」
「そんなもったいない……。ところで、アイスクリームはまだかい?」
全くブレないクリスに追加のアイスクリームを進呈する。
フロルに礼を言いつつ、厨房から飛んできたアイスクリームの器を手に取ったクリスはそれにスプーンを突き立てることはせずそのままテーブルに置いた。
少し溶かした方がクッキーで掬いやすいし滑らかな口当たりになるからだ。
「威力……というか、効果?調整は効くのかい?」
「ああ、今ので3割くらいだ。全力で試してみるか?」
「そうだね。戦術に組み込むためには、まず効果を確認しないと」
普段使いするつもりはない――――という言葉を俺は飲み込んだ。
スキルが発動したことすら認識されないのに、そんなことを言ってもまた微妙な顔をされるのがオチだ。
「わかった。念のため、クッキーは皿に戻してくれ」
「了解」
クリスは両手を空にして、自然体でソファーに背を預けた。
真っすぐに俺を見つめる視線は恐怖よりも興味が勝っており、心なしか口元も緩んでいる。
俺が何を見せようとしているのか、楽しみで仕方ないといった様子だ。
その顔を、是非とも驚愕に変えてやりたい。
「ふう……」
目を閉じ、全身を弛緩させて魔力を練り上げることに集中した。
フロルの食事は依然継続中。
魔力量はおそらく最大時の3割程度だが、俺の魔力量などいつもこんなものだ。
これで十分、効果を発揮するはずなのだ。
目を開け、ゆっくりと口を開く。
意識をクリスに集中し、言葉に魔力を乗せるようなイメージで――――
『ひれ伏せ』
「――――ッ!!」
静かに放った言葉は今度こそクリスにたしかな衝撃を与えた。
何が起きるのか期待する子どものような表情は一瞬で剣士のそれに代わり、存在しない剣の柄を求めて腰へと伸ばした右手が空を切る。
「これでも動けるのか……」
集中を解き、大きく息を吐いた。
全力の<フォーシング>が直撃したはずのクリスだったが、それでも剣を取ろうと行動することができた。
クリスに幾ばくかの衝撃を与えたとはいえ、予想を遥かに下回る効果だ。
「いや、驚いたよ……。戦闘中に突然やられたら、確かに勝敗を決するだけの効果があると思う」
「ちなみにどんな感じだ?」
ハンカチを取り出して汗を拭いながら、クリスは言った。
「なんだろうね、こう……突然何か恐ろしいモノが現れたような、首筋に突然剣を突きつけられたような…………あり得ないのに、今からアレンに殺されるんじゃないかと思って、思わず体が反応したよ」
「なるほど……」
「何かわかったのかい?」
「いや……。ただ、元々俺に対して持っている感情……恐怖心とか警戒心とかのマイナスの感情が、スキルの効果に影響する可能性はあるかもしれない」
スキルの原理なんて俺にはわからない。
ただ、このスキルが恐怖や怯えの感情を対象に植え付けたり、元々対象が持っているそれらの感情を増幅したりするということは<フォーシング>が引き起こす結果から推測できる。
ならば元々対象が持っている感情が親愛や信頼などのプラス方面のものだった場合、恐怖が加算で増えるにしろ乗算で増えるにしろ効果が大きく減じるということはありそうだと思った。
「アレンのことを危険だと思ってない相手には効かないってことかい?」
「あくまで推測だ。できる限りの検証はしたんだが、試行回数に限度があるというか……」
「誰かれ構わず使ったら、酷いことになりそうだね」
「ラウラ曰く、ギャングの親玉とかアンダーグラウンドな連中が極まれに習得するスキルなんだそうだ」
「ああ、なるほど。アレンの目指すところと正反対か」
「そういうことだ。<フォーシング>というスキル自体あまり知られてないみたいだが……ギャング云々を知らなくても、こんなスキルを持ってると知られたらまともな奴は離れていくだろうしな」
「言えてるね」
俺は大きく溜息を吐いた。
一体どうして、よりにもよってこんなスキルを習得してしまったのか。
原因を考えると鬱になるので、大皿からクッキーを一枚摘まんでアイスクリームと一緒に口の中に放り込んだ。
そんな俺の様子を見て、クリスが何やら嬉しそうに微笑んでいる。
「人が本気で項垂れてるってのに……趣味が悪いぞ」
「ああ、ごめんごめん」
謝りながらもクリスの表情は変わらなかった。
しかも、本気で嬉しそうにしているので腹立たしいことこの上ない。
俺の機嫌が徐々に降下し、そろそろクッキーを取り上げようかと思ったところでクリスはようやく弁解を口にした。
「アレンはそのスキルを知られると人が離れるなんて言ったけど、僕らが離れていくとは思わなかったみたいだからさ。ようやく、僕もアレンの仲間として認められたんだと思うと、感慨深くてね」
「…………」
そう言われると、そのとおりだ。
あれだけ秘密主義だったこの俺が、<フォーシング>をクリスに対して秘密にしようなんて思いもしなかった。
本人の言うとおり、クリスは俺にとって完全に身内になっていた。
(いつの間にか俺にも、心から信じられる仲間ができたってことか……)
たしかに感慨深い。
思わず頬が緩んでしまって、これではクリスを笑えない。
「これからもよろしくね、アレン」
「ああ、もちろんだ。こちらこそよろしく頼む、クリス」
屋敷のリビングで笑う二人の男を、小さな家妖精が不思議そうな顔で眺めていた。
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