第26話 裏切りの結末1
自らの手札を十全に用いた戦術――――というには少々強引な戦い方に切り替えてから長い時間が経ち、俺と大熊の魔獣の戦闘は終わりを迎えた。
「はあ……、はあ……」
手ごろな木の根に腰掛け、幹に背中をあずけて息を整える。
視線は戦闘によってすっかり荒らされてしまった空色の絨毯の中央。
そこには両手を切り落され、頭のひとつを地面に縫い留められた大熊が無残な姿を晒していた。
大熊の残る片方の頭がつい先ほどまで悔しそうに唸り声をあげていたが、すでに動きを止めている。
今もその死骸からは大量の赤が流れ落ち、周囲の空色を侵し続けていた。
ここにはもはや俺が戦うべき敵など残っていない。
しかし、それでも俺の心で暗い炎が燃え続けていた。
理由は言うまでもない。
(許さない……。この報いは必ず受けてもらう。絶対に後悔させてやるぞ、オーバン!)
大熊に殺されたはずの俺が村に戻ったら、あいつはどんな言い訳をするだろうか。
離れすぎて元の場所に戻れなくなった?
村に助けを呼びに戻っただけ?
あいつが必死に言い繕うところを想像するだけで、ふつふつと怒りが湧き上がってくる。
(そうだ、言い訳を聞く前にまず一発殴ってやらないとな……)
言い訳を聞くのは、それからでもいいだろう。
十分に休憩をとってからゆっくりと体を動かし、腕や脚が問題なく動くことを確認した。
<強化魔法>は単純に自らの身体能力を強化するので非常に使い勝手がいい。
しかし、幼い頃から鍛え続けた膨大な魔力量も相まって強力な効果を発揮する<強化魔法>と対照的に、俺の体躯はだんだん大人に近づいてきたもののまだまだ成長途上。
さらに言えばあまりにも早くから体を鍛え始めると成長に悪影響があると前世で聞いた記憶があったため、俺が本格的に体を鍛え始めたのは10歳になってからだ。
結果、全力で<強化魔法>を行使すると体の方が耐えられない。
情けない話だが、普段は継戦能力を重視して出力を最大時の半分以下に抑えなければならなかった。
もっとも、全力で<強化魔法>を行使したからといって正拳突きで板金鎧を打ち抜いたり岩盤を踏み砕いたりできるわけではなく、攻撃力の大半を武器に依存しているのは相変わらずだ。
それに<強化魔法>を全力で行使できるほどに体を鍛えたとしても、武器の性能が相応でなければ武器の方が耐えられない。
そんな懸念は、たしかに以前から持っていたのだが――――
(もともと耐久力に懸念はあったんだが……)
大熊を縫い留めていた剣を、ゆっくりと引き抜く。
これほど大きな魔獣を相手によく戦ってくれたが、やはり最後の全力戦闘が響いたのか。
その刃にはいくつか欠けたところが見られ、根元から3分の1ほどのところにはうっすらとひびが入っていた。
愛着もあるし修理すればまだ使えるかもしれないが、<強化魔法>のことを考慮しなくても体の成長にあわせて重くて丈夫な剣が必要になっている。
先ほどの戦闘が<強化魔法>の強度を引き上げてなお長時間に及んだのも、武器の性能不足が原因だった。
「今までありがとうな……。悪いがもう少しだけ頑張ってくれよ」
俺の命を守ってくれた剣に感謝の気持ちを伝え、付着した血脂を拭ってから腰の装具に差し込みながら今回の戦果を見下ろした。
この熊について俺はほとんど知識を持たないため、どの部位が高価なのかもわからない。
<強化魔法>のおかげでそれなりの重量を持ち運ぶことができるが、流石にこのまま全部を引きずって行くことは難しい。
「魔石と爪と、あとは毛皮か……?」
腰のポーチからナイフを取り出して大熊の魔獣の体を切り開くと、心臓のあたりから拳大の魔石を回収することができた。
毛皮はなるべく傷が少ない部分を持ち運べるサイズに切り取って適当にまとめ、爪は切り落した両腕を紐で縛ってそのまま持ち帰ることにする。
「少しのんびりしすぎたか」
気づけば空は茜色に染まっていた。
日が沈む前に森を抜けるのは難しいかもしれない。
太陽の位置から方角がわかるうちに少しでも距離を稼ごうと、俺は森の外へ向けて走り出した。
結局、森を抜けたのはすっかり夜になってからだった。
往路より距離が長かったように感じたし、風景にも見覚えがない。
まっすぐ北を目指したはずが、どうやら東に大きく逸れてしまったらしい。
当然、ここから帰るべき村を望むことはできない。
(2年前を思い出すな……。あの時も村を探して右往左往したんだっけ)
場所は全然違うが、似ている部分を感じ取って少しだけ懐かしく思う。
あの時と違うのは、もう迷うことはないということ。
俺は村に帰るために、ひとつ目の目印に向けて歩き出した。
途中で休憩とりながら、いくつかの目印を経由する遠回りの末に村に到着したとき、時刻はすでに深夜だった。
村が見えると安心してしまい溜まっていた疲れがどっと押し寄せてくる。
自然とまぶたが重くなるが、まだ眠るわけにはいかない。
こんな時間に申し訳ないとは思うが、冒険者ギルドのマスターであるエドウィンには先に事情を話しておかなければならない。
きっとオーバンは俺が死んだと報告しているだろうから、俺が生きていると示すことで簡単にオーバンの嘘を暴くことができるだろう。
そしてオーバンはこれから裏切り者として白い目を向けられることになる。
そうなれば少しは留飲も下がるというものだ。
人気のない真っ暗な村の中を通り過ぎ、冒険者ギルドの扉を開ける。
両開きの木製の扉に、鍵はかかっていない。
年頃の娘もいるというのに俺の感覚からすれば不用心なことこの上ないが、この村ではほとんどの家がこんな感じだ。
鍵がかかっていたら夜中に家から閉め出された酔っ払いのように無様を晒すことになっていただろうから、今だけはありがたく思っておく。
「うん?なんでこんなところに……」
エルザ――――この時間はベッドの中にいるはずの少女は、ロビーのテーブルに突っ伏して寝息を立てていた。
両肩に毛布が掛けてあるが、こんなところで寝ていたら冷えるだろう。
「もしかして、俺の帰りを待っていてくれたのか?」
帰ってくるかもわからない俺を、待っていてくれたのか。
少し考えてみたが、彼女がここにいる理由はそれくらいしか思いつかなかった。
荒んだ心が少しだけ温かくなる。
「こんなところにいたら、風邪ひくぞ」
そう声をかけても、彼女は目を覚まさない。
いや、俺がかけた声は空気に溶けるほどに小さくて、こんな声で彼女が起きることなどないと最初からわかっていた。
彼女を起こさなかったのは湧きあがった悪戯心を満たすため。
彼女のやさしさに触れたことで彼女が急に愛おしく思えたからか。
寝不足で理性のたがが緩んでしまっているのかもしれない。
(少しくらいなら……)
右手のグローブを外して、彼女に近づく。
その手を彼女の柔らかそうな肌へ向けて動かし――――もう少しで彼女に触れるというところで、自分の手が赤黒く汚れていることに気づいてしまった。
なんの汚れかと考えて、大熊の血がグローブを貫通して付着してしまったのだろうということに思い至り、思わず顔をしかめる。
流石にこんな汚れた手で彼女に触れることはためらわれた。
(いや、よく考えたら触ること自体がダメだろ……)
一体俺は何をしようとしていたのだろうか。
頭を振って眠気を飛ばし、申し訳ないと思いつつ毛布の上から肩を揺すって彼女に声をかける。
「おい、起きろエルザ。こんなところで寝てたら風邪ひくぞ」
「う……ん…………?」
エルザはむくりと上体を起こすと、少しぼーっとしたような表情で俺を見つめ返してくる。
何度か目をしばたたかせた後、微笑みを浮かべるエルザ。
「おはよう、エルザ」
「おはよう……アレン」
落ち着いてあいさつを返してくれるエルザだが、俺が帰ってきたことにあまり驚いていないように見える。
「…………どうしたの、アレン。そんな不思議そうな顔をして」
「いや、驚かないんだなと思ってさ」
「……私は知ってたもの。アレンがギルドの裏手でやってた訓練のこと」
「なんでそれを……。ああ、もしかして浴場からか」
「うん。魔獣の群れならともかく、大型の魔獣でも1体ならなんとかなるんじゃないかなって思ったの」
訓練場は屋外の浴場に隣接している。
どうやら浴場の中まで確認しなかったことが裏目に出たらしい。
村の中からの視線を遮断できるから問題ないと思っていたが、やはり村から離れた場所でやるべきだったか。
しかし、エルザが<結界魔法>のことを知っているとなると困ったことになる。
「そんな顔しないで。勝手に見たことは悪いと思ってるし、誰にも言ってないわ。お父さんも含めてね」
内心が顔に出てしまっていたのか、エルザはばつが悪そうに教えてくれる。
(ま、見られてしまったものは仕方ないし、エルザ以外に誰も知らないなら別にいいか)
先ほどの未遂の負い目もある。
のぞきのことについてはそれ以上触れず、俺は本題に入ることにした。
「エルザ、エドウィンさんに話がある。オーバンと、今日の出来事のことについてだ」
「…………わかったわ。ここでする話でもないし、ギルドマスターの執務室に行きましょう。お父さんを起こして連れて行くから、先に行って待っててちょうだい」
そう言うと、エルザは2階にあるエドウィンの部屋に向かう。
「エルザ……」
彼女が去り際、一瞬振り返ったときにみせた表情がとても悲しげだったので申し訳ない気持ちになる。
村にたった5人しかいない冒険者が仲間割れをするとなれば、受付嬢として複雑だろう。
どうしたってしこりは残るだろうが、それでも黙っておくことはできなかった。
俺は言われたとおりに先に執務室に入り、二人を待った。
(こないな……。どうしたんだ?)
言われたとおりに執務室でソファーに腰掛けてから、だいぶ時間が経った。
あまり入る機会がない執務室だ。
調度品を観察して時間をつぶしていればすぐかと思ったのだが、エドウィンとエルザはなかなか現れない。
エドウィンにも寝起きの恰好のままここに来るわけにもいかないだろうと思っておとなしく待っていたが、流石に長すぎる。
そろそろ様子を見に行こうかと思い始めたそのとき、ようやくエドウィンがエルザを伴って執務室に姿を見せた。
「待たせたな」
「いえ。こちらこそ、こんな時間に申し訳ありません」
執務室に用意された2組のソファーは木製の低いテーブルを挟んで向かい合うように並べられており、俺が先に陣取っていたソファーの向かい側に二人が並んで腰掛ける。
(エルザ……どうしたんだ?)
先ほどの悲しげな表情も気になったが、今では瞳はうるんでおり目元も赤くなっている。
まるで泣いたあとのような有様だった。
待ち時間が長かったことと何か関係がありそうだが、向こうから何も言わないならこちらからそれに触れるのは気が引けてしまう。
「無事でなによりだ、アレン。オーバンの話を聞いて、死んでしまったと思っていた」
「まあ、大変でしたがなんとかなりました。それで今日……いや、昨日のことについてですが――――」
俺は昨日の出来事について、全てをエドウィンに話した。
ドロテアへの贈り物のために森の深いところに行ったこと。
大熊の魔獣と遭遇し、オーバンがケガを負ったこと。
俺がただ一人その場に取り残されたこと。
なんとか大熊を撃退し、難を逃れたこと。
大熊を撃退したことに触れたとき、エドウィンは大変驚いていたが、大熊からはぎ取ってきた戦利品を見せると、すぐに俺の話を信じてくれた。
「――――というわけです。俺は、俺を見捨てて逃げ出したオーバンを許すことはできません。アデーレさんに関しては、オーバンが逃げると言えば反対も抵抗もできなかったでしょうから恨みごとは言いませんが、オーバンを許す気はありません」
「そうか……。まあ、そうだろうな……」
エドウィンは腕組みし、目を閉じて俺の話を聞いていた。
俺の話が終わってからも何かを考えているような仕草を続けている。
横に座っているエルザはずっと視線を下に向けたままで、この部屋に来てから一言も発していない。
しばらく沈黙に耐えていると、エドウィンがようやく口を開いた。
「たしかに、ギルドの規則には仲間を見捨てた冒険者を処分する規則がある。しかし、今回の件について、俺はこれを適用する気はない」
「……それは、どうしてですか?」
エドウィンに対して感情的になるべきではないと頭では理解しているが、思わず語調が強くなってしまった。
エルザがびくりと震えたのを見て、落ち着こうと一息ついてから言葉を続ける。
「理由を聞かせてください」
「この規則は、魔獣に殺されたと見せかけて同行者を殺害する馬鹿を罰するためのものだ。勝てない敵に遭遇した場合にまでこれを適用すれば、全滅するパーティが増えるだけだ」
「それは…………。なるほど、そうですね」
納得できないが、合理的な考え方ではある。
反論できる部分を見つけることができなかった俺は仕方なくその理屈を飲み込んだ。
「でも、まさかオーバンに何の罰も与えずに見逃せとは言いませんよね?それでは俺の気が済まないです」
「そのことなのだが、アレン。お前には――――」
エドウィンが沙汰を告げる。
その声はしっかりと俺の耳に届いた。
にもかかわらず、俺はエドウィンの言葉を理解することができなかった。
その言葉が、今の状況とあまりにもかけ離れているように感じたからだ。
「エドウィンさん、よく聞こえませんでした。今、何を――――」
「お前の聞き間違いではない」
――――お前には、この村を出て行ってもらう。
ゆっくりと諭すように。
エドウィンは俺の追放を告げた。
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