第25話 孤独
「オーバン、しっかりして!!オーバン!!」
倒れこんでいたアデーレが起き上がり、オーバンに縋りつく。
(よかった!アデーレは無事か!―――ッ!)
アデーレににじり寄る大熊の魔獣を牽制するためにやや大振りで剣を振り抜くと、魔獣はその大きな図体に似合わず素早い動きで距離をとった。
この隙に、ちらりとオーバンの右腕に目をやる。
爪にやられたのだろうか。
肘のやや上あたりが深くえぐられており、血がとめどなくあふれ出ている。
このままではとても戦えそうにない。
「アデーレさん!俺が時間を稼ぎます!一旦下がってオーバンの治療を、最低でも剣を振れる程度に!」
「ッ!わ、わかりました!」
「グッ!すまねぇ、すぐ戻る!」
背後でオーバンたちの足音が遠くなっていくのを感じながら、目の前の魔獣に全神経を集中する。
『グウウウウ!』『グオオオオ!』
先ほどまで四肢を使って花畑を駆けていた双頭の大熊は、今は後ろ足だけで立ち上がり、手を打ち合わせるような動作をしながら俺を見下ろしている。
(でっけぇ……)
容貌は首がふたつあることを除いてツキノワグマと大差ないが、体長はツキノワグマのそれよりもずっと大きい。
立ち上がった状態で、成人男性と大差ないところまで成長した俺よりも頭2個、いや3個分は高いだろう。
(くそっ、アホか俺は!ここは危険だとあれほど自分で言ってたじゃないか!)
あまりの迫力に気圧されそうになるが、ここで退くわけにはいかない。
後方にはオーバンたちがいるのだ。
治療中に攻撃範囲に入ったら二人ともやられてしまう。
「はあっ!」
大熊が前足を地面におろし、体勢を変えようとするその瞬間を見計らい、こちらから仕掛けていく。
<強化魔法>で極限まで高めた身体能力を駆使して距離を詰めると、大熊の鼻先を狙って剣を突き入れる。
大熊は顔を振ってこれをかわすが、その図体では剣先を完全に避けることができず、剣先が肩の近くを浅く抉る。
『『グアオオオオオオオッ!』』
魔獣の咆哮。
大きなダメージを与えたようには見えないが、それなりの痛みはあるようだ。
あるいは自分よりはるかに小さい生き物に傷つけられたことによる怒りかもしれない。
いずれにせよ、大熊を傷つけることができたという事実に安堵する。
右手にしっかり握った片手剣は俺にとっては大事な剣だが、客観的には安価な材料で作られたどこにでもある片手剣に過ぎない。
この見たこともない大きな魔獣に対して、その刃が通らないという最悪の事態も想定されたために、急所でなくとも剣が通るのは不幸中の幸いだった。
唸り声をあげながら頭を左右に振っていた大熊だが、すぐに我を取り戻してこちらに突進しようと体勢を低くする。
大熊の体格を考えれば、突進の威力は絶大。
<強化魔法>により身体能力が強化されているとはいえ、大熊の突進を正面から受けたら剣の方が耐えられない。
(させるか!)
突進を封じるために、再び距離を詰めた。
今度は剣を突き入れることはせず、<強化魔法>により引き上げた機動力を活かして大熊の周囲を動き回り、突進の的を絞らせないように立ち回ることに専念する。
四肢を地について走り回れば素早くとも、その図体では小回りはきかない。
大熊の正面から逃げるように立ち位置を変えながら時折小さく剣を振って大熊を傷つけていく。
『ガア!グゥゥ……』『グ、グァ!』
しかし、やはりダメージは通っていないのだろう。
この大熊にとって今の俺は、人の周りを飛び回る羽虫のようなもの。
この戦い方では大熊にストレスを与えて関心を惹くことはできても決定的なダメージを与えるには至らない。
だが、それでもかまわない。
俺の目的はオーバンが復帰するまでの時間を稼ぐこと。
もとより俺だけで大熊の撃破を目指しているわけではないのだから。
「オーバンさん!まだですか!?」
傷はかなり深かったように見えた。
小さな切り傷はすぐ治癒することができるアデーレの<回復魔法>だが、あれほどの傷に対しても効果を発揮できるだろうか。
最悪、オーバンが復帰できても万全の態勢ではないということもあり得る。
いや、むしろその可能性の方が高いのかもしれない。
その場合、パーティとしての火力は現状から大きく向上しない。
トドメまでをどう詰めていくか。
そんなことを考えている俺に大熊の爪が迫る。
(うお……ッ、しまった!)
体勢を崩され、やむなく距離を取る。
『ガアアアアアア!』『グオオオオオオオ!』
この時を待っていたとばかりに大熊の巨体が飛び込んでくる。
圧倒的な質量に竦みそうになる両足を叱咤し、横っ飛びで大熊の噛みつきを回避する。
「グッ……、はあああぁ!」
今度は即座に体勢を立て直し、大熊が方向転換する前にこちらからチャージをかける。
『『ガアアアアアッ!』』
大熊の振り向きざまに強襲。
ようやく、俺の剣は大熊の毛皮を深く切り裂いた。
「ははっ……、やっと一太刀か」
この大熊と向き合ってからどれくらいの時間が経過しただろうか。
これまでの鍛錬によって鍛えられた体力と魔力にはまだ十分に余裕がある。
しかし、集中力はそうはいかない。
対魔獣戦は繰り返し経験してきたがそれらの大半は格下の魔獣。
数少ない同格程度の魔獣との戦いもパーティメンバーの助力を得ながらのことであり、単独で強力な魔獣を相手にした経験など俺にはなかった。
初めて経験する強敵との戦いが俺の集中力をじわじわと削っている。
先ほどの危機だって、集中力を保っていれば余裕をもって回避できたはずだった。
「オーバンッ!」
大熊に一太刀浴びせた喜びもつかの間、募る焦りと苛立ちをなかなか戻らないオーバンにぶつける。
(あれ……?)
大熊との戦闘に集中するあまり方向感覚を失ってしまった。
オーバンたちが下がったのはどちらだったか。
周囲を見回しても彼らの姿が見つからない。
「オー……くっ!」
少し目を離した隙に大熊に距離を取られてしまった。
突進に備えて構えをとるが、大熊はすぐにこちらに突っ込んでは来ない。
じりじりと、俺の隙を伺うように周囲をうろつき始める。
「オーバンッ!アデーレッ!返事をくれ!」
苛立ちに代わって、急激に不安が増大する。
(まさか……)
俺の動揺を見透かしたように、大熊の突進。
「ッ!…………クッ!」
今度は先ほどのように体勢を立て直すことができずに、再び大きく距離をあけられる。
大熊は先ほどのように周囲をうろつきながら俺の様子をうかがう。
その様子は、まるで獲物をいたぶることを楽しんでいるかのように感じられて、俺の焦りと不安をより強いものにしていく。
先ほどまでこちらが優勢と言っても過言ではない戦いをしていたというのに、心の持ち方でここまで戦況が違って見えるものなのか。
いや、それよりも――――
(まさか…………見捨てられた?)
片腕が傷ついたオーバンでは魔獣が現れたときにアデーレを守れない。
ならば、大熊が近くにいたとしても俺の近くにいる方が安全なはずだ。
だが――――
もし、オーバンのケガが弱い魔物となら戦える程度に回復していたならどうだろうか。
消耗した俺と、ケガをしたオーバンと、戦力にカウントできないアデーレ。
3人がかりでも大熊に勝てないと、オーバンが判断したならばどうだろうか。
「……そ…………」
オーバン自身の命と、そして自分の命よりも大切だろうアデーレを守るため。
あいつは、俺を見捨てるのではないだろうか。
「くっそおおおおおおおおおおおおおおぉ!!」
これだけ叫んでもオーバンたちから反応はない。
この状況で俺の叫びが聞こえなくなるほど遠くに離れる理由があるだろうか。
「ははっ……ああ……、なにやってんだ、俺は」
絶叫が空に溶けると、掠れた笑いがこみあげてくる。
加勢が必ず来ると妄信していた自分が愚かしくて。
自分を見捨てた相手を守るために、命の危険を顧みず大熊と戦っていた自分がおかしくて。
『ガ、ガァ……』『ゲ、グォ、グァ!』
大熊も俺の心境の変化を感じ取ったのか、心なしか困惑しているように見える。
「誰もいないなら、もういいか……」
<強化魔法>の強度を引き上げる。
成長途上の体にかかる負担は大きいが、耐えられないわけではない。
<結界魔法>を準備する。
単発攻撃しかない大熊の攻撃は、これで大半を防ぐことができる。
「はは……、ほんと、バカみたいだ」
もともと大熊に負ける可能性なんて考えていなかった。
剣が折れたら“勝ち”がなくなるが、それだけだ。
鋭い爪も迫力ある突進も、ほとんどの攻撃手段が単純で単調。
そんな大熊がなにをしようと、<結界魔法>が全て防いでくれる。
膨大な魔力量にものを言わせて<結界魔法>を繰り返し展開し続ければ、悠々と歩いて村に戻ることだって不可能ではなかった。
右手の剣を地面に引き摺るように、大熊に向かって無造作に駆けだす。
大熊も俺を迎え撃つように、こちらに向かって突進を繰り出す。
俺と大熊が交差するその瞬間、砕けた結界の欠片を身に纏った俺は――――
「はあああああっ!」
横一文字に剣を振り抜き、大熊の腕を斬り飛ばした。
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