3 英雄は年下に世話を焼かれている

 最近のリーベは浮かれていた。

 学校生活って何て素晴らしいのだろう! と、頭の中を花びらが乱舞している。


 レオナルトを教育すると決めたリーベは、教師の仕事も真面目にこなすようになっていた。

 それにあたって、学校に『研究室を使いたい』と申請を出したのだ。リーベの研究室は校舎の南側、3階に位置する。

 仕事の時間以外、リーベはそこにこもりきりになっていた。リーベは研究者気質だ。自分の部屋にこもって、好きなだけ研究に熱中できるというのは素晴らしい環境だった。職員寮に帰るのも面倒くさがって、そこで寝泊まりすることもあるほどだった。


 リーベが学校の施設に感動したこと、2つ目――それは図書塔の存在である。本校舎とは別棟で、蔵書数がすさまじかった。古今東西の書物が収められているばかりか、レルクリアの学者たちが執筆した論文の写しが潤沢にそろっていた。

 初めてその光景を目にした時、リーベは興奮が止まらなかった。それからというもの、図書塔で論文を借りては研究室で読みふけるという日々が続いていた。


 そして、その日も論文に熱中するあまり――気が付いたら、夕日が差しこむ時間帯になっていた。『空間転移における魔術式の構築論』という論文を読破したリーベは、そのまま研究室の机で眠りこけていた。

 腕を枕にして、すぴぴーと幸せそうな顔で寝ている。口元からはよだれが垂れていた。その間抜けな姿を見て、彼の正体が三英雄の1人であると看破できる者は存在しないだろう。


「おい。起きろ」


 その頬を、誰かがぷにっとつかんだ。

 メガネをかけているリーベの顔は、普段の美貌を幻術で覆い隠し、地味な相貌へと変わっている。しかし、肌の質感は元のままなので、しっとりすべすべだ。

 そのぷにぷにの頬をぐりぐりとつねられ、リーベは目を覚ました。


「ひぃ、ヴェルネ先生……! ごめんなさい……!」


 謝りながら飛び起きる。

 寝ぼけ眼で辺りを見回した。


 とりあえず、天敵である女性教師はその場になかった……! よかった! と、安堵する。

 リーベは口元をぬぐいながら、ほんわかとした笑みを零した。


「あ、なんだぁ、レオか……よかった」


 レオナルトはリーベを見下ろして、呆れた顔をしている。不遜な態度でリーベの机に腰かけ、脚を組んだ。


「またヴェルネに怒られたらしいな。遅刻3日連続で」

「図書室に置いてある論文がどれも興味深くて、読みふけっていたら、つい……。あと、呼び捨てはダメだよ。『ヴェルネ先生』って呼ぼうね」

「それはそうと、周りを見てみろ」

「……うん?」

「この惨状をどう思う」


 レオナルトが周囲を示す。

 リーベの研究室である。最近手に入れたばかりの自分だけの城である!(実際はグランエスネル地方に本物の城を持っているのだが、どんなに狭くても自分だけの領域を所持できるということは嬉しいものなのだ)


 机には大量の論文や本が散乱している。床は脱ぎ散らかしたローブやら、シャツやら、書きかけの書類やらが埋め尽くしていた。

 リーベは率直な感想を述べた。


「汚くて、足の踏み場がないね」

「は?」


 レオナルトはリーベを睨み付ける。その眼光に、リーベは苦笑いを浮かべる。


「えと……僕、お掃除って苦手で……」


 前提として『魔術を使わない』が付くが。

 普段であれば、浮遊術で物を浮かべて、ひょいひょいっと元の位置に戻していくので、掃除の手間はそんなにかからない。魔術を使い放題にしている職員寮の部屋はとても綺麗だった。

 だが、リーベは校舎内での魔術の使用を控えている。すると、途端にどうやって片付けたらいいのかわからなくなるのだった。

『まあ、後でやればいっか』と、ほったらかして、その『後で』は永久に来ないという事態に陥っている。


「ちょっと、片付けるね……わあっ」


 立ち上がろうとして、失敗。リーベはへろへろと座りこむ。

 体に力が入らなくなっていた。


「あれ……おかしいな……」

「あんた、最後に飯を食ったのはいつだ?」

「えー……っと?」


 と記憶を手繰り寄せる。


「お昼? あ、論文読んでたかな……今朝、も読んでたな……昨日の夜?」

「……は?」


 レオナルトの目が更に険しくなるのを見て、リーベは慌てて話題を変えた。


「レオは何の用事でここに来たのかな? あ、授業についての質問?」


 その能天気な問いが。

 レオナルトの地雷を特大で踏み抜いた。


「あんたに呼ばれて来てんだよ、このアホ教師! 今日から特別授業やるっつってただろ!」

「ご……ごめんなさい……」

「帰る」


 レオナルトは素っ気なく告げて、机から降りた。通学鞄を肩につっかけ、すたすたと歩いていく。


「あんたは飯を食え、そして寝ろ」

「いや、でも! 授業が……!」


 リーベが食い下がると。

 レオナルトは存外に優しい声音で答えるのだった。


「……明日また来る」




 翌日の昼休み。

 リーベは廊下を走っていた。『昼休み、研究室で待ってる』とレオナルトに言われたからだ。

 しかし、ヴェルネに捕まり、お説教されていたため、昼休みはもう半分ほど過ぎてしまっている。


「ごめん、ヴェルネ先生のお説教……じゃなかった、会議が長引いて……!」


 室内に足を踏み入れてから、リーベは驚いた。

 中が昨日までと一変していたからだ。


 足の踏み場もないほどに散らかっていた部屋は、すっきりと片付けられている。レオナルトがまとめた論文の束を運んでいるところだった。リーベと目が合うと、「……おう」と無愛想にあいさつをする。


「すごい。君が片付けてくれたの? ありがとう」

「別に。あとこれ」


 レオナルトが差し出したのはお弁当箱だった。中を開けてみれば、地味ながらも栄養バランスがしっかりと考えられたメニューが詰められている。

 ……この弁当の作成者は、優秀な主婦になれる。


 リーベは目を白黒させて、それを見つめる。


「え? 手作り? 君、お料理もできるの……?」

「普段はしない。面倒だから」


 そういえば、クリフォードが前に「レオはああ見えて、面倒見がいい」と言っていた。この様子を見る限り、納得である。


「君って、まめなんだね……。意外」

「あんたが雑すぎんだよ……」




 手作りお弁当は、とても美味しかった。


 というわけで、生徒にむしろ世話を焼かれているという、立場が逆転している点についてはともかくとして。

 無事にリーベの研究室も綺麗になったので。


 その日の放課後。

 2人は研究室で向かい合っていた。


「それじゃあ、改めまして。特別授業を始めます」


 こうして、リーベとレオナルトの2人きりだけの特別授業が始まった。




+ + +


リーベのスペック→世界最強。でも、魔術以外は何もできない。基本ポンコツ

レオナルト→割と何でもできる+身内には世話焼きタイプ。でも、聖剣の起動がまだ安定しないため、戦闘能力は0に近い。


でこぼこ師弟ですが、今後どうなることか……!


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