第211話 閑話:とある兄妹の物語3
「やあ、待ってたぞ」
アジトに戻ると、大部屋の片隅で見知らぬ男が壁に背を預けていた。
チンピラのような風体をしたその男が、酒瓶を片手ににやりと笑う。
「キミがラルフ君?それともレオ君かな?」
「お前、何しにきた!!」
男の反対側に固まって怯えているロミルダたちを背に庇って、僕は腰に差していた刃物を抜いた。
忌々しいことに、僕の様子を見た男は笑みをより深いものにする。
「おいおい、そんな短いナイフでどうするつもりだ。こちとらC級冒険者だぞ?」
「ッ!!」
そう言って、男は首に下げたカードを取り出して見せつける。
(C級冒険者……。なんで、こんなところに!)
それは冒険者として一人前と言われるランクだと、アレックス兄に聞いたことがある。
つまり、この男は冒険者として食っていけるくらいに強いということだ。
僕とレオがナイフを握ったところで、どうにかなる相手ではない。
「まあまあ、ちょっと落ち着きなって。本当に、今日は話し合いをしに来ただけなんだからさ。あ、俺はデニスってんだ。キミの名前を教えてくれるかい?」
「…………俺はラルフだ」
「よろしくな、ラルフ君」
そのとき、ちょうどレオがビアンカを伴ってアジトにたどり着いた。
「そうすると、そっちがレオ君かな?ちょっとお前さんたちに話があるんだけど…………怖がられてるみたいだから、外に行こうか」
「ああ、わかった……」
レオに身振りで男に従うように伝え、刃物を腰に差し込む。
堂々と背中をさらしてアジトの外へ向かうデニスを苦々しく思いながら、僕たちも彼の後を続いた。
「いきなり驚かせてごめんな。ちょっと急ぎだったからさあ」
アジトが見えるものの、アジトに声が届かない程度に離れた場所で、僕たちは男と向かい合った。
ヘラヘラとしていてつかみどころのない男に、僕たちの警戒心は高まるばかりだ。
「警戒するのも仕方ないが、今だけ信用して話を聞いてくれないか?今日はお前さんたちの仲間を傷つけたり攫ったりするつもりはない。その気があるなら、今頃手遅れになってるはずさ」
「…………わかった」
たしかに、男はロミルダたちに危害は加えていないようだった。
今日はという言葉は気になるが、話を進める以外に選択肢はなさそうだ。
「それで、話ってなんだ?」
「簡単なことさ。お前さんたちがやってる盗み、もうやめてもらえないか?」
「――――ッ!?」
ただでさえ緊迫した場に、更なる緊張が走った。
隣に立つレオなど、すでに顔色が真っ青だ。
「慌てたって良いことなんかないんだから、落ち着きなって。さっきも言ったろ?今日は話し合いに来たんだって」
デニスの態度は変わらない。
相変わらずヘラヘラと笑うだけだった。
「レオ、腹をくくれ。どうせこの男がその気になったら、俺たちじゃどうにもならない」
「ラルフ……」
「そうそう、それでいいんだよ。せっかくの話し合いの機会を棒に振るのはもったいない」
「……それで、あんたはなんでそんなことを言いに来た?」
デニスにこれ以上ペースを握られたくない。
そういう思いで、こちらから質問を投げかけることにした。
「いいね。話し合うときに互いの事情を知ろうとすることは、大切なことだ」
「いいから答えてくれ」
「そう焦るなって。そうだなあ……」
デニスは顎に手をやりながら、言葉を選ぶようにして話し出した。
「俺の本職は、まあ、さっき見せたとおり冒険者だ。ただ、20年以上も冒険者やってるといろんなところに顔が利くようになってなあ……。立場とか、面子とか、いろんな柵のせいで素直に話し合えない人たちの橋渡しをやったりすることもあるわけさ。言ってみれば、俺は仲介役だ」
「仲介役……。誰かが俺たちと話し合いたくて、代わりにデニスを派遣したってことか?」
「まあ、大体そんな感じだな。飲み込みが早くて助かるよ」
「一体誰が――――」
「それは言えねえ」
デニスは一瞬だけ真顔になると、再びヘラヘラとして笑みを浮かべた。
「言ったろ?素直に話し合えないから、俺が来てるんだ。話をしてれば、ラルフ君が聞きたいことは理解できる。もし理解できないときは……それまでのことだ」
手にした酒瓶を傾けて美味そうに酒を飲む。
空になった瓶を道端に放り捨て、デニスは続けた。
「俺が話し合いに来た理由の話だったな。お前さん、この辺りが……というか、南東区域が素行の悪い奴らのたまり場だってことは知ってるな?」
「ああ。それがどうした?」
「実はなあ、その素行の悪い奴らにもいろいろ種類があってな。なんというか……そう、同じように見えるが、やっちゃいけないことを弁えている奴らもいるわけだ」
「やっちゃいけないこと……?」
「ああ、やっちゃいけないことだ。そして残念だが、お前たちはやっちゃいけないことをやっちまってる側だ」
「そんな!!俺たちが盗んだものなんて、ほんの少しの食料か、精々銀貨の数枚だぞ!?」
デニスの言葉がよほどショックだったのか、レオが動揺して盗みを自白した。
得体の知れない相手に対してあまりにも迂闊な言動だが、デニスはレオの自白など気にする素振りも見せず話を進めた。
「被害の多寡じゃないんだよなあ……。まあ、その辺含めて、お前さんたちはこの辺りで犯罪者として生きていくにも、物を知らなすぎるんだ」
「犯罪者……」
「なんだ?まさか散々盗みを働いておいて、まだ自分が清廉潔白だと思ってるわけじゃあないんだろ?」
「俺たちだって、好きでやってるわけじゃない」
震えるレオに代わってデニスに言い返す。
しかし、その言葉をこそデニスは待っていたようだ。
「そうだろう、そうだろう!お前さんたちは孤児院が潰れちまったせいで行き場がなくて、仕方なく盗みに手を染めただけだ。だから、俺はお前さんたちがもう盗みなんてしなくていいように、仕事を紹介しに来たんだよ」
「本当か!?」
レオがデニスの話に即座に食いついた。
俺もレオほど表情には出さないが、もしかしたら状況が好転するのかもしれないと思い、内心で期待が高まる。
だから――――
「ああ、本当だぞ。さっき全員の顔見てきたが、女の子は全員娼館で引き取ってもらえるだけの器量がある。お前さんたちはこの都市で一番大きな組織に紹介してやる。冒険者の方が良ければ、ギルドの登録料くらいは援助してやるさ」
その仕事の内容を聞いたとき、落胆はあまりに大きかった。
「は……?娼館……?」
「ああ、そうだ。まあ、年齢的に最初は下働きで、客を取るのは成人したらだな」
「ふ……ふざ……っ!」
「ふざけてなんかないぞ?これは今のお前さんたちが、真っ当に生きていくために最善の提案だ。最初は辛いかもしれんが、慣れたら楽なもんさ。第一お前さんたちだって、こんな生活をいつまでも続けられると思っちゃいないだろう?盗みがバレて捕まるかもしれないし、チンピラに殺されるかもしれない。女の子たちだって、そんな死に方は嫌に決まってる。そうなるよりは、娼館で働く方がずっと幸せだと思わないか?」
「そ、れは……」
レオは今にも泣きそうな顔で俯いた。
表情は繕っているが、内心は僕も似たようなものだ。
とても話を続けられる心境ではなかった。
「うーん、いきなりすぎたか……?あいつならもう少し……まあ仕方ない、話は以上だ。話を受ける気があるなら、明日の昼の鐘が鳴る頃に……あー、そうさなあ、久しぶりに“巣”で飲むか。南通りにある冒険者ギルドの隣の酒場だ。そこで飲んでるから顔を出せ。それじゃあな」
まるで世間話をした後のように気軽な挨拶を残して、デニスはフラフラと立ち去った。
いや、思い返せば男の態度は終始軽薄なものだった。
今ここで行われた救いようのない話は、何かの間違いだったかもしれない――――そんな甘い幻想に縋りたくなってしまうほどに。
でも、これは現実だ。
彼にとってはこんな話も世間話と変わらないというだけのことなのだろう。
彼がいなくなった後も拠点に戻る気にはなれず、レオと二人でその場で佇んでいた。
「南東区域なら盗んでも大丈夫……。そのはずじゃなかったのかよ……」
しばらくして、レオが力なく呟いた。
その声に呼応するように、僕もデニスの言葉を振り返る。
「やっちゃいけないこと……。単に盗みのことを言ってるわけじゃなさそうだった。被害の多寡ではない、となると……」
盗みを働く相手が悪かった、ということか。
税を払えない南東区域の家と税を払っている他の区域の家では、衛士の対応が違うと噂で聞いたことがある。
南東区域にも税を払っている家があるなら、たまたまその家に盗みに入ったことで衛士の怒りを買ったのかもしれない。
(でも、あの男は南東区域の組織に顔が利くようなことも言っていた……。領主側の使いじゃないのか……?)
わからないことだらけで頭が混乱する。
その隙をつくように、無理やり心の奥に封じていた弱気が顔を出した。
(アレックス兄なら……)
デニスの言うやっちゃいけないことも、アレックス兄ならば理解していたに違いない。
あの自信に満ちた背中なら、「なんだ、そんなことか。」なんて言いながら、笑って僕たちを導いてくれたのだろう。
僕やレオなんかよりもずっと上手に立ち回って、きっとローザたちを危険に晒すようなヘマはしなかった。
だけど、頼れる兄貴分は、もうどこにもいない。
だから――――
(僕が、ローザを守るんだ……!)
不安と弱気を心の奥に押し込めて、僕は震える拳を握り締めた。
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