第6話 大型犬に懐かれている?

 リーベの教師生活が始まって、3日目。

 新任教師の評価は、早々に地に落ちていた。


「では、授業を始めます。前回の続きから。えーっと……」


 リーベの授業が始まると、生徒たちは『自由時間!』とばかりに各々で好きなことをする。

 自習をしているグレンはマシな方だった。

 多くの生徒は立ち上がって、友人の席へと向かう。そして、お喋りを始めるのだった。

 レオナルトに至っては、リーベが教室に入ると、入れ替わりで出て行ってしまう。

 リーベの授業はヴェルネに指摘された通り、ひどいものだった。


「魔導機関とは……『星光石』からエネルギーを得て、作動する原動機関のことである」


 リーベは覇気のない声で、教科書を読み上げる。

 本当に読むだけだった。解説も板書も行わない。


「魔導機関が発明されたのは浮島歴1764年。発明者は、あー……なんちゃらかんちゃらである」


 リーベは敢えて、その名を読み上げなかった。

 しかし、それにツッコミを入れる生徒は存在しない。誰もリーベの話を聞いていないからだ。


「彼ら3名は、『古代魔術』を星光石で起動する技術を確立した。人類が大地を捨て、空で暮らすようになってから、世界から『古代魔術』の力は失われた。それは高度があるほどに、マナが薄くなるためである。えー……発明者の1人である……何たらは、大気中のマナが薄い浮島において、『古代魔術』を扱える稀有な人材にして……」


 声には張りがなく、目が死んでいる。

 ページをめくったところで、リーベは音読をやめた。

 教科書の一部に釘付けになる。

 そこには、魔導機関の発明者について記されていた。3人いて、写真が載っている。


 1人は世界で一番の愚か者。

 1人はセザール・リブレ。

 そして、もう1人は……。


 心臓に鋭い痛みが走る。うずくまりたくなった衝動を耐えて、リーベは敢えて明るく、内心で叫んだ。


(いちいち写真を載せるな~!)


 ツッコミと共に、教科書を閉じる。


「あー、何か疲れちゃったなあ。それじゃあ、このあとは、自習にします」


 へらへらと言った声を、聞いている者はいない。リーベが部屋を退出することに注視する者も、引き止める者もいるはずがなかった。


(はぁ……)


 リーベはふらふらと校舎の外に出た。授業中なので、職員室に戻るわけにもいかない。

 吹き付ける風が頬を叩いていく。


『――勇者の暗殺?』


 リーベはここに来る前に、セザールと話したことを思い出していた。

 今回の任務についての話だ。リーベがこの学校に潜入したのは、政府から1つの仕事を任されたからだった。


『聖剣と契約できる人間が20年ぶりに見つかったのに、どうして暗殺しちゃうの? リブレキャリア校は勇者の後継者を育成するために創立されたんじゃないの?』

『その通りです。しかし、我々が望んでいるのは、勇者に値する器を持つ者なのですよ。レオナルト・ローレンスには問題があります。一言で言うとクソガ……少々やんちゃでして』

『だから、処分しちゃおうって? 横暴すぎない?』


 リーベは首をひねる。

 セザールは何を考えているのかわからない曖昧な笑みを浮かべた。


『あなたには2つの道があります。リュディヴェーヌ様。1つはレオナルトくんを勇者としてふさわしい人物として育て上げること。しかし、もし、レオナルト少年に勇者としての素質が見出されなければ、あなたには彼を暗殺していただきます』


 リーベに与えられた任務。

 それは教育か、抹殺か。

 二者択一だった。


 期限は12月に行われる選抜試験までだ。そこでレオナルトが力を発揮できなければ、「勇者の素質なし」とのことで、彼は暗殺される。

 それを実行するのはリーベだ。

 人を殺すなんて、昔は絶対に嫌だと思っていたけど、今となっては――。


(どうでもいい。聖剣の継承者なんて現れなければよかったのに……)


 リーベの心は空虚に満ちている。早くこの任務を終わらせて、城に帰って、引きこもりたい。

 そのことしか考えられなかった。

 リーベは感傷に浸りながら、風にあたっていた。

 その時。


「あ! こんなところにいた。リーベちゃん」


 声をかけられて、リーベはのろのろと振り返る。

 見覚えのある男子生徒だ。


 リーベよりも大きく、がっしりとした体付きをしている。アッシュブラウンの髪と目で、大型犬のような雰囲気だ。ブレザーの中にパーカーを着ている。

 明るい表情といい、ほどよく日焼けした肌といい、『座学よりも外で体を動かすのが好きなのだろうな』という風体だ。


「名前、何だっけ?」

「アルバート・ラクール!」

「ああ……」


 初日にリーベにいろいろと尋ねてきた少年だ。


「何か僕に用事?」

「用ってほどじゃねえけど。さっきのリーベちゃん、つらそうな顔してたから」


 あっさりと返されて、リーベは目を見張る。あの教室でリーベは生徒たちに「いないもの」として扱われている。リーベの様子を気にしている者なんて、誰もいないと思っていたのに。

 アルバートはリーベの横に並ぶと、同じようにフェンスに腕を預けた。


「リーベちゃんってさ、よっぽど授業するのが嫌なんだな。いつも教壇に立つと、死んだ魚みたいな目になってるし」

「……あはは」


 リーベはもう乾いた笑いをもらすしかない。


「それとも、嫌いなのは魔導学の方?」


 横から顔を覗きこまれて、リーベは顔を歪めた。


「いや……僕のことなんて、どうでもいいでしょ」

「だって、気になるだろ! 初日に『先生とは呼ばないで』で、授業も嫌々やってるみたいだし。じゃあ、何で教師になったんだろう、とか」

「それには深い事情がありまして……。教師になってしまったのは成り行きというか」

「じゃあ、教師になる前は?」

「何もしてない人だよ」


 リーベが虚ろな声で応えると、アルバートは身を乗り出してきた。

 至近距離で目が合う。


(無駄に、顔がいいな……)


 リーベはぼんやりと思った。男らしく整った見目だ。年下すぎるし、生徒だから、ドキドキすることはないけれど。この距離で顔を見合わせれば、普通は赤面必至だろう。


「それってずっと? ……6年前も?」

「え? 君は、何を聞きたいのかな?」


 やたらと具体的な数字が飛び出してきたので、リーベは首を傾げる。


(6年前……何してたっけ。えーっと、城でずっと寝てたかな?)


 何分、24年間ほとんど変わり映えのしない日々を送っていたので、大したことも思い出せない。

 アルバートはからりとした笑顔を見せると、


「んー。やっぱ何でもないや。そういえば、リーベちゃん、こないだ他の先生に怒られてただろ」

「うっ……見てたの?」

「職員室で怒鳴られてたの、廊下まで聞こえてたぞ」

「そうなの!?」


 その後はなぜかやたらと絡んでくるアルバートと話しているうちに、授業が終わる時間となるのだった。



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