第40話 閑話:とある少女の物語7




「ごめんなさい」


 そう告げて、契約書を焼き捨てる。

 先ほどまで大笑いしていたブリギット派の少女たちの表情がこわばるが、彼女らを率いるブリギットの表情だけは変わらなかった。


「ふふっ、あなたならそうすると思いましたよ、リリーさん」


 それどころか、まるで私がこうすることを期待していたとでも言うかのように、楽しそうな笑みを浮かべている。


「私は常々思っていたんです。やはり一度、徹底的に上下関係を教えて差し上げなければならないと。アドリーヌの件も報復が済んでいませんでしたし。まあ、それでも――――」


 彼女は、諭すように話を続ける。


「あなたについてくれた子たちのことを思うなら、屈辱も甘んじて飲み込むべきだったと思いますけれど。勝ち目のないとわかっている戦いに仲間を巻き込むのは、愚か者のすることですから」


 愚か者。

 確かにそうだろう。

 その点だけは、ブリギットの言うとおりだ。


 だけど――――


「あなたは勘違いをしているわ」

「勘違い?なにかしら?」

「私が謝ったのはうちの子たちに対してじゃない。あなたに対してよ――――ブリギット」

「……契約書を焼き捨てたことなら、もう謝っても遅いですよ?」


 呼び捨てされたことに少しだけイラついた様子をみせるが、それでもブリギットの余裕は崩れない。

 でも、いつまで冷静でいられるかしら。


「それも違うわ。私が謝ったのは、あなたに意地悪をしたことよ」

「意地悪、ですか?」


 心当たりがないのだろう。

 不思議そうに首をかしげるブリギットに、私は正解を教えてあげる。


「そう、意地悪。私が自分の魔術をあなたたちに見せてあげなかったから、あなたたちは自分の方が優れていると勘違いをして、こんな愚かなことをしてしまったんでしょう?今からでも遅くはないわ。自分の部屋の掃除くらい自分でできるようになりなさい」

「……ふーん?あなたは自分の力を隠していたのね。でも、別に見せてくれてもいいのですよ?その隠していた自慢の力とやらを」


 まだ、ブリギットは声を荒げない。

 冷静を装って、私の挑発に挑発で返してくる。

 しかし、彼女の表情は言うことを聞いてくれないようだ。

 引きつっている彼女の頬が、彼女の怒りが爆発するまでもう一押しだと教えてくれる。


 だから、私はさらに彼女を煽る。

 彼女を引きずり出さなければ、舞台の幕は上がらないのだから。


「ふふ、こんな簡単な挑発に乗ってくれてうれしいわ。でも――――」

「でも、何かしら?」

「あなたについてくれた子たちのことを思うなら、屈辱も甘んじて飲み込むべきだったんじゃないかしら。勝ち目のないとわかっている戦いに仲間を巻き込むのは、愚か者のすること。そう思うでしょう?」

「この……!言わせておけばっ!!」


 今度こそ、彼女の表情が歪んだ。

 ブリギット派の少女たちも、ちょうどいい具合にヒートアップしている。


「そんな大声をあげないでちょうだい。あなたのお望みどおり、徹底的に上下関係を叩きこんであげるわ。派閥の長同士、正々堂々と勝負しましょう?」

「そんな挑発に私が乗るとでも?」


 十分乗っていると思うが、それでも私と1対1の勝負を避ける程度の理性は残っているらしい。


「大口叩いておきながら、自分の力だけでは戦えないのかしら?」

「派閥も私の力です。ドレスデン様も、そうおっしゃったでしょう?あなたの土俵に上がるつもりはありません。私たち全員で、あなたを教育して差し上げます」

「ええ、それで構わないわ」

「……なんですって?」


 こちらが条件に合わせてあげたというのに、ブリギットは信じられないといった顔で聞き返してくる。

 ことだし、そろそろ頃合いだ。


 仕上げに、私からブリギットに対して宣戦布告しよう。


「私が、一人で、あなたたち全員を教育してあげる。そう言ったのよ」

「もう許さないわ!!覚悟なさい!!身の程を思い知らせてあげるわ!」


 一触即発の空気。

 魔術講義の開始時間を告げるチャイムが割り込まなければ、その場で戦いが始まったかもしれない。


「……講義が終わるまで、せいぜい神に祈っていなさい」


 捨て台詞を吐いて席に戻ろうとするブリギットとその取り巻きたち。


 しかし――――


「その必要はない」


 不意に、教壇から声が聞こえた。

 全員の視線が教壇に集まるが、そこに今日担当するはずだった魔術講師の姿はない。


「なっ!ドレスデン様!?」


 教壇には、極悪魔女の姿があった。

 今日の抗議を担当するはずだった魔術講師は、講義室の入り口の近くで困った顔をして控えている。

 驚きに包まれるブリギット派の少女たち。

 講義室の前方から後方を見ていた彼女たちだけが、極悪魔女の入室に気づくことができなかった。


「ドレスデン様の次の講義は、まだ先のことだったと思いましたが……」


 ここにいるほぼ全員の気持ちをブリギットが代弁する。


「私がここにいることが不服か?」

「いえ!そんな、とんでもない……」


 さっきの威勢はどこへやら、叱られた子犬のように委縮する彼女に、極悪魔女はさらに追い打ちをかける。


「それより、続けろ」

「ドレスデン様、一体何を?」

「『面白い出し物がある』と聞いたから、わざわざ予定を空けて見に来てやったのだ。講義を楽しみにしていた者には悪いが、今日の魔術講義は中止とする」


 予想外の状況に理解が追いついていないブリギットだが、この状況を仕組んだ犯人に気づいたのか、はっとした表情でこちらを振り返る。


「リリーさん……、まさかあなたが?」

「勝負事には、審判が必要でしょう?」


 そう、極悪魔女をこの場に呼んだのは、ほかでもないこの私だ。

 本当に来るかどうかは賭けだったが、彼女の性格を考えれば乗ってくる可能性は高いと思っていた。

 それに、もし来なかったら来なかったでやり方を変えるだけ。

 ちょっとした保険みたいなものだ。


 彼女を呼んだ目的のひとつは、ブリギット派の少女たちに極悪魔女の処刑のことを想起させて恐怖を煽るため。

 もうひとつは、ブリギット派の少女たちに死人が出る前に勝敗を決めるため。


 そして最後のひとつは――――


「さあ、お言葉に甘えて続けましょ。勝負をね」

「なっ!?」


 ブリギットが、勝負を避けることができない状況をつくるため。


 極悪魔女の前で無様を晒すことの意味は、すでに知れ渡っている。

 12歳の私一人を相手に、18歳のブリギットが派閥の子を率いて戦うというのだ。

 この上、私が突きつけた勝負を降りるなどという及び腰は許されない。

 実際に許すか許さないかは極悪魔女が決めることだけれど、もしそれが許されなければ勝負が始まる前に敗北が決まってしまう。

 そんな危険を冒すようなマネは、彼女にはできないはずだ。


 だから、これから始まるのはダウンが許されていない1回限りの大勝負。


「私が勝ったら宿舎の3階は全部私たちのものよ。今3階にあなたたちが置いているものは、全部私が焼き払うから。それと、2階はあなたたちが自分で清掃しなさい。当然自分の部屋もね。1階の食堂やお風呂の掃除も今後はお願いするわ。今までうちの子たちがやってあげてたんだから、そろそろ交代しましょ。それと、食堂で出るデザートは全部供出すること。デザート以外は勘弁してあげるから、ありがたく思いなさい」

「な、なにを言って……!?」

「あなたたちの要求を言う必要はないわ。契約書、当然もう一通あるんでしょ?」


 取り巻きが抱えていたもう一通の白い封筒を指差す。


「ふざけないで!そんな条件が――――」

「あら、勝負が怖くなったの?」

「ッ!そんなわけないでしょう!条件が釣り合わないと言っているのです!」

「1対全員という大きなハンデをあげているのだから、その分報酬が大きくなるのは当然のことよ。それに――――私に勝てる気でいるなら、問題ないでしょう?」

「こ、のっ……!!」


 たたみかけるように言葉をかぶせて、思考の時間を与えない。

 私と向き合ったときに、ブリギットから極悪魔女の表情が見えないことも、彼女をさらに焦らせる。

 ここで条件を争うことで極悪魔女の心象がどうなっているのか。

 本来は考えなくてもいいことを、彼女は考えずにいられなくなる。


 その結果――――


「いいでしょう!その思い上がりを後悔させてあげます!」


 かくして、茶番劇の幕が上がった。



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