第213話 閑話:とある少女の物語33
side:リリー・エーレンベルク
魔女が放った追手からの逃亡生活は困難を極めた。
魔女は私を殺したいわけではないだろうし、私を仕留めることができる魔術師はそう多くない。
一時期は頻繁に襲い掛かってきた冒険者も私の敵ではなく、容赦なく撃退しているとすぐに襲ってこなくなった。
しかし、短いときは2日、長くとも7日と置かずに居場所を捕捉され、互いに魔術を撃ち合いながらの鬼ごっこを強制されれば精神は消耗するし苛立ちも募る。
こちらが消耗しきったところで魔女か姉弟子が出張ってくれば勝ち目はない。
そんな状況に追い込まれることを避けるため、私は常に窮屈な戦い方を迫られた。
そもそも、なぜ魔女はこちらをこう何度も捕捉することができるのか。
特徴的な深紅の髪は、魔道具を使って目立たない色に変えている。
魔女との通信手段である首飾りは、レオナのおかげで位置情報を捕捉されることがわかったので、帝都の裏路地に捨ててきた。
人口数百万人の帝国全土から、たった一人の人間を見つけ出すことがいかに困難であるかは、私が誰よりも知っている。
だから最初は単純に運が悪いのかと思っていたけれど、魔女の配下に発見された回数が10回を超えると、流石に何かがおかしいと疑わなければならなくなった。
移動手段を変え、髪の色を変え、名を変えた。
それでも魔女の配下は難なく私を見つけ出す。
逃亡生活に精神を削られ続けた末、帝都に捨ててきた首飾りだけでなく、杖やローブも魔女からの貰い物だと気づいたのは、つい先日のことだった。
私は賭けに出た。
魔女が私の装備にも追跡のための魔術を用いていたならば、所持品の大半を諦めることで、追跡を振り切ることができるかもしれない。
私は帝都から持ち出した全ての持ち物を宿に置いたまま、行先も確認せずに適当な魔導馬車に飛び乗った。
その結果――――私は気づけば、避け続けていたはずの辺境都市を歩いていた。
魔女からの追手の気配はない。
ひとまず、私は賭けに勝ったようだ。
荷物は少々のお金と最低限の消耗品のみ。
外套も羽織らず、杖とローブすら持っていない。
平凡な服に身を包み髪の色を変えた私は、どこから見てもただの町娘だった。
(顔自体が変わるわけじゃないから、見る人が見れば気づくだろうけど……)
辺境都市方面で活動したことがない私の顔を知る人などいないだろう。
あるいは、ほかの地方では知れ渡っているはずの名前すら、ほとんど知られていないかもしれない。
「すぅ……はぁ……」
久々の解放感に、背伸びしながら空を見上げる。
空模様は雲と晴れ間が半々くらい。
太陽は雲に隠れているけれど、それでも風は暖かい。
王都を飛び出してから、はや数か月。
気づけば世界は春を迎えていた。
ぼーっとしながら気の向くままに歩き続ける。
やはり体が覚えているのか、私はいつのまにか見覚えのある路地を歩いていた。
ほかの区域に比べて明らかに活気の少ない南東区域でも、大通りからさほど離れていないこの場所なら、大通りの活気が染みこむように薄っすらと伝わってくる。
しかし、そんな空気とは対照的に、目の前の建物からは何の物音も聞こえてはこなかった。
「はあ……、そっか……」
最後に訪れてから4年ぶりの帰郷。
しかし、私を出迎える者はいない。
それはそうだろう。
庭は膝丈の雑草で荒れ放題、窓はほとんど割られ、玄関の両開きの扉は片方だけ外れて庭の雑草に埋もれている。
幼少期を過ごした孤児院がすでに存在していないということは、その外観から明らかだった。
(建物の劣化が進んでる。こうなったのは、最近じゃなさそうね……)
辛うじて雑草に負けずにいる石畳の上を歩き、孤児院の中に入る。
多くの子供たちで賑わっていた食堂、講堂、子供部屋――――建物の中を歩き回ると、かつて私の部屋だった場所にたどり着いた。
半開きになっている扉を押し開けて中を覗いてみると、割れた酒瓶が3本、埃を被って転がっている。
それ以上見るべきものもなく、廊下――――の先のとある扉に視線を向ける。
今しがた覗き込んだ元自室から3部屋ほど離れたところにある部屋の扉。
そのまま廊下を進み、閉め切られた扉の前で足を止める。
ここは私がこの孤児院から去った時点で、彼の部屋だった場所だ。
埃が手につかないようハンカチを手に、私はゆっくりと扉を押し開ける。
「………………」
部屋の中には、何もなかった。
強いて他の部屋との違いを挙げるなら、窓が割られていないこと。
密閉されていたからか埃の層が薄く、他の場所と比べると幾分綺麗な気がすること。
精々その程度だ。
何もない部屋から、彼の存在を感じることなどできるはずもなかった。
建物の中を一周すると、最後に裏口から裏庭に出た。
裏庭は建物の北側に位置しており、日が当たりにくいからか、正面よりも雑草は少なかった。
(ここで、彼と一緒に魔法の練習をしてたんだっけ……)
魔法の扱いが下手だった私は、裏庭の土や草を焼き焦がしてしまうこともあった。
当時のことを思い出し、どの辺りだったかと裏庭に視線を走らせる。
痕跡を見つけようとしたけれど、それらしき跡はどこにも残っていない。
「私は、何を期待してたのかしら……」
自嘲するように、ぽつりと呟く。
私と彼がここに居た痕跡が、どこにも見つからない。
あれから何年も経っているのだから、当たり前のことだ。
しかし、そんな当たり前の現実が――――
「…………」
少しだけ、歩き疲れた。
幼い頃、疲れたときは孤児院の壁に背を預けて休んでいたことを思い出し、記憶にある辺りに視線をやる。
あまり綺麗な状態ではなかったけれど、大通りの喫茶店まで歩くのも億劫だった。
昔のようにその場所に座り込む。
疲れたから、少し休憩だ。
「…………」
何も考えず、何もない中空に視線を彷徨わせる。
しばらくぼーっとしていると、湿った風が頬を撫でた。
(雨が、降りそうね……)
この地域は、あまり雨が降らない。
毎年この時期にまとまった量の雨が降る以外は、軽い雨が年に数回といったところだ。
それでいて隣接する大河のおかげで水不足になることもないのだから、この都市は恵まれている。
(ああ、今日の宿を探さないと……)
もう、日が傾き始めている。
そろそろ宿を探さないと、良い宿は取れなくなってしまうかもしれない。
もう少し休んで、疲れが取れたら。
「…………」
ここには、何もない。
何もすることがない。
休憩はしたいけれど、暇を持て余してしまう。
こんなところでやれることなんて、考え事くらいだ。
「これから、どうしようかしら……」
ぽつり、呟く。
呟いてから、その言葉の意味を理解して――――私はおかしくなってしまった。
「ははっ……」
思わず笑いがこぼれる。
本当におかしい。
私は今、これからどうしようかなどと考えてしまったのだ。
魔女からの追跡を振り切った今こそ、彼を探すべきなのに。
彼を探すのを忘れたことなど、今までなかったのに。
「ふふふっ……」
あの子の言ったとおりだ。
私の心は、もう彼を探そうとはしていない。
いや、正確には少し違う。
「ふふ……、ふ…………ッ」
一度それを向き合ってしまえば、もう自分を騙すことはできなかった。
探しても探しても、もはや彼を見つけ出すことができると思えないのだ。
私にはもう、彼が生きていると信じることができないのだ。
頬に何かが当たる感触に、空を見上げた。
どんよりとした空から、パラパラと雨粒が降り注ぐ。
それが強い雨となるまで、時間はかからなかった。
「――――――」
世界を打ち据えるような強い雨音。
それは先ほどまで微かに聞こえていた人の営みも、小鳥の鳴き声も、何もかもをかき消してしまう。
残酷な世界に取り残された私の慟哭は、誰にも届かなかった。
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