第212話 閑話:とある兄妹の物語4
差し迫った危機を前に、レオの計画は一旦延期となった。
ほかの仲間たちにデニスの話の詳細は告げず、僕たちが何者かに狙われていることだけを伝え、明日に予定していた盗みも中止する。
ヘンリックが見つけた次のアジトへの移転を夜闇に乗じて前倒しで実行し、新たなアジトに身を隠した。
デニスは明日の昼までは待つと言った。
約束の場所に僕とレオが現れなければ、彼は僕たちを探そうとするはずだ。
一度見つかってしまえば僕たちに抗う術はない。
彼の提案を蹴った僕たちがどうなるのかはわからないが、ローザやビアンカたちは連れて行かれてしまうだろう。
万が一にも追っ手と鉢合わせすることがないように、食料は可能な限り節約してなるべく長期間息を潜める。
その数日の間に追手の数や捜索の頻度からデニスとその背後にいる組織の本気度を探り、今後の身の振り方についてレオともう一度話し合う。
そんな急ごしらえの計画が甘すぎるものだと気づいたときには、全てが手遅れだった。
「よう、昨日ぶりだな」
一夜明け、約束の時間を過ぎてほどなくして、僕たちが潜伏していたアジトにデニスが現れた。
提案を蹴った僕たちに恨みがましい視線を向けるでもない。
世間話をするような気軽さで、その男は笑った。
「に、逃げ――――」
ビアンカたちを逃がそうとしたレオが、その言葉を言い切ることもできずに蹴り飛ばされる。
石壁に叩きつけられたレオは、何事か呻いてそのまま動かなくなった。
「ああ、多分死んでねえと思うから安心しろ。運が悪かったら知らんが」
デニスは軽薄に笑った。
その表情が、レオが死んでいても自分は何も困らないのだと雄弁に物語っている。
そのことに文句を言うつもりはない。
話し合いを蹴ったのは僕たちなのだから、次に会えばこうなるのはわかっていた。
問題は、ここを発見されるのが早すぎるということだ。
「なぜこの場所がわかったのか」
そう口にしたのはデニスだった。
心臓を鷲掴みにされるような恐怖に襲われ、体が硬直する。
「答えは簡単だ。お前らを見張らせてた。移動するところをバッチリ見てたんだから、ここがわかるのも当然だ」
デニスが片手を挙げるとそれが合図だったのか、さらに二人の男が現れた。
どちらも首から冒険者カードを下げており、それぞれ腰に剣を差している。
デニスひとりでも厳しいというのに、戦力差は絶望的なまでに広がってしまった。
「お前がどういう動きをするのか少しばかり興味があったんだが……、やっぱりお前はただのガキだな。お前にこいつらを守る力はない。死にたくなかったら諦めな」
デニスの指示に従い、冒険者二人が仲間に掴みかかる。
ヴァネサとヴェラの幼い姉妹がロクな抵抗もできずに捕まったのを皮切りに、ビアンカとロミルダもそれぞれ腕を掴まれた。
しかし、抵抗を諦めて大人しくしているビアンカと対照的に、ロミルダは激しく抵抗した。
「いや、離して!」
「大人しくしろ。どうせ捕まるんだ、痛い目に合いたくはないだろ?」
「やだ、やだやだ!助けて、ラルフ!」
そう言って、彼女は必死に手を伸ばす。
その手を掴まなければ。
ロミルダを助けなければ。
そう思う一方で、僕の足は動かない。
『俺たちは、もう少し身軽にならなきゃ生きていけないんだ』
レオの言葉が頭に浮かび、ピクリともしないレオに目をやった。
(デニスの言う通り、僕に仲間を守る力はないのかもしれない。でも……!)
それでも、僕には守らなければいけないものがある。
絶対に切り捨てられない大切な妹がいる。
「ラルフ!!」
「おう?なんだ、女を見捨てて一人で逃げる気か?」
悲痛な叫びと嘲るような声に耳を塞ぎ、僕は皆に背を向けた。
もちろん、ひとりで逃げるためではない。
そのまま僕の意図に気づかずにいてくれればよかったのに、ヴァネサとヴェラを捕まえていた冒険者が余計なことに気づいてしまった。
「デニスさん、女の方が一人足りませんぜ」
「おい、マジかよ。もしかして、そっちが本命か」
奥の部屋で休んでいたローザは事態を正確に把握しており、僕らは最低限の荷物を抱えて裏口から飛び出した。
あの部屋で僕を無力化するつもりだったのか。
それとも部屋に踏み込まれれば観念すると思ったのか。
幸い裏口に手は回っていなかった。
「ローザ、こっち!!」
妹の手を引き、路地裏を駆け抜ける。
しかし、ローザの体調を考えればこのまま遠くまで逃げることはできなかった。
「ローザはしばらくここに隠れて。日が落ちたら、孤児院で合流しよう」
「うん……」
隠れてもいずれ見つかる。
ローザを守るためには僕が囮になる必要があった。
不安げなローザに精一杯の強がりを見せ、手近な廃屋に隠してから再び路地を駆ける。
ゆっくりと追ってきたデニスの前に、自ら姿を現した。
「おお、おかえり。大人しく捕まる気になった……って、おい!?」
捕まる気はないし、戦って勝てる気もしない。
ならば、取るべき方法はひとつ。
逃げることだ。
「かくれんぼの次は鬼ごっこかよ。もう少し利口だと思ったが……。もう一人か二人連れて来るんだった」
ぼやきながら足を動かすデニスを尻目に、僕はローザから離れるように走り続けた。
日が傾き、空が宵闇に侵されるまで。
息が切れても、胸が爆発しそうになっても、僕は走り続けた。
どこからか監視されているような錯覚に怯えながらも、かまわず逃げ続けた。
そして僕は、自らの未来を懸けた鬼ごっこに――――勝った。
「はあっ……はあっ……」
日が落ちると、街灯がない南東区域は闇に閉ざされる。
僕は小汚い路地裏に仰向けに寝転がり、荒い息を少しずつ整えた。
(逃げきった……!)
途中飛び道具を使われることもあって無傷ではないけれど、早急に手当が必要なほど酷いケガはない。
自身の状態を確認すると、僕はゆっくりと体を起こした。
あまり遅くなると、ローザが心配して孤児院から出てきてしまうかもしれない。
棒のようになって上手く動かない足に力を込めるように拳を打ち付けて立ち上がると、慎重に周囲の様子を窺いながら孤児院へと急いだ。
夜の帳が下りて周囲が薄暗くなっても、孤児院にたどり着くのは容易だった。
久しぶりに訪れた孤児院は廃墟のように荒れ果て、生活感は消え去っている。
数か月前まで孤児たちがここで生活していたなんて、僕自身が信じられないほどだ。
「ふう……」
少しだけ感じた寂しさを振り払うように、壊された門扉を踏み越える。
デニスたちは撒いたけれど、大声を出すのが得策とは思えない。
安全にローザと合流するためには、孤児院の中を歩いて一部屋ずつ小声で呼びかけるのがいいだろう。
照明もない孤児院内は外よりもさらに暗く、自分の足音以外の物音はなかった。
これだけ静かなら、僕の足音に反応してローザから顔を出してくれるかもしれない。
そんな考えが頭の中に浮かんで間もなく、向かって前方から物音が聞こえた。
ローザだろうか。
物音がした方へ呼びかけようとして、それは叶わなかった。
「がっ……ぁ……!」
右肩、次いで背中を強い衝撃が襲い、僕は抵抗もできず孤児院の廊下を転がった。
つい先ほどまで無音だった空間に響く足音は複数。
いつのまにか、僕は逃げ道を失っていた。
「やあ、さっきぶりだな」
「デ、ニス……!」
痛む右肩を押さえ、おぼろげに浮かぶ人影を睨みつけた。
睨みつけることしか、できなかった。
「そう怒るなよ。おい、灯りをつけろ。見せてやれ」
「へい」
デニスの配下が灯した光に目がくらむ。
数秒後に目が慣れると、そこにいたのはデニスの配下だけではなかった。
「ローザ!!」
猿ぐつわを噛まされたローザが、手足を縛られて床に転がされた。
こちらを向けられた顔には濃い疲労が浮かび、その瞳は諦観に染まっている。
「これで理解できただろ?」
聞き分けのない幼子を諭すように、デニスは告げる。
何か言い返そうと開いた口から、ただ呻き声が漏れた。
(惨めだ……)
手を汚した。
仲間を捨てた。
それでもローザだけは守りたかった。
けれど――――
「お前は無力だ。諦めろ」
拳を握りしめても、そこに<火魔法>が生じるわけではない。
この絶望的な状況をひっくり返す秘策が頭に浮かぶわけでもない。
デニスの言うとおりだ。
僕は無力で、特別な力なんて何もなくて、たった一人の妹を守ることすらできないのだ。
そんな僕にできるのは――――ローザを見捨てないことだけだ。
「そうか……。なら、仕方ないな」
震える手でナイフを抜いた僕を見下ろして、デニスは無感情に呟いた。
僕を見据える瞳から、垣間見えた僅かな憐憫も消え去った。
僕がデニスに勝つ手段はない。
きっと、僕はここで死ぬ。
それでもローザを守るという意思だけは、最期の瞬間まで貫いてみせる。
僕は母のように、嘘吐きにはならない。
(ごめん、ローザ……)
心の中で無力を詫び、デニスを睨みつける。
次の瞬間、僕は目の前の男に斬りかかり、何も為せずに命を散らすことになる。
暗闇から声が聞こえたのは、そのときだった。
「力が欲しい?」
ハッとして、僕は周囲を見回した。
デニスも得物を手にしながら注意が僕から逸れているところを見ると、声が聞こえたのは僕だけじゃなさそうだ。
「誰だ、どこにいる……?」
「どうでもいいじゃないか。そんなことより、力が欲しいなら僕と契約しない?」
僕の問いかけに応えもせず、暗闇に潜む何かは僕に契約を持ち掛けた。
「おい、やめておけ。これはロクなもんじゃ――――」
「する……契約する!」
デニスの制止に被せるように、僕は何かの問いに応えた。
尊敬する兄ほどに聡明ではない僕にだって、契約書を読まずにサインすることの意味くらい理解できる。
けれど、迷っている時間はない。
ローザを守るためなら、対価として何を要求されても構わなかった。
僕は覚悟を決め、辺りを包み込む闇に向かって自ら手を伸ばした。
「そう来なくっちゃ!」
「バカが!」
正反対の声が響き、僕の中に何かが入ってくるのとほぼ同時、デニスは剣を構え直し――――逡巡の後に背後に飛び退った。
「チッ!撤退だ!」
「え、デニスさん!?」
「急げ!そいつは捨ててけ!」
デニスが声を荒げると、配下とともに夜闇へと消える。
あまりにも唐突な展開に思考が追い付かず、僕はその場に立ち尽くした。
しばらくの間、耳をそばだてても彼らが戻ってくる気配はなった。
「助かった、のか……?」
「そうみたいだね」
危機は去った。
しかし、安堵するのはまだ早い。
僕はじりじりと移動し、ローザを庇うように位置取ると周囲を注意深く観察した。
「そう警戒しないでくれよ。キミは僕の契約者じゃないか」
「何もわからない相手を警戒しないのは無理だろう?」
「僕は闇妖精だ。名前はないから好きなように呼んでほしい。キミは僕と相性が良さそうだから、つい声をかけてしまったんだ」
「闇妖精……?」
妖精という存在のことは知っていても、その知識は曖昧だ。
声の主を信じていいものか判断できず今更ながら迷っていると、僕の考えを見透かすように闇が笑う。
「キミにとって重要なのはそこじゃないだろう?」
「なに……?」
「ラルフ、キミはもう無力な子どもじゃない。キミは、その子を守るための力を手に入れたんだ」
「僕が、力を……?」
そうだった。
デニスがここから逃げ去ったことは紛れもない事実。
まだ実感は湧かないけれど、僕は間違いなくデニスを退けるだけの力を手にしたのだ。
これは僕が望んで手に入れた力だ。
たとえ得体の知れないものでも、手放す気はない。
拳を握り締めて決意を固めると、体の中に入り込んだ何かが少しだけ体に馴染んだ気がした。
何を言わずとも僕が力を受け入れたことを察したようで、闇妖精は上機嫌に言う。
「今すぐ信じてくれとは言わないよ。信頼というのは、ゆっくり積み上げるものだからね。まずはその子を守るために、手に入れた力に慣れるといい。僕がサポートするから、安心してその力を振るうといいよ」
「ああ、わかっタ」
僕は闇妖精に相槌を打ちながらローザの拘束を解き、ぐったりした彼女を抱きかかえた。
ここはデニスに知られているから、速やかにここから移動する必要がある。
孤児院を出ると、外は真っ暗になっていた。
灯りもないのにはっきりと映る景色を眺め、しっかりと地面を踏みしめて歩き出す。
「僕がローザを守るンダ……!」
決意を繰り返す僕の傍らで、闇が笑った気がした。
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