第162話 襲撃者の末路3
「さあ、話を聞かせてもらおうか」
「…………」
俺は準備を済ませた後で、俺とクリスが寝ていた部屋にアリーナを運び込んだ。
今の彼女は、俺が麻痺毒で苦しめられたベッドに横たわり、身じろぎもしない。
聞こえる音から俺の様子を窺おうと、神経を研ぎ澄ませているのかもしれなかった。
「目隠しを外す前に両手足に縄を結ぶ。抵抗はするな」
「……わかりました」
掠れた声でされる返事を受けて、俺は用意していたおもしに結び付けた縄を彼女の体にも結び付けた。
逃げようとしたときにその動きを阻害するように、おもしは彼女のいるベッドの周囲に散らして置いてある。
なりふり構わなければ、もしかしたらこの状態でも動くことはできるかもしれないが、動きを阻害する目的は十分果たしてくれるはずだ。
少なくとも、おもしをくくり付けたままここから逃げ出すことは難しいだろう。
これで、準備は整った。
「待たせたな。これから拘束を緩める。変な気は起こすなよ?」
「…………」
ゆっくりと、彼女を包む布を取り外していく。
彼女の両足、下着、腹、肩と順に露わになっていき、最後に顔に被せていた布を取り払った。
アリーナは恐るおそるといった様子で目にかかった髪を払い、ゆっくりと目を開けた。
「……明かりは付けないのですか?」
「話をするだけなら、これで十分だろ?」
天井の明かりを消し、窓も締め切っている。
俺の後方で灯る小さな蝋燭の火が、今はこの部屋で唯一の光源。
アリーナは不安げにこちらを見つめるのみで、この薄暗い部屋の惨状に気づく様子はなかった。
「私をどうするつもりですか?」
「お前は、俺にどうしてほしい?」
俺の言葉に嘲りが含まれていることを察した彼女の手が、自身の肢体を隠すように動かされた。
しかし、2本の腕だけでは、大きいとは言えない彼女の胸を隠すのが精々で、それにしたって俺がその気になれば何の意味も成さないことは言うまでもない。
遅まきながらそのことに思い至ったのか、彼女の腕は諦めたようにベッドに落ちた。
「あの子たちにしたことへの報復ですか?」
「当然だろ?報復は大前提で、問題はその内容だ。あんたが話す内容によって、あんたの未来は変わるかもしれないぞ」
「………………」
彼女の所業を考えれば無罪放免はあり得ない。
だから彼女がすべきことは、隠し事を洗いざらい白状して罪科を少しでも軽くすることだ。
「私だって、こんなことをしたくはありませんでした……。本当に仕方なかったんです。こうしなければ、私はもうこの街で――――」
「ああ、それはいい」
俺は言葉を被せて、彼女を制する。
「あんたの身の上話に興味はない。俺が知りたいのは、あんたを使役して俺たちを襲わせた黒幕とか、実行部隊として使われた奴らがどこの所属なのかとか、そういう話だ」
「――――ッ!」
嘲るような言葉にアリーナは気色ばみ、声を荒げた。
「あなたに、何がわかるんですか……!私がどれだけ悩んでここにいるのかなんて、何も知らないくせに!!」
「知るわけないだろ、そんなこと」
「――――ッ!!」
興味がないと伝えたにもかかわらず繰り返される自分語り。
辟易した俺の声音から内心の呆れが滲み出てしまい、彼女は前にもまして感情的になった。
夕方の件でエクトルに突然詰め寄ったことを思い出してみても――あれが演技でなければだが――感情で動いてしまうタイプだということは窺い知れていたが、これでは冷静な会話は期待できないかもしれない。
もちろん俺が煽るようなことを言ったことも一因だと理解している。
しかし、今彼女が置かれた状況を考えれば、この程度のことは受け流してくれなければ話が進まない。
「人をバカにして……!!」
「バカにされるようなことをするから、バカにされるんだ。おっと……」
つい、反射的に思ったことを口に出してしまった。
これではアリーナのことを笑えない。
「――――ッ!!あなただって、今にわかりますよっ!!少し腕が立つだけの冒険者が、大商会に歯向かって無事で済むはずもないんですから!そのときになれば、私の気持ちが分かるでしょう!!そのときに後悔しても、遅いでしょうけどね!!」
「やっぱり、そうなるか……」
アリーナが感情のままに罵声を吐き始めたこと。
それだけでなく、エクトル――あるいはエクトルの所属する商会――がこの襲撃に関わっていること。
状況から推測はしていた。
この宿自体エクトルが用意させたもので、ここの人間にはエクトルの息がかかっている。
毒の仕込みはどうにでもなるだろう。
宿の中にあった侵入者の控室の存在も決定的だ。
俺たちにあてがわれた部屋よりも広い4人部屋だったとはいえ、4人部屋に宿泊するには多すぎる人数。
全員が武装していた事実。
これが騒がれもせずにここまでやってくるのだから、これで宿の関与を疑わないのは不可能だった。
「それで?エクトルはなんで俺たちを襲ったんだ?」
「………………」
「なんで黙る?」
先ほどまでと一転、沈黙するアリーナ。
彼女が良くない雰囲気を纏ったことを、俺の肌が感じ取った。
「取引をしませんか?」
沈黙の後、彼女が口にしたのは信じられない言葉だった。
思わず、彼女を睨みつける。
「……自分の立場がわかってんのか?」
「それはお互い様でしょう。このままでは、私もあなたも破滅です」
「へえ?どうしてそう思う?」
期せずしてアリーナの話が核心に近づいていると感づいた俺は、彼女を誘導した。
彼女は誘導に気づく様子もなく、辛うじて取り繕った笑みを浮かべ、滔々と俺たちの窮状を語ってくれた。
「エクトル・リヴァロルの所属するアンセルム商会は、本拠地を交易都市に置く近年急速に力をつけた商会です。その規模は、すでに帝国で十指に入ると言われています。主に扱うのは貴金属を始めとした富裕層向けの商品ですが、裏ルートで奴隷も扱っているんです」
「帝国では奴隷が禁止されているはずだが?」
「ええ、表向きはそうですね」
彼女が望むだろう反応を返すと、彼女はしたり顔で笑った。
「もちろん、そのような商品を扱うからには、財力だけでなく権力との繋がりや暴力に訴える方法も欠かせません。アンセルム商会は大貴族に対して定期的に貢物を贈ることで後ろ盾にすると、ある集団を雇うことで暴力をも手に入れました」
「『鋼の檻』か……」
「ご存知でしたか。まあ有名ですし、冒険者なら知っていて当然です」
つまらなそうに吐き捨てるアリーナの態度は鼻につくが、今は我慢する。
「知ってのとおり、『鋼の檻』は数多くの冒険者が所属する冒険者集団です。アンセルム商会と同様、急速に勢力を拡大していて、構成する冒険者の数は五百を超えたと言われています」
「五百人の冒険者か……。たしかに多いな」
そこまでいくと、もう冒険者パーティというよりクランとか、あるいは傭兵団と言った方がしっくりくる。
俺の反応に満足げに頷いたアリーナは、ところどころ縄で括られた両腕を広げ、最後の詰めとばかりに捲し立てた。
「アンセルム商会と敵対すると言うことがどういうことか、ようやく理解できましたか?たしかにあなたは強力な冒険者ですが、所詮は一人の冒険者に過ぎません。組織力も、財力も、暴力も、そして権力の後ろ盾すら用意しているアンセルム商会に勝てるわけがないんです。勝てるわけが、ないんですよ……」
「………………」
最後の言葉は俺に聞かせているのか、それとも自分に言い聞かせているのか。
アリーナもアンセルム商会との間に何かを抱えていたのだということは、ここまでの彼女の行動や態度から窺い知ることができる。
(アリーナは、折れたんだな……)
組織力、財力、暴力、あるいは権力に屈して。
あるいは自分がアンセルム商会の一部になることを認めても、守りたいものがあったのかもしれない。
「さて、あなたが置かれた状況が理解できましたか?このままでは、あなたはアンセルム商会に追われることになります。アンセルム商会は、自分たちの裏を知ったあなた方を決して許しはしません。もう二度と、平穏な生活に戻ることはできないでしょう」
部屋の唯一の出入口である戸の近くに掲げられた燭台の灯りは頼りなく、アリーナの目から俺の表情を読み取ることはできない。
俺が無言でいることで交渉が自分に優位に進んでいると信じ、諭すように語る彼女は滑稽で、そして哀れだった。
ティアとネルに苦痛を強いた仇であるアリーナへの憎しみが少しだけ、本当に少しだけだが薄れていくように感じた。
「あなたも恋人を見捨てるのはお辛いでしょう。ですから、私がリヴァロルと交渉してあげます。あの銀髪の少年と、あなたの恋人でない方の少女を差し出せば、あなたとあなたの恋人は見逃してあげますよ?」
「………………そうか」
さっきまでの俺ならば彼女の言葉に激怒し、即座にアリーナの首を刎ねただろう。
それだけのことを、彼女は言った。
しかし、実際の俺はこうして彼女の言葉を冷めた心で聞くことができていた。
まるで劇を観覧する観客か、あるいは物語の読者のように、俺は自身とアリーナの会話を傍観者として聞いている。
そんな俺の心を占めている感情は、怒りでも憎しみでもない。
俺の心に浮かんだそれは、理解だった。
(もしかしたら……)
当然、俺が理解したのはアリーナの行動や動機ではない。
大切な仲間に毒を盛り、襲撃し、攫い、凌辱する。
そんなことを企てた相手の選択を理解できる奴がいるとしたら、そいつの頭はきっとどうかしているのだろう。
だから、俺が理解したのは全く別のことだ。
それは――――
(もしかしたら、あいつも葛藤した末に俺を裏切ったのかな……)
オーバン。
東の村の住人、先輩冒険者、そして俺を見捨てた裏切り者。
あの日、あいつは深手を負ったことで双頭の大熊への戦意を失い、妻のアデーレとともに俺を置いて逃げ出した。
空色の綺麗な花々に囲まれて、大きな失望を味わったのがちょうど2年前の今頃だった。
俺が<結界魔法>を秘密にしていたことがそれを後押ししたかもしれないという事実も含めて、苦い記憶だ。
「さあ、アレンさん。あなたの答えを聞かせてくれますか?」
「………………」
アリーナの誘い。
検討する価値もないと断ずることができるのは、俺には降りかかる火の粉を払う力があるからにほかならない。
そもそも、アリーナが大げさに語るほど、『鋼の檻』は俺たちにとって脅威ではない。
敵の勢力圏内であるこの街と、俺たちの本拠地である辺境都市では事情も異なる。
五百人の構成員がいる『鋼の檻』はたしかに強大だが、それらの戦力全てを勢力圏外にいる俺たちに振り向けることなど不可能だということは、少し考えれば容易に想像できる。
領主のお膝元である辺境都市で多数の冒険者を投入した抗争を引き起こせば、普段冒険者同士の争い不干渉を貫く衛士とて仕事をするだろうし、場合によっては領主騎士団の介入を招くリスクもある。
一方で、ここまでの戦闘から察せられるように一人一人の水準は決して高くないのだから、少数ならば俺たちだけでも十分に戦うことができる。
俺が『鋼の檻』を過剰に恐れる理由など、どこにも存在しないのだ。
だが、もしも――――
(俺に、火の粉を払うだけの力がなかったとしたら……)
このまま全員で強大な敵の餌食になるか、自分と自分が選んだ一人を連れて逃げ出すかを選択する機会が与えられたとしたら、俺はどのような未来を選択するだろうか。
全員の未来を閉ざすという選択は、俺の心への負荷が少ないだけで誰も幸せにすることはできない。
しかし、誰かを救うという選択肢は救わなかった二人を見捨てるということだ。
絶望的な二択。
それでも、弱者は理不尽な選択を迫られる。
頭が沸騰するほど悩むだろう。
苦悩し、胸を掻き毟り、慟哭したその末に、誰かの手を取って逃げ出す。
全滅よりはマシだからと、自分に言い聞かせて。
その選択は、残された二人から見れば裏切りに他ならないということを理解して。
そんな未来が、絶対にあり得ないとは言い切れなかった。
「………………」
大きく、息を吐き出した。
考えただけで背筋が凍るほど絶望的な二択。
状況が少し違っていたら、俺もそれを強要されたかもしれない。
だから俺は、それを選択しなくて済むだけの幸運に恵まれたことに、心から安堵した。
「決まったようですね。さあ、聞かせてください。あなたが誰を選ぶのかを」
俺の心中を誤解したアリーナから見当違いの台詞が垂れ流され、それを聞いた俺は思考の海から現実へと呼び戻されたとき、ふと思う。
(アリーナも、そうなのだろうか?)
先ほど俺は彼女自身の話に耳を貸さなかった。
だから、俺は彼女の背景を知らない。
もしかしたら、彼女にも蛮行に及ぶだけの理由があるのかもしれない。
もしそうなのだとしたら――――
(いや、これ以上は無用だ……)
今後の動きを検討するために必要な情報は確保できた。
もう、話に付き合ってやる必要はなくなったのだ。
「ああ、決まったよ。でも、まずは部屋の明かりをつけよう。やっぱり蝋燭一本では暗すぎる」
「今更ですね。話をするだけなら明かりがいらないなんて言ったのは誰でしたか?」
「さて、誰だったか……」
俺は部屋の明かりを付けるため、アリーナに背を向ける。
この部屋にいる人間は俺とアリーナの二人きりだ。
今の俺がどのような表情をしているか、知り得る者は誰もいない。
だが、それでいい。
それはどうせ、ロクでもないものだろうから。
「結論を言おう。俺は、あんたの選択を許さない」
「はあ、一体何を――――」
俺は部屋の灯りのつまみをひねり、アリーナの方へ振り返った。
彼女の言葉を遮るように、天井に据え付けられた照明が部屋の中を煌々と照らし出す。
彼女は急に与えられた強い光から目を庇うように手をかざし、目を細めた。
そして――――彼女の瞳に、地獄が映し出される。
「ひっ……きゃああああああ!!いやああああああああああああああああ!!」
彼女から、耳をつんざくような悲鳴が発せられた。
仮初の余裕が砕け散り、ただひたすら甲高い奇声を上げて取り乱す。
「いやあっ!!なんでっ!?こんなっ!!?うっ……おえっ……」
周囲に広がる光景に耐えきれなかった彼女は、自分が体を預けている綺麗なベッドに吐瀉物をまき散らした。
よく観察すれば、彼女の下半身からも液体が滲み出ている。
しかし、吐瀉物特有の酸っぱい臭いも彼女の股から漏れ出すアンモニア臭も、俺の嗅覚を刺激することはなかった。
俺の手で創り出された地獄は、それら全てを包みこんでしまう。
吐き気と戦っていたアリーナは出せるものを出しきってしまったのか、涙やら鼻水やら何やらでぐしゃぐしゃになった顔を俺に向ける。
「はあ……はあ……。どおじで……ごんな……」
悲鳴で傷められ、胃液で焼かれた喉から、吐瀉物の残りと唾液の糸とともにしわがれた声が零れ落ちた。
自分の目で見たものが信じられない。
その光景を造り出した理由が理解できない。
思考を停止し、答えを求めて、地獄を造り出した俺にその意図を問うた。
「どうすれば、俺たちが受けた苦痛をあんたに返してやれるか考えたんだ。あんたが言ったとおり犯すのも一つの手だったが、無理やりはやっぱり好みじゃないし、仲間に釘も刺されたからな。楽しんでもらえたなら、手を汚した甲斐がある」
慣用句としての意味でも、物理的な意味でも。
「はあ……はあ……ぐるっでる……狂ってる!!」
彼女はベッドの上で両足をばたつかせてあとずさり、両手で頭を抱える。
ああ、そんなことをしては――――そう警告する暇もなかった。
「ぎっ!?あ…………いやあああああああ!!?ああああああ!!」
再び鋭い悲鳴が上がった。
俺が彼女の体に括りつけたおもしが、彼女の激しい四肢の動きによって引き寄せられてしまったのだ。
しかも、ひとつだけではない。
右から跳ねたそれを反射的に払いのけた右手の動きによって、左から別のおもしが引き寄せられる。
体中の各所に結び付けた縄と連動するそれらは、繰り返しアリーナに悲鳴を上げさせ、同時に彼女精神を苛んだ。
しばらくして、彼女は動くことを止めた。
彼女の周囲に散らばったおもしたちから少しでも距離を離れるため、ベッドの最奥に追い詰められて震えている。
そんな彼女を無言で眺めていた俺は、彼女に向かって皮袋を放り投げた。
どさり、とベッドに乗った皮袋に、アリーナは身を竦める。
その皮袋は、夕方の戦闘で討ち取った盗賊たちの首を街まで運んだときに使った袋と同じものだった。
中身はすでにエクトルに引き渡した後だが、皮袋は今もその中に何かを抱えて膨らんでいる。
「………………」
俺がアリーナにゆっくりと近づくと、彼女の視線もまた、ゆっくりと俺に向いた。
瞳孔が開ききったそれは、断じて人に向ける視線ではない。
彼女には、何が見えているのだろうか。
「最後に、言い残すことがあれば聞こう」
自分に危害を加える者の事情を考えて、それを許してやれる者は限られる。
それは後先考えない馬鹿か、頭の中がお花畑の愚者か。
あるいは――――
「わたし、は、ただ……父さんと……細工を作って、いたかったんです……」
掠れた声が耳に届き、俺は中断された思考を頭の片隅に追いやった。
剣を握る右手に、力がこもる。
「ただ……それだけで、幸せだったのに……」
哀れな細工師は小さく息を吐き、諦めたような微笑みを浮かべて静かに目を閉じた。
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