第210話 閑話:とある兄妹の物語2




「ラルフ、今いいか?」

 

 部屋を区切る扉の代わりに掛けたボロ布の向こうから、僕を呼ぶ声が聞こえる。

 声の主が入ってこないのは、この部屋にはローザがいるからだ。

 兄として、妹の無防備な姿を人目に晒したいとは思わない。


「レオか。今行く」


 身だしなみを気持ちばかり整えて、部屋の外に出る。

 僕とローザを除いて男3人、女4人で合計7人。

 僕たち兄妹と行動を共にする孤児たちが全員そろっていた。


「また、食料が厳しくなってきたの」

「そうか。あとどれくらい持ちそうだ?」

「今日と明日の分はあるよ。でも、明後日の分はない。もちろん、食料を買うためのお金もない」


 食料を管理するロミルダとビアンカから現状が伝えられた。

 食料は基本的に盗品か、盗んだ金で買ったものしかない。


 金にしても食料にしても、足がつかないようにしながら一度に盗める量は多くない。

 9人の孤児が飢えを凌ぐには、最低でも10日に1度くらいのペースで行動を起こさなければならなかった。

 

 頻繁に盗みをやるなら、同じ場所に長く留まるのはリスクがある。

 だから僕たちは、南東区域内で空き家を転々とする放浪生活を強いられていた。


「ヘンリック、次のアジトの目星はどうだ?」

「少し大人たちのアジトに近くなるけど、空き家は見つけておいた。掃除すれば住めそうだけど、部屋数が……小部屋が2つと大部屋だけなんだ」

「なるほど」


 部屋割りも、年頃の男女となると全員で雑魚寝というわけにもいかない。


 男が年長の僕とレオ、年少のヘンリックとマックスの4人。

 女が年長のローザにビアンカとロミルダ、年少のヴァネサとヴェラの5人。

 9人のうち、僕とローザ、ロミルダとマックス、ヴァネサとヴェラがそれぞれ兄弟姉妹で、レオ、ビアンカ、ヘンリックが一人っ子だ。


 そういった事情も踏まえ、4部屋以上あるアジトでの部屋割りは僕とローザ、レオとヘンリック、ロミルダとマックス、ビアンカとヴァネサとヴェラの4組にしているが、これが3部屋以下のアジトだと、どこかの組をくっつける必要がある。

 マックスはまだ幼く、姉であるロミルダと離れると不安で泣くこともあるから、ロミルダとマックスを男子部屋と女子部屋に分割することは難しい。

 ロミルダをマックスと一緒に男子部屋に突っ込むわけにもいかず、マックスをロミルダと一緒に女子部屋に突っ込むと人数が多くなりすぎるから、真っ当に組分けを作るのはすでに諦めている。


「他に良い場所がないなら仕方ない。ロミルダとマックスはとローザと同室で我慢してくれ」


 3部屋のときは僕とローザの兄妹とロミルダとマックスの姉弟をくっつけて4人1部屋になる。

 マックスはまだ幼いからローザもそこまで気にしないし、ロミルダは――――


「うん、良いよ……」


 僕と同室になることを嫌がらないと知っている。

 彼女の恋心を利用するようで心苦しいが、そうも言っていられない状況だ。


「よし!じゃあ、仕事を割り振るぞ!」

 

 動くと決まったら、仲間たちに指示を出さなければならない。

 ただ、これも回数をこなせば大体いつもの役割が決まってきて、僕はそれを確認するだけというのが実情だ。


「ヘンリックはヴァネサとヴェラを連れて新しいアジトの掃除を頼む。最低限住める程度には綺麗にしてくれ」

「わかった!」


 ヘンリックが元気に答え、ヴァネサとヴェラが頷く。


「ビアンカとロミルダとマックスはここの撤収準備を。時々でいいからローザの様子を見てくれると助かる」

「はーい」


 ビアンカは少し間延びした返事。

 ロミルダは少しだけ照れたまま頷いた。


「レオは俺と一緒に下見だ。朝飯食べ終わったらすぐ出るぞ」

「……了解」

「レオ、どうかしたか?」

「いや、何でもない。大丈夫だ」

「そうか。なら、頼むぞ」


 レオの返事が少し沈んでいたことが気になったが、本人は大丈夫だと言う。

 僕とレオの付き合いは長く、親友と言ってもいい仲だ。

 言いたいことがあるなら、そのうち自分から言うだろうと思い、僕はその場を流すことにした。






 結果的に、僕の予想は当たっていた。

 朝食後、周囲の視線を気にしながらアジトを抜け出して西に向かって歩く最中、レオが渋い顔をしながら早速話を振ってきた。


「なあ、ラルフ。これからどうするつもりだ?」

「そうだな。前回は東通りに近い家に盗みに入ったから、今回は南通り側に行こうと思う」

「そうじゃねえよ……。俺が言いたいこと、わかってんだろ?」


 レオは一段と声を潜めて、話を続ける。

 僕はレオの問いかけに返事をしなかった。

 しかし、陰鬱な気分のせいで視線は下がることは避けられない。

 レオの言う“これから”が今日明日のことを指しているのではないことくらい、僕も理解している。


「もう、この生活は限界だ。そろそろ、見切りをつけるときなんだ」

「レオ……」


 レオが決定的な言葉を口にした。

 それは僕が――――そしておそらくは年長の子たちも心の中で理解していて、けれど決して口にしなかったことだ。


「お前はよくやったよ。役に立たない小さいのまで見捨てないで、何か月もよく頑張った」

「…………」

「でも、もうダメだ。被害は少なくても、頻繁にやりすぎたんだ。衛士の警戒が厳しくなってきてるから、そう遠くないうちに捕まっちまう。そうなったら俺もお前も終わりだ」

「わかってる。でも、見捨てたくないんだ」

 

 みんなの前では、弱音は吐けない。

 でもレオの前では別だった。


 レオもそれをわかっているからこそ、敢えて厳しい言葉を投げつける。


「ラルフ、今更だろ?俺たちは、もうとっくに仲間を見捨ててる」

「…………」


 今、僕と一緒に行動している孤児は、自分を含めて9人だ。

 孤児院に居た孤児の数は、もっともっと多かった。


 二人とも何も言わず、ただ時間が過ぎていく。

 しばらくして、沈黙を破ったのはレオだった。


「ラルフ、聞いてくれ。前にも言ったけど、俺はビアンカが好きだ」

「知ってるよ、どうした突然……。それに久々に聞いたな、その話」


 レオがビアンカを好いているという話は前々から聞いていた。

 いつになったら告白するのかとレオをからかった日々が、本当に遠い昔のように感じる。


「実はこの前、ビアンカに告白した」

「おお?」

「ビアンカも、迷ってたけど首を縦に振ってくれた」

「おお!やったじゃないか!おめでとう、レオ!」


 僕は親友の成功を心からの笑顔で祝福した。

 しかし、長年の想いが実ったというのにレオの表情は暗いままだった。


 そんなレオの様子に僕の笑顔も引っ込んでしまう。

 しばらくレオは言いにくそうに口を開けたり閉じたりを繰り返し、絞り出すような声で告げた。


「ラルフ、すまない……。俺とビアンカは、ここらでお別れだ」

「――――ッ!?」


 僕の中に衝撃が走った。

 僕とレオは、僕が孤児院に来たときからの付き合いなのだ。


 動揺は決して小さいものではなかった。


「そんな……、嘘だろ、レオ……」

「俺だってこんなこと言いたくない!でも、二人で話したんだ。ビアンカも俺と同じ意見だった。このままじゃダメだって……。俺たちは、もう少し身軽にならなきゃ生きていけないんだ」

「俺たちが、重荷だって言いたいのか……?」


 俺の問いに、レオは小さく首を横に振った。


「お前がお荷物だなんて思ったことは一度もない。だから、ラルフ……俺はお前と話し合いたかった」

「話し合い……?」

「ああ、そうだ。このまま抱えきれないと一緒に沈むか、身軽になって俺たちと一緒に生きていくか。選んでくれ、ラルフ」

「…………」


 ひどい話し合いをしていると思う。

 それでも僕とレオは、きっとこのときが人生で一番真剣だった。


「俺とお前とビアンカと3人で、という意味なら話にならない」

「お前がローザを見捨てるなんて思ってない。何年の付き合いだと思ってるんだ」


 レオは力なく笑った。


「俺とビアンカ、お前とローザの4人がベストだ。けど、お前が望むならロミルダは一緒でもいい」

「ビアンカとロミルダって親友同士じゃなかったのか……?それに、ヘンリックは血の繋がりはなくてもお前の弟みたいなもんだろ……」

「ビアンカとロミルダは親友だよ。お前の言うとおり、ヘンリックも弟のように思ってる」

「だったら!」

「大切なもの全部を抱えられないなら、選ばなきゃいけない。俺はビアンカを選んだし、ビアンカは俺を選んでくれた」

「……ロミルダはってことは、つまりマックスを連れて行く気はないんだな?」

「ああ、そのとおりだ。ロミルダを連れて行きたいなら、お前がロミルダを説得してくれ。お前か、弟か、どちらかを選ぶように」

「考えるだけで胃が痛くなる……」

「俺もだよ。きっとどちらを選んでも後悔すると思う。でも……」


 僕は溜息を吐いた。

 腹から空気がなくなるんじゃないかと思うくらい、大きな大きな溜息だった。


「……考える時間は?」

「明日の盗みの後、新しいアジトには戻らない。あらかじめ決めた場所でビアンカと落ち合う予定だった。お前が一緒に来てくれるなら、盗み自体しないつもりだ」

「となると、今日中か……」

「ローザが自力で動けるならいいが、そうでないならビアンカに頼まなきゃいけないからな……。最近、調子はどうなんだ?」

「日によってまちまちだ。もう少し栄養のある物を食わせてやれれば……」

「食べ物と言えば、最近――――」


 そこから先、話題はたわいのない話へと変わった。

 心にいろいろなものが積み重なっているせいで、とても雑談を楽しめる雰囲気ではなかったが、それでも少しだけ心が軽くなった気がした。






 下見の帰り道、僕たちのアジトが近づくと僕もレオも無言になっていた。

 辺りも静かで物音は僕たちの足音だけ。

 ちょっとした物音でも耳が拾ってしまいそうな空間で――――彼女の叫び声は僕たちの耳に鋭く突き刺さった。


「レオ!!ラルフ!!」


 アジトに続く路地から、ビアンカが血相を変えて飛び出してきた。

 僕もレオも驚いて戸惑っていると、ビアンカが息を整える暇も惜しんで言葉を紡いだ。


「アジトに、知らない男が!!」

「――――ッ!」


 それ以上の言葉は必要なかった。


 僕はローザを守るため、アジトに向かって一目散に駆けだした。

 

 

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