第215話 閑話:とある少女の物語35
「あっさり捕まると思ってたのに……粘るわね」
魔法と怒声が飛び交い、にわかに騒がしさを増す黄昏時の貧民街。
逃げ回る男に横抱きにされた私の呟きも、別の物音ですぐにかき消される。
意外なことに、男は魔女の配下たちの攻撃を一度も受けることなく逃走を続けていた。
「言っただろ。この程度の連中に捕まるわけ――――ッ」
軽口を叩こうとした男が、その口を閉ざして跳躍する。
次の瞬間、男の足が蹴った場所で<火魔法>が爆ぜた。
「……捕まるわけないだろ」
「わざわざ言い直さなくてもいいでしょうに……」
着地後、何食わぬ顔で続きを宣った男を半眼で見やる。
たしかに、男の身のこなしは目を見張るものがあった。
入り組んだ路地を利用して魔術の射線を制限しつつ、自らは高い身体能力を活かした動きで的を絞らせない。
戦闘中に減らず口を叩くだけのことはある。
しかし――――
「だが、これじゃ埒が明かないな」
男は恨めしそうな声で独り言ちて、空を見上げた。
釣られて私も空を見上げると、そこには<風魔法>で滞空する魔女の配下の姿があった。
「追い方に気を付けろ!人数を分けて回り込め!」
魔女の配下の<風魔法>使いは常に私たちから一定の距離をとりながら、こちらを見失わないように追跡を続けている。
他の配下たちの誘導もしているようで、このままでは完全な真っ暗闇に視界が閉ざされる時間まで延々と追い回されることになりそうだ。
逃げ足に自信があるらしいこの男とて、それまでには力尽きるだろう。
「あいつだけでも撃ち落とせれば、何とかなりそうなんだが」
状況は男の言うとおり。
そして実のところ、それはそこまで難しいことではない。
精密な魔術が苦手な私でも数撃てばそのうち当たるし、逃げ場がないほどに空を赤く染めてもいい。
けれど――――
「……そうね」
男に協力しようとは思えなかった。
なし崩しでこんなことになってはいるけれど、魔女の配下から逃げきりたいという気持ちが湧いてこない。
せめて望み通りの最期を、という最低限の願いすらもどうでも良くなっていた。
男が逃げ切るならそれでもいいし、魔女の配下に捕まっても構わない。
今の私は、男の逃走劇を見守るただの観客だった。
(でも、アクション映画もそろそろ佳境みたい……)
フードを目深に被ったままの男の顔は、黄昏時がもたらす薄暗さも手伝ってよく見えない。
それでも辛うじて窺い知れる男の様子から、少しずつ余裕が失われていることは理解できた。
事実、男の息遣いが徐々に荒くなってきており、あわや直撃かという危ないシーンも増えている。
「置いて行っても恨まないわよ?」
「口、閉じてろ!舌噛んでも文句は聞かな――――ッ!?」
また、間一髪で、直撃を回避する。
しかし――――
「ぐっ!?」
強い衝撃に、男が呻いた。
回避した魔法が路地の壁を破壊し、吹き飛んだ何かの破片が男の背中を打って鈍い音を立てる。
心なしか、先ほどまでの魔法に比べて威力大きくなった気がする。
「あなたが中々消耗しないから、痺れを切らしたかしら」
「くっ……。あいつら、本気じゃなかったのか!?」
「鬼ごっこに慣れてないだけで魔術の方は本職だもの。今までは周囲に被害が出ないように気遣ってただけでしょうね」
「となると、ここからが本気ってことか……」
「そういうこと。さあ、お手並み拝見ね」
げんなりした声を漏らした男に、私は励ましの言葉を贈る。
もうできることはないから私を置いていけという皮肉を込めて。
私の態度に舌打ちを返し、それでも私を抱えたまま男は路地を曲がる。
これまで通ってきた路地よりも、少し幅の広い通りに出た。
「どうせ貧民街だ!!多少の被害は許容する!!…………今だ、撃て!!」
ずいぶんと暗くなってきた空に、怒声が響く。
直後、上手く背後に陣取った魔女の配下たちから、いくつもの魔術が放たれた。
紙一重で回避したそれらが私たちの前方で爆ぜ、巻き上がる土煙が視界を塞ぐ。
男は再び舌打ちし、跳躍。
しかし、その動きは読まれていた。
「バカが!!喰らえ!!」
「ッ、危ない!」
振り返ると、誘導役の<風魔法>使いが放った強力な空気弾がこちらに迫っていた。
しかも、直接こちらを狙うのではなく、男の着地点を狙っての攻撃だ。
咄嗟に声を上げたけれど、すでに落下する以外の選択肢は奪われた後。
私たちは<風魔法>の風圧と土煙に飲み込まれた。
「ぐっ……」
「ちょっと、大丈夫!?」
私を庇おうとして、かなり無理な体勢の着地になったようだ。
近くで窓が割れる音が派手に聞こえたくらいだから、男が受けた衝撃も相当なものだろう。
それでも、男は再び私を抱えてよろよろと立ち上がる。
しかし、足にダメージがいったのか、ふらついて左手にある石壁に寄り掛かってしまった。
「とどめだ!!撃てぇ!!」
「待っ――――」
私が止める間もなく、二方向から<火魔法>が放たれた。
極めて高い火属性抵抗力を持つ私にとっては脅威にもならない火球でも、この男にとってはそうではない。
直撃すれば間違いなく大火傷。
致命傷にだってなり得る。
「あ……」
私の防御手段は、全て私自身の魔術防御が前提となっているから使えない。
男に抱かれて体の自由が利かない状態では、何もかも手遅れだった。
(こんなことになるなら……)
多少強引にでもこの男から離れるべきだった。
後悔しても遅いとわかっているけれど、後悔せずにはいられない。
「――――ッ」
もう、私にできるのは目を閉じることだけ。
この後訪れる光景――――男が炎に焼かれる未来から、目を背けることだけだった。
火球が着弾する。
その数瞬前――――
「――――なんて、な」
「……えっ?」
男の楽しげな声が聞こえた。
目を開けると、男はしっかりと私を抱えたまま、自分の足で地面を踏みしめている。
2つの火球は男が背にしていた石壁に吸い込まれ、それを砕いただけ。
男は火球の殺傷範囲から余裕をもって逃れていた。
そして、それだけではない。
「敵襲、敵襲!アジトに殴り込みだ!!」
突然、男が耳を塞ぎたくなるほどの大声で叫びだした。
「魔法使いが複数いるぞ!空に浮いてる奴がリーダーだ!気合入れろっ!!」
「お前、何を――――」
動揺する魔女の配下たちを尻目に、男は跳躍する。
これまでよりもさらに高く跳んだ男は、塀を足場に民家の屋上に着地し、身を隠すように姿勢を低くする。
すると――――
「何事だ!?」
「くそっ、やりやがったな!?どこのどいつだ!」
火球が直撃した建物から、どうみても堅気には見えないガラの悪い男たちが次々と現れた。
彼らが自分の住処を壊した敵を探そうと周囲を見渡せば、そこにいるのは魔女の配下たち。
「そろいのローブだ!怪しい奴らめ!!」
「どこの手のもんだ、てめぇら!」
「ふざけた真似しやがって!ぶっ殺してやる!!」
剣、斧、棍棒――――ギャングたちは、各々手にした武器で手近な相手に襲い掛かる。
建物の中からは、空に浮かぶ<風魔法>使いに向かって矢も放たれ始めた。
「待て!私たちは――――」
「言い訳なんざ聞くか!死ね!!」
「くそっ!汚らしいギャング共が、邪魔をするなっ!!」
魔女の配下たちの反撃が、ギャングの一人を打ち倒す。
それを目の当たりにしたギャングの男たちは、さらに血気盛んに魔女の配下たちに襲い掛かる。
こうなると、もう話し合いで事態を収束させることは不可能だ。
「うまくいったな。今のうちにお暇しよう」
この状況を引き起こした犯人は満足げに笑うと、民家の屋上から乱戦が繰り広げられる通りの反対側に飛び降りて、走り出す。
その動きは軽快で、無理している気配は全くない。
雰囲気には余裕が戻り、先ほどの苦しそうな様子が嘘のようだった。
「まさか、苦しそうにしてたのは……」
「なかなかの演技だったろ?」
男は作戦の成功を得意げに誇った。
きっとフードの中はドヤ顔をしているに違いない。
普段ならこういう態度の人を褒めたりはしないけれど、ここまで鮮やかに逃走を成功させたのだから認めないわけにはいかなかった。
「まあ、そうね。でも、一体どうやって――――」
衝撃に耐えたのか、と男に尋ねようとしたときだった。
通りがかった細い路地同士が交差する十字路、その死角から――――
「――――ッ!」
持ち前の魔術で戦闘から離脱し、ここまで先回りしたのだろう。
念のために空を警戒していた私の虚を突いて、路地の死角で伏せていた<風魔法>使いが飛び出してきた。
表情は怒りで歪み、鋭い視線は殺意を隠そうともしない。
こちらに向けてかざした手には、今まさに放たれようとしている大きな風弾があった。
「くたばれ!!」
勝利を確信して愉悦が混じる声。
<風魔法>使いは目前。
零距離から放たれる攻撃。
回避は不可能。
そのはずなのに。
「お前がな」
ガラスが砕けるような音が耳に届いた。
直撃して私たちを吹き飛ばすはずの<風魔法>は役目を果たすことなく霧散し、驚愕して立ち尽くす<風魔法>使いだけがその場に残される。
「惜しかったな」
男に容赦ない蹴りを叩き込まれ、路地を転がる<風魔法>使い。
聞き取れない何かを呻いていたそれは、気絶したのかすぐに動かなくなった。
<風魔法>使いがもう立ち上がれないことを確認すると、男は私を抱いたまま何事もなかったかのように歩き出す。
「…………」
しばしの間、私は男の腕の中で呆然としていた。
本当にアクション映画のクライマックスかと思うほどの強烈な驚きの連続。
頭が思考を放棄するのも、今回ばかりは仕方がないだろう。
「なに、そう難しいことじゃない」
男の声で、私は我に返る。
私には男が何を言っているのかわからなかった。
少し遅れて私の問いに答えようとしているのだと気づき、その先を求めて男を見上げる。
男は少し焦らすように間を置き、やがてその口を開く。
「魔法を使えるのは奴らだけじゃない」
それだけのことだ。
そう言って、男は得意げに笑った。
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