第39話 閑話:とある少女の物語6




「正直に答えなさい」


 イゾルデとのを済ませた後、私は宿舎の自室に最も近い場所にある談話室にうちの子たちを集合させた。


 イゾルデから受け取った、私にとっては驚くべき情報の数々。

 それらは、私にとある懸念を抱かせた。


 私はなるべく怒りが表情に現れないように努めて言葉を発したつもりだったが、多くの子は私の機嫌がよくないことを敏感に察知して、不安そうに顔を見合わせている。

 レオナはともかく、ニーナまで表情が硬い。


 私は一度大きく深呼吸して、空気と一緒に怒りを吐き出そうとする。

 この子たちにあたってしまえば、ただの八つ当たりになってしまう。

 それでは年長の子たちがやっていることと変わらない。

 一番悪いのは、私なんだから。


「勘違いしないで、別にあんたたちを怒っているわけじゃないの。ただの状況確認よ……」


 そう前置きしてから、私は次々にこの宿舎の現状を聞き出していった。


 使用している部屋を。

 掃除を担当する箇所と頻度を。

 使用できる宿舎の設備とその設備を使える時間を。


 その結果、ほぼ予想どおりの回答が返ってきたことに、私は頭を抱えることになる。


「はあ、やっぱりか……」


 この子たちは私の周囲に集まり出してからも、私の目の届かないところではずっと年長の子の言いなりだったのだ。


 まず、宿舎に110あるはずの部屋は、なぜか40人で25部屋しか使えていない。

 私が部屋の外にいるときは、この子たちの方から私がいるところに集まってきていたから、私がうちの子たちの部屋を訪ねるということがほとんどなく、今まで気が付かなかった。


 掃除はうちの子たちがほとんど使用しない2階の廊下や談話室もうちの子の担当している。

 私に気づかれないように、私が自室で魔術の訓練をしている時間を狙って済ませていたらしい。


 宿舎のお風呂や洗濯機、談話室にも使用時間にも制限があるそうだ。

 私自身は好きな時間に使っていても何も言われなかったから、そんなものがあることすら知らなかった。


(この子たちの奴隷根性を完全に甘く見ていたわ……)


 ソファーに深く腰掛け、目を閉じて天を仰ぐ。


(いや、そうじゃない…………。そうじゃないことは、わかってる……)


 認めたくはないけれど。

 話を聞き始めて、もしかしたらそうかもしれないと思い始めたとある推測は、話を聞き終わった今、確信に変わった。


(誰も……うちの子たちすらも、私が年長の子たちに魔術で勝てると思ってなかったんだ……)


 私が自らの魔術を見られることを嫌って、魔術の訓練を自室でやっていたから。

 私の手の内が他派閥の子にバレることを嫌って、うちの子たちに対してすら手の内を明かしていなかったから。


 思えば、私が強力な魔術――――いや、魔法を衆目の集まる場所で使ったのは、ここに来た翌日、年長の子に全身火傷を負わせた一回だけ。

 そして、そのころの私の魔法は何の工夫もない、ただ少し強力なだけの<火魔法>に過ぎなかった。

 あのときの私と年長の子たちの魔法を冷静に比較すれば、1対1なら負けなくても、数人で掛かればなんとかなる程度の差でしかなかったのだ。


 そして、いくつかの例外を除けば、この屋敷にいる少女たちの魔術の力量はおおよそ年齢に比例する。

 ブリギット派の平均的な少女1人に対して、うちの子を2~3人は当てなければ戦力は拮抗しない。


 あとは単純な計算だ。

 ブリギット派はその半数程度でうちの子たちを足止めし、残る半数程度で私を袋叩きにすることができる。

 だから、リリー派とブリギット派が正面切って戦えば、リリー派は敗北する。


 これが、私を除いた全ての少女たちの共通認識なのだ。


「ははっ…………」


 この子たちが心配だなんだと言っても、私はさっぱりこの子たちのことを理解していなかった。

 自分だけが状況を理解して――――状況を理解したつもりになって、結果的にこの子たちを苦しませた。


(私がこの子たちを守ってるつもりで、この子たちが私を守ってくれてたってわけか……)


 自分が嫌がらせに抵抗すれば、私が出張ってくるとわかっているから。

 私が出張ってくれば、私が年長の子たちにやられてしまうと思っているから。

 だからこの子たちは、私に隠れて年長の子たちの言いなりになっていたのだ。


 自己嫌悪で心が真っ黒に染まり、気づけば奥歯をギリリと噛みしめていた。


 イゾルデに聞いたところによると、彼女らやブリギット派の連中が私たちにちょっかいをかけてこない理由は私と戦っても勝てないから――――ではなかった。

 私と戦った結果、運悪く重傷を負った仲間がいた場合、いつかのように極悪魔女に処刑されることを恐れていたから。

 これが、彼女たちが私を避ける理由だった。


 心の中で彼我の戦力差を理解できないブリギットやイゾルデを散々に馬鹿にしていたけれど、どうやら一番の馬鹿は私だったらしい。


(ああ、笑えないわ……)


 暴力に訴えて物事を解決することに対して、いまだに忌避感が残っていたけれど。

 私の力を知らしめなければ、私を気遣う必要なんてないんだと示さなければ、この子たちの状況は変わらない。

 この子たちがいまだ虐げられていると知ってしまえば、このまま状況を放置することは耐えがたい。

 このままでは、私は私を許せない。


「決めた」


 私はソファーから立ちあがると、うちの子たちに向けて宣言する。

 しばらく考え込んでいた私を泣きそうな表情で見ていたうちの子たちは、きっと私に内緒にしていたことについて、私が怒ると思っているのだろう。

 近くにいた小さい子の髪を撫でて、私が怒っていないことを教えてから話を続ける。


「奴らに、私たちの本気を思い知らせてあげましょう」

「リリー姉さまっ!それは…………」


 静寂が支配していた談話室は、一転ざわめきに包まれる。

 聞こえる声はどれも不安そうなもので、レオナも心配そうに私を見つめている。

 みなまで言わなくてもその目を見れば、何を言いたいのか大体わかる。

 そしてその気遣いで、私の決心はより強いものになった。


「今まで悪かったわ。私のせいで、あんたたちに辛い思いをさせちゃった」


 ごめんなさい。

 一言謝って、みんなに頭を下げた。


「そんな、そんなこと言わないでくださいっ!なんでリリー姉さまが謝るんですか!リリー姉さまは何も悪いことなんてしてないじゃないですか!」


 レオナの悔しそうな叫び声が心に響く。

 その瞳からはぽろぽろと涙が流れていて、私の罪悪感を刺激する。


「そうかもね……。でも、どうしても謝っておきたかったの」

「…………!」


 レオナを抱き寄せて、頭を撫でる。


「もう大丈夫だから。あんたたちは年長の子の分まで嫌なことを引き受ける必要はないし、部屋だって自分の部屋を持っていい。お風呂だって好きな時間に入っていい。何も遠慮することはないの。そのために――――」


 あんたたちに、私の力を見せてあげる。





 ◇ ◇ ◇





 翌日、これから引き起こすことの準備のために朝から奔走し、迎えた昼休み。

 昼休みの魔術講義室は、極度の緊張に包まれていた。

 私はその空気を少しでも和らげようと窓を開ける。

 心地よい風を体に受けて、そのまま外を眺めてその時を待っている。


 うちの子たちには、今日これから私が何をしようとしているのかを伝えてある。

 つい先ほどまで、レオナは必死に、ニーナは冷静に、両者とも私に思いとどまるよう説得を続けていた。

 イゾルデとの交渉で消耗した魔力を回復する必要があったために、結局今なおレオナたちに私の魔術を披露できていないから、当然と言えば当然の反応だ。

 今では二人とも祈るように私を見守っており、周囲の子たちもいつになく不安そうな表情を浮かべている。


 交渉によって協力的になったイゾルデにも、今日のことは伝えておいた。

 イゾルデ派の少女たちはこれから起こる出来事に巻き込まれることを避けるため、最も私たちやイゾルデ派から遠くなる廊下側後段に密集し、固唾をのんで様子を見守っている。


 ブリギット派だけが、今日これから何が起きるかを理解していない。

 それでもうちの子たちやイゾルデたちから感じられる異様な雰囲気にあてられたのか、多くの子が息をひそめるように警戒感を強めていた。




 昼休みももう少しで終わるかという時間になって、ようやくブリギットとその取り巻きが魔術講義室に現れた。

 取り巻きの手には契約書が入れられていると思しき白い封筒。

 数名を私のところまで一直線に進んでくる。


「さあ、確認してくださいな。あなたが望んだ契約書ですよ?」

「ありがとうございます」


 取り巻きから封筒を受け取ったブリギットは、それを無造作に私の前に放ってよこした。


(どうせ読んでも意味がないのだから、封筒ごと燃やしてもいいのだけれど……)


 仮にも私から頼んだことなのだから、せめて一読するのが礼儀だろうと思い直し、封筒から中身を取り出して読み始める。

 そして、数秒でそれを後悔した。


 昨日の予想と異なり、契約書に細工がされた形跡も、誤解を誘うような文面も一切見つけられなかった。

 契約書には、日頃からブリギット派の少女たちがうちの子たちに強いているだろう数々の横暴が、ただ列挙されていただけだった。

 ご丁寧に、すでにブリギットのサインは済んでいて、私がサインすれば契約書が完成するようになっている。


 ブリギットの取り巻きからクスクスと小ばかにしたような笑い声が漏れてくる。


「ブリギットさんも寛大よね。今までどおりで許してあげるなんて」

「別に、力づくで言うことを聞かせたってよかったのよ?」

「私たちが心優しいお姉さんで良かったわね」

「せいぜい感謝しなさいよ」


 クスクスと漏れていた小さな笑い声は、次第に嘲笑へと変わっていく。


(なるほどね……)


 結局、これも私が招いたことなのだろう。

 ブリギットたちは、彼女たちの認識と経験則に基づいて行動しているだけだ。

 彼女たちの目的、嫌なことを他人に押し付けて楽をするという目的を達成するために。

 そして、彼我の戦力差を踏まえれば、これくらいの要求は当然通ると思っている。


 私が下手に出たことも影響しているかもしれない。

 相手が下手に出るなら自分の方が優位。

 自分の方が優位なら相手に強く出ても大丈夫。

 いささか単純すぎるように思うが、彼女たちはこれまでそうして生きてきたのだ。


「やめなさい、あなたたち」


 ブリギットが取り巻きたちを制止する。

 当然それは形だけのもので、彼女の表情はこの状況を心底楽しんでいるように見えた。


「そろそろ目を通し終えたでしょう?もうすぐ講師の先生がいらっしゃるから、早くサインしてくださらない?」


 今度はブリギットの取り巻きだけでなく、講義室内のいつもの場所に陣取っているブリギット派の少女たちからも大きな笑い声があがる。

 一方で、事の成り行きを見守っていたうちの子たちは、周囲を包み込む雰囲気に押されるように小さな体をさらに委縮させる。

 ニーナは表情に怯えが出ないように努めているようだが、その表情は硬い。

 レオナは顔を伏せているから表情を窺うことはできない。

 ただ、膝の上で両手を握りしめて何かに耐えている様子が痛々しい。


 そんなうちの子たちの様子を横目で確認して、ようやく私は。


 本当に、覚悟を決めた。



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