第21話 愚かな友人は、手を伸ばす


 レオナルトとグレンはもう長い付き合いだ。だから、彼のことは熟知している。レオナルトは自分が困った立場になっても、人に頼るということをしない。

 その逆は――そうではないくせに。

 昔のことを思い出して、グレンは目を伏せた。


 レオナルトは現在、ローレンス家の養子となっているが、元は孤児だ。グレンも同じで、2人は同じ孤児院で育った。

 旧レルクリア王国が崩壊し、レルクリア共和国に生まれ変わってから、様々な制度が整備された。

 孤児に対する公的援助システムができたのもその頃で、全国には次々と孤児院が作られた。だが、真新しいだけに制度も職員も未熟だった。


 体罰を厭わない職員。粗悪な食事。そこにつめこまれた不安定な子供たち。施設内では常に誰かの泣き声が響いているような状態だった。誰もが自分のことだけで精一杯だった。

 そんな中で、レオナルトだけは変わり者だった。一見、不愛想で近寄りがたいを雰囲気を発しているようで、彼は誰よりも他者に対して親身だった。


 自分の食事を小さな子供たちにわけ与える。暴力的な職員から子供をかばって、反発し、代わりに殴られていることもあった。泣いている赤子がいれば、夜中まで抱き上げていた。

 彼がどうしてそうするのか、グレンはわからなかった。

 確かにレオナルトは子供たちに人気があった。その一方で、職員からは嫌われていた。グレンは腑に落ちなかった。


 ――他の子供に好かれたところで、何の利点もないじゃないか。


 その一方で、職員に好かれれば快適に過ごせるという利点があるのに。

 そんなレオナルトのことが理解できず、グレンは彼には関わらないようにしていた。

 グレンにとって、忘れられない出来事がある。

 その日、夜になっても1人の子供が施設に戻ってこなかった。施設は常に人手不足だったので、職員は誰も探しに行こうとしない。


 レオナルトは当然のように魔導式の電灯を手にし、外へ出ようとしていた。グレンはその後を追った。子供を心配しての行動ではない。彼の偽善の先を見届けてみようと思った。


 誰だって自分の方が可愛い。自分を犠牲にしてまで誰かを助ける人なんていない。人が誰かに親切にする時、そこには必ず打算が存在する。だから、もしどんなに探しても子供が見つからなかったら、レオナルトがどうするのか。それに興味があったのだ。

 グレンが追いかけると、レオナルトは振り返った。そして、電灯を1つ寄こしてきた。


「そっちの道を頼む」


 自然と指示を出されて、グレンは渋い顔をした。


(別に俺は、探しに来たわけじゃないけど?)


 しかし、不思議とグレンの足はレオナルトに示された道を辿っていた。電灯で暗い道を照らすと、小さな足跡を見つけた。それは山道へと続いていた。

 グレンが少年を見つけたのは、山肌の斜面だった。1段下がって、足場のように盛り上がった地に彼は座りこんでいた。段差を登れなくなったのだろう。斜面は切り立っていて、とても歩いては下れない。


「今、引き上げる。手を伸ばせるか?」


 グレンが声をかけると、彼はホッとしたように立ち上がった。その時だった。少年の足元がぐらりと揺らめいた。

 靴底が滑る。大地が崩れ、ぱらぱらと崖下に零れていく。


「あっ……」


 少年の体が傾いていく。

 引き延ばされた時間の中で、視界にその様が映る。グレンは彼へと手を伸ばしかけて、


 ――ああ、これはもう間に合わないな。


 冷静に判断する自分がいた。これ以上、手を伸ばしたら自分まで落ちてしまう。その手をグレンは下ろした。

 その時。

 たんっ、と軽やかに踏み出す音。

 グレンの真横を誰かが駆け抜けていく。


 そして、跳んだ。

 自分が諦めて下ろした手を、精一杯に伸ばして。


 グレンは目を見張る。その瞳に、レオナルトが少年の体を抱きとめる光景が映し出された。次の瞬間、2人はグレンの視界から消えた。

 斜面を転がる音、派手に何かがぶつかる音が響いた。

 グレンは地面に手をついて、下を覗きこむ。


 レオナルトは背を木にぶつけ、座りこんでいた。泥だらけで、あちこちを擦りむいている。片側の手が腫れ上がり、力が入らなくなっていた。それでも、もう片方の腕で少年の体をしっかりと抱えこんでいた。

 レオナルトが視線を上げる。グレンと目が合うと、ホッとしたように笑った。


「無事だ」


 その瞬間、グレンは泣きたくなった。


(お前は……無事じゃないじゃん……)


 そんなことをして、何になるのか。

 今も昔もわからない。

 けど、それからグレンはレオナルトと話すようになった。彼と同じことを自然とするようになった。


 ――愚かなことをしている。


 その考えは今も変わらない。人を助けたいのなら、もっと上手いやりようもあるというのに。

 レオナルトは自分の立場をまったく守ろうとしない。

 不愛想なのも、誤解されやすい態度も、彼が他者からどう思われているかを気にしていないからだ。

 好かれようと思ってやっているわけじゃない。自分に得があるかどうかで判断しない。


 だからこそ――。

 その行動によって、自分の立場を悪くすることもある。

 今だってそうだ。


(カミーユ先輩のことだって……。どうしてあいつがあんな……)


 そんなレオナルトを傍で見ていて、グレンはいつもハラハラしていた。

 いつか誰かのために窮地に陥りそうで。

 そして、そうなってもレオナルトは誰かに助けを求めたりはしないだろう。周りが気付かぬうちに、手遅れになるかもしれない。

 グレンはそれが恐ろしかった。



 ◇



 ――自分の偽物がいる。


 エリアスから話を聞いたリーベは、考えこんでいた。


(僕と同じ顔。マナを持たない……。まさか)


 1つの可能性に思い当たる。


(けど、僕の想像通りだとして、いるはずがない。このレルクリアに……)


 リーベがその可能性について脳内で追及していると。


「リーベさん」


 エリアスがへらへらと笑いながら、両手を広げる動きをした。

 リーベは目をぱちくりとして、


「え、結局やるの?」

「……だめ……?」


 途端にしおれた顔をする少年。

 リーベは自分が悪いことをしているような気になり、応じることにした。


「その……じゃあ、少しだけなら……」


 エリアスは今度は、ぱああ、と真っ白だった頬を紅潮させる。


「うれしいな……。それじゃあ、リーベさん……。はじめようか……?」


 と、にやけながら近付いてくる。

 リーベは、ごくりと息を呑む。それから覚悟を決めた。


「は、はい! いつでも……」


 ぎこちない動きで両手を広げた。

 エリアスは一歩、また一歩とリーベに近付き――その身を委ねてくるのだった。


『僕……嗅覚がいいから、マナの匂いにすぐ酔っちゃうんだ……。それで吐いちゃうことが多いんだけど……。好きなマナの匂いを嗅ぐと、気持ち悪いのが治るから……。だから、僕のこと、たまにでいいから抱きしめてくれないかな?』


 などと、言われた時は戸惑ったが。抱きついてきた後、エリアスは大人しかった。

 これで「すーはー」「ハアハア」されたら、リーベの精神衛生上よろしくなかったが、本当に「ただ抱きしめてほしかっただけ」らしい。

 両目をつぶって、リーベの肩に頬を預けてくる。すり寄ってくる動作は、どこか動物的な本能を感じさせるものだった。


(根は悪い子じゃない……のかな?)


 子が親の温もりを求めるように。

 または、誰かの愛情を欲するように。

 腕の中でエリアスは大人しい。だから、リーベはその頭をポンポンと撫でた。

 その時、背後から足音がした。


「ここにいた。バルテ先生。少し聞きたいことが」


 やって来たのはグレンだ。

 言いかけて、彼は固まった。リーベの姿をまじまじと眺めている。驚きと停滞は1秒。


 ――ぱしゃり。


 グレンは光の早さでカメラを構えると、写真を撮った。



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